毎日新聞 2013年04月16日〜 


虚構の環:第2部・政策誘導 

衆院解散直後に「拒否権」

 ◇消された「直接処分」 エネ庁、核燃料扱い案で

 原発で使用済みになった核燃料をどう取り扱うか。12年11月、内閣府原子力委員会(近藤駿介委員長)は、今後の取り組み方に関する「見解案」をまとめた。これまでの国策は、すべての燃料を再処理工場に持ち込む「全量再処理」。コストが高く、取り出した大量のプルトニウムを使う方法も確立されていない。このため見解案は「政策を見直し(再処理せず地中に捨てる)直接処分も視野に入れる」となっていた。しかし翌月の「見解文」でこれらの記載は消えた。

 半年前の同6月、原子力委は「(再利用不可能な)東京電力福島第1原発の使用済み燃料対策などを考えると、直接処分を可能にしておく必要性は明らか」とする決定文を出した。同9月、民主党政権が打ち出した「革新的エネルギー・環境戦略」でも直接処分実現に向けた検討作業に「直ちに着手する」と踏襲されている。見解案は延長線上にある。なぜ消えたか。

 関係者が明かす。「経済産業省資源エネルギー庁がクレームをつけた。原子力委はエネ庁、文部科学省、内閣府の寄り合い所帯。エネ庁が『拒否権』を発動し原子力委の原案を変えた」

 毎日新聞が情報公開請求で入手した電子メールによると、エネ庁課長からのクレームは衆院解散5日後の同11月21日に寄せられた。「見解案は政府の方針と矛盾する」と事実とは正反対の独自の主張を展開したうえで「直接処分」を見解案から削除するよう求めていた。鈴木達治郎・委員長代理は修正に反対したが押し切られた。関係者が振り返る。「政権交代をにらみ再処理政策を進めてきたエネ庁が巻き返しを始めた」

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 長年核燃サイクルに投じた国費の総額は明らかにされなかった。

 10年10月15日、河野太郎衆院議員(自民)が質問主意書を提出し、核燃サイクルに関連した過去5年間の支出総額を尋ねた。しかし、同26日付で政府が出した答弁書で「調査に膨大な作業を要する。答えることは困難」と回答を拒否した。答弁書の作成者は内閣府。内閣府関係者でさえ「過去も同じ答弁を繰り返してきたが極めて不誠実」と感じたという。

 総額を初めて開示したのは、1年後の11年10月25日の衆院特別委。高速増殖原型炉「もんじゅ」の関連費用が80〜11年度に約9481億円、再処理関連の技術開発費などが98〜10年度に約8118億円。完成のめども立たないのに2兆円弱を投じている。別の関係者は「巨額なので表に出したくなかったが、原発事故があったから仕方なかった」と明かした。



 政権交代後、直接処分への逆風は強まる。それでも「政策変更するのは無理でも研究開発ぐらいはしておくべきだ」という声に押され、経産省と文科省が今年度予算に総額計約6億円の研究開発費を初めて計上した。一見前進に見える。

 3月14日の原子力委。文科省の生川浩史・原子力課長は予算説明の中で「(安倍政権からエネルギー政策について)見直しだという指示もある。(実際に執行するかどうかは)経産省と相談する」と変更の可能性を示唆した。(肩書は当時)

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 使用済み核燃料を再利用する核燃サイクル。資源に乏しい日本が60年代後半から具体化させたが、半世紀を経ても完成のめどさえ立たない。にもかかわらず、なぜ路線変更されないのか。第2部は政策を巧妙に誘導する実態に迫る。

 

視察後温泉、金券5万円…意見変えた委員

 ◇「注射」と呼ぶ電力接待

 取材班は「電気事業分科会・鶴田委員他ご視察スケジュール」と題したA4判の1枚の文書を入手した。経済産業相の諮問機関「総合資源エネルギー調査会・電気事業分科会」の鶴田俊正委員(79)=専修大名誉教授=と友人男性が04年6月9日、東京電力幹部2人の案内で青森県六ケ所村の再処理工場を訪れる「視察」計画だ。当時分科会では原発で使用済みになった核燃料の再処理費用約19兆円を、国民が負担する制度のとりまとめが進んでおり、電力各社は早期決着を目指していた。

 鶴田氏が説明する。「青森空港経由で六ケ所に行った。視察後は浅虫温泉(青森市)に泊まって遊んだ。費用は全部東電持ち」。「視察」はこの時だけではない。山梨県の揚水発電所や新潟県の柏崎刈羽原発などにも行き、交通費や宿泊費を東電が負担した。

