日本経済新聞 2007/7/18

ノーベル平和賞 ユヌス氏講演会

 2006年のノーベル平和費を受賞したバングラデシュ・グラミン銀行Grameen Bank 総裁のムハマド・ユヌス Muhammad Yunus 氏が来日、日本経済新聞社は9日、東京・大手町の日経ホールで記念講演会「貧困削減と日本の役割」を開いた。ユヌメ氏は貧困削減のために企業が進める「社会的事業(ソーシャルビジネス)」の必要性を訴え、日本企業などの積極参加を呼びかけた。

講演要旨 「社会的事業」の普及必要

 私がバングラデシュの大学で経済学を教えていた当時、我が国はひどい経済的危機に見舞われていた。素晴らしい経済学の理論を学生に教えているときにも、外では人々が飢餓で死に瀕している。空疎な気持ちに襲われた。
 ショック状態のなかで「これは私でも何とかできる問題だ」という考えが浮かんだ。貧しい人々に、まず懐のお金を渡した。借金から解放された彼らは本当に喜んでいた。こんな少額で人を幸せにできるのなら、もっとやろうと考えた。貧しい人だけのための銀行をつくろうとした始まりだ。
 銀行は豊かな人々だけを対象とする。貧しい人にはお金を貸さず、常に豊かな人を探す。この従来の原則を逆転したのがグラミン銀行だ。持つものが少ないほど、優先順位は一番高くなる。
 特に女性の借り手を拡大することに力を入れた。女性にお金がいけば家族全体にいく。男性にお金を渡すより効果的だと考えたからだ。最初はほとんどの女性が消極的だった。何世紀にもわたり、社会が繰り返し植えつけたためらいが女性のなかにあったのだろう。今では女性の借り手が97%に高まった。借り手の子どもも100%就学するまでになった。
 貧困は貧しい人が生み出したのではない。我々の統治や制度、政策がつくったのだ。制度と概念を変えなければならない。その一例が銀行制度だ。グラミン銀行は新しい制度がうまく機能することを立証した。
 ビジネスも変えていく必要がある。今のビジネスの使命は利益の最大化にある。だが人間は利益を生む機械ではなく、もっと大きな存在だ。分かち合うことができるのも人間なのだ。制度と政策を変えられれば、世界の貧困は半減する。世界中から貧困がなくなる時代がくる。子供たちが博物館で「貧困」を学ぶ時代が来るだろう。
 今後は新しいビジネスの形として「ソーシャルビジネス」に取り組むべきだ。社会的な目的によって動き、投資した資金は回収するが、利益は貧しい人々のために使うというものだ。仏食品大手ダノンとグラミン銀行は合弁で低価格ヨーグルトなどの生産・販売事業を始めている。
 慈善による資金(寄付)は一回限りで終わってしまうが、ソーシャルビジネスはお金を還元するため強力な資金源になる。(支援活動に参加したい)市民が政府に頼らずに行動できる場にもなる。それができれば貧困問題を超えた世界ができるだろう。

ムハマド・ユヌス氏(グラミン銀行総裁)
 ダッカ大卒、69年米バンダービルト大で経済博士号取得。帰国後、チッタゴン大経済学部長を経た後、農村部貧困層の救済を志して退職。83年、貧困層向け小口無担保融資のグラミン銀行を創設。貧困削減の功績で84年マグサイサイ賞、04年日経アジア賞、06年にグラミン銀行とともにノーベル平和賞をそれぞれ受賞。

討論要旨

貧困削減、高まる民の役割
  緒方氏  能力生かせる場所を
  ポルテ氏 企業や市民も現場へ
  篠沢氏  円借款業務 活発に

小牧利寿・日本経済新聞社アジア部編集委員(モデレーター)
 ユヌス氏の講演を踏まえ、日本がどのような役割を果たせるか議論したい。

緒方直子氏 ユヌス氏の話を聞きながら、こういう過程を進めていくと社会は生き生きしてくると感じた。貧困削減は世界的に大きなテーマだ。経済大国の日本が貢献する手段として、マイクロファイナンスは大きな意味がある。
 貧困削減のために必要なのは、人々に自分の力で経済力を持たせることだ。人々が自分の能力を活用できるようにしなければならない。出発点としてのチャリティー(慈善)は大切だが、チャリティーを重ねても経済力がついてこない。

ティエリー・ポルテ氏 マイクロファイナンスは貧困層の自立を可能にし、自尊心も育てる。世界の主な金融機関の多くが自ら同様のサービスを.提供したり、マイクロファイナンスを行う金融機関を技術支援したりしている。新生銀行も非営利組織を通じて、事務所や一定の資金を提供するなど貢献している。
 金融機関だけでなく、製薬会社やエネルギー会社などもマイクロファイナンスを支援している。日本の市民が現場に出て行き、持っている技術や経験でサポートすることもできるだろう。