 電力による工作は、経産省内部で「注射」と呼ばれる。注射は視察にとどまらない。当時、鶴田氏が東電幹部と会食後、用意された車に乗り込むと座席に土産袋があった。中を見ると封筒があり5万円分の商品券が入っていた。海外旅行に行く前に餞別名目で同額分の商品券を渡されたこともある。

 04年5月の分科会。鶴田氏は「使用済み核燃料を再処理せず地中に捨てる直接処分を考慮すべきだ」とする他の委員に同調する意見を述べた。直接処分を選べば再処理工場の破綻を意味する。

 六ケ所視察後、鶴田氏の姿勢は一変する。同6月18日の分科会で直接処分が議題になっても無言を貫いた。経産省職員は変節とみた。鶴田氏が答えた。「確かに変わった。しかし商品券や旅行のせいではない。いろいろ見て理解したということ」。そのうえで「東電はえげつないことをやっている。その一環で学者の私にアプローチしてきた。東電が福島(の原発誘致)に出したカネに比べれば微々たるもの」と話した。

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 福島第1原発事故後、7人の有識者が核燃サイクル政策見直しについて議論した内閣府原子力委員会の小委員会。メンバーの一人が昨年2月ごろ「いろいろな財務諸表を見るが、あの会社ほど不透明な会社はない」と関係者に漏らした。

 「あの会社」は再処理工場を経営する日本原燃。トラブル続きで工場は稼働していないのに、人件費や減価償却費など年約3000億円もの固定費を計上する。「このメンバーは原燃に厳しい姿勢を示すのではないか」。内閣府関係者は予想した。ところが小委員会では「核燃サイクル政策変更によって企業に与える影響が大きい場合、セーフティーネット(救済策)を用意する必要がある」と原燃の主張に沿う発言をした。

 その後、毎日新聞の報道で政策を誘導するために推進派だけで集まる「秘密会議」の存在が発覚し、検証チームによる内部調査が実施された。同8月公表の調査報告書によると、「説明」と称する電力側からの接触は7人中4人に及んだ。問題のメンバーに面会したのは原燃と電気事業連合会幹部。注射をうかがわせる証言はない。ただ姿勢が変わったように見える。確認のため取材を申し込んだが、メンバーは拒否した。(肩書は当時)

発行元示さず再処理の意義強調、議員に配布

 ◇データ誇張、原燃が「怪文書」

 昨年夏、青森県六ケ所村の再処理工場を経営する「日本原燃」幹部が東京・永田町の与野党国会議員の事務所を回り、A4判13ページの文書を配布した。表題は「今後の核燃料サイクル政策について(六ケ所再処理工場の運転)」。発行元を明示しない怪文書のような体裁で、原発で使用済みになった核燃料を再処理する意義を強調する内容だ。

 使用済み核燃料の取り扱い方法について、約70人の民主党国会議員が勉強会を作り、昨年2月「最終処分にめどが立つまで、国が中心になって廃棄物を保管する(責任保管)」とする提言をまとめていた。再処理を当面中断し電力消費地に分散して保管する案だ。「怪文書」はこれにかみついた。「責任保管は実現不可能。荒唐無稽な無責任提案」

 昨年7月、若手議員が原燃幹部を呼び止めて言った。「消費地の議論を巻き起こすための提案。それを荒唐無稽と言うのか」。すると「そんな紙、この世にありません」ととぼけた。発行元を記載していないことを悪用し、文書の存在を認めない姿勢に、議員は「異常だ」と憤る。

 文書にはデータの誇張もあった。現存する約1.7万トンの使用済み核燃料からプルトニウムやウランを回収して発電に再利用すれば、約1.5兆キロワット時の電力量が得られると記載されている。原燃によると、使用済み核燃料を再処理して新燃料を生み出す割合(再生率)を26%と仮定している。

 内閣府関係者が異論を唱える。「回収ウランを燃料に変える工場は日本にはない。計画さえなく、今世紀半ばまでは実現しないだろう。現状で使えるのは回収プルトニウムだけだから再生率は10%」。そうなると、再処理後の発電量は約5600億キロワット時と4割弱にしぼむ。原燃の広報担当者は「作成者は田中治邦専務。発行元を記載していないのは、社内用の文書だからだが(外部の人に)個別に見ていただく時に使用することはある。データについては、一定の前提で計算した一例であり、誇張ではない」としている。

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 電力10社で作る電気事業連合会も議員向けに文書を配布する。取材班は04年5月に配られたA4判37ページの文書「原子燃料サイクルについて−なぜ再処理を進めるのか−」を入手した。


 小出裕章・京大原子炉実験所助教が批判する。文書が「使用済み燃料の95%以上はまだ使えるプルトニウムやウラン」と表記している点について、小出氏は「93%は高速増殖炉がない現状では燃やすことができないウラン238。ばかげた資料だ」と語る。さらに「(再処理すると)廃棄物全体の放射能は10分の1程度に低減」との記載に対し「放射能(放射線量)は減らない。吸い込んだ時の人体への影響を示す数値(毒性度)と混同している」と指摘した。

 昨年8月末、電事連の幹部と関西電力の副社長が別々に、まったく同じ文書を持参して永田町の議員会館を回った。事故を反省する記載は一切なく「原発ゼロは電気料金の大幅な上昇を招く」などと再稼働を求める内容で、原燃同様、発行元を表記していなかった。(肩書は当時)

 

「宿敵」海水ウラン阻止

 ◇文科省、予算つけず

 海水には約45億トンのウランが溶け込む。陸上の埋蔵量約709万トンの600倍超だ。安価に利用できれば、青森県六ケ所村の再処理工場で使用済み核燃料からウランとプルトニウムを取り出し、高速増殖炉で再利用する核燃サイクルの存在意義は大きく揺らぐ。

 海水ウラン研究の第一人者で、日本原子力研究所(現・日本原子力研究開発機構)の高崎研究所で材料開発部次長を務めた須郷高信氏(70)が振り返る。「1975年から水中でウランを吸着させる素材の研究を始めた。しかし、上層部から報告書を作成することさえ禁じられ、内部でもごく一部しか知らなかった」。原研と同じ旧科学技術庁所管の動力炉・核燃料開発事業団(現在は機構に統合)は高速増殖原型炉「もんじゅ」の開発を手がける。研究が表面化すれば、もんじゅ不要論が起こりかねない。

 流れを変えたのは73、79年と世界を襲ったオイルショック。石油価格の高騰がウラン価格の上昇も招き「陸が高いなら海からとれないか」と海外で海水ウランが注目を浴びた。日本でも80年代から東京大、京都大、九州大などが研究を手がけ、83年には国際会議も開かれた。

 高崎研究所の研究チームは、布状の吸着材(捕集材)を開発し、97年に10グラムのウランを採取した。99〜2001年には初めて大がかりな海洋試験を青森県むつ市沖で実施し、1キロの採取に成功。さらに水中を昆布のようにゆらゆらと漂いながらウランを集める「モール状捕集材」を開発し、電力中央研究所と共同実施した沖縄での試験で、その性能を確認した。

 「予算があれば実用化できる」。須郷氏がそう考えた02年、上司からむつ市沖の試験で使った陸上付属施設の撤去命令が出た。「六ケ所が動くまで研究はできない」と言われたという。沖縄の試験は04年に終了。予算が徐々に減り、06年度以降は年間30万円しかなくなった。トラブル続きで稼働さえできない再処理工場を守るため、研究は事実上ストップした。

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 研究者は手をこまぬいていたのではない。須郷氏の後継者で、機構の高崎量子応用研究所長、玉田正男氏らは09年、政府が最先端の科学研究を行う30人に総額2700億円(後に1000億円に減額)を助成するプログラムに応募した。

 同6月の内閣府原子力委員会。玉田氏がウラン1キロあたりの採取コストを「(陸上のウラン価格と同じ)約1万3000円を目標としていきたい」と説明すると、委員の一人が「原子力委としてもぜひ応援していきたい」と応じた。「助成金が獲得できるのではないか」。期待は高まったが、結局落選。玉田氏は今、取材に「理由はまったく分からなかった」と語る。

 取材班は文部科学省原子力課が04年2月、関係者だけに配布した内部文書を入手した。そこには「海水ウランの実用化にはさらなる研究開発が必要。(しかし)今後は(国ではなく)産業サイドで実施すべきだ」と記載されている。「国の予算はつけない」という意味だ。須郷氏の共同研究者、斎藤恭一・千葉大教授(高分子材料化学)は「サイクルにとって海水ウランは宿敵なんでしょう」と話した。