小牧氏 マイクロファイナンスの取り組みも広がっている。

ムハマド・ユヌス氏 世界では「マイクロファイナンス」の名をかたり、高利息で貧しい人にお金を貸す事例も多い。マイクロファイナンスは人々を高利貸しから守るためにあり、利益を最大化する目的はない。

篠沢恭助氏 海外経済協力業務を進める国際協力銀行は、日本の政府開発援助(ODA)の一環として円借款を供与している。円借款が主に支援している経済・社会インフラの整備は、貧困削減にも不可欠だ。
 1995年にはユヌス総裁のグラミン銀行に、マイクロファイナンスの原資として30億円の円借款を行った。起業支援などでマイクロファイナンスを円借款事業の一部に組み込む事例も近年、増えている。
 ただ、貧困削減では民間セクターの果たす役割も大きい。国際協力銀行の円借款業務は08年秋に国際協力機構(JICA)に統合されるが、民間資金を呼び込む触媒的な役割も果たしたい。

ユヌス氏 ODAは発展途上国の政府向け資金援助だが、非政府組織(NGO)など民間向けに対象を幅広くしても良いのではないか。ODAの多くがインフラ整備向けだが、飲料水の供給などソーシャルビジネスを支援することも可能だろう。

篠沢氏 ODAの供給で民間セクターを組み込むことには制約がある。きちんと成果を上げて返済を受けられるのか、国民に説明しなければならない。

緒方氏 ODAを供給する公的機関には、民間のように試したり、失敗したりできる余地は小さい。ODAの柔軟性が試されるだろう。

ポルテ氏 ODAの制約に対応する方法の一つは、民間部門を取り込み、政府の支援を超えた部分は民間に任すことだ。議論し、創意工夫を凝らす必要がある。

小牧氏 ソーシャルビジネスの概念がまだ明確でない。

ユヌス氏 ソーシャルビジネスは通常のビジネスとあまり違いがない。製品やサービス、利益など基本的な構造は同じだ。ただ(貧困など)社会的課題を解決するという異なる目的がある。株主に最大の利益をもたらすモデルではなく、子供たちの健康がどれだけ改善したかを説明し株主を喜ばせるのだ。

国際協力銀行総裁 篠沢恭助氏
 しのざわ・きょうすけ
 60年東大法卒、旧大蔵省へ。理財局長、主計局長、大蔵次官を経て退官。01年現職。

国際協力機構理事長 緒方貞子氏
 おがた・'さだこ
 外交官の家庭に生まれ、聖心女子大卒後、米ジョージタウン大、カリフォルニア大に学ぶ。政治学博士、国連日本代表部公使、国連難民高等弁務官を経て03年現職。97年マグサイサイ賞受賞。

新生銀行社長 ティエリー・ポルテ氏
 78年米ハーバート大卒、79年モルガン・スタンレーへ。経営学修士。新生銀行副会長などを経て05年現職。

マイクロファイナンス 少額無担保融資で自立促す

 貧困層に少額の事業資金を無担保で融資し、経済的自立を促す金融手法。借り手の人々は小規模な商工業や農業を営み、定期収入を得て分割返済する。寄付と異なり、貧困層に生計を立てる手段を学ばせ、持続的に収入を得る道を進ませられる点が特徴だ。1983年にユヌス氏が設立したグラミン銀行は約700万人に60億ドル(約7300億円)の融資実績がある。
 ユヌス氏が76年、母国バングラデシュの農村女性42人へ個人的に27ドルを貸したのが始まり。途上国の貧困削減モデルの一つとして中東やアフリカにも浸透し、同様の事業を手がける金融機関も増えた。ユヌス氏は「マイクロクレジット」の名称で始めたが、現在は「マイクロファイナンス」の呼称が一般的となった。
 グラミン銀は約2400支店でバングラデシュの村落の9割をカバーするという。融資に際し契約書も交わさず、5人の連帯責任グループを結成させて返済期限などの約束を守らせる。メンバーの一人が完済すれば次の人がお金を借りられる仕組みで、返済率は99%。一般銀行の融資対象外の人々を優先する原則で借り手の97%が女性だ。
 グラミン銀は経営が利益追求に傾かないよう、貧困層である融資の受け手が株主となっている。貸付金利は「市場レート並み」としており、実質金利は10%強とみられている。

ユヌス氏単独会見の要旨

 国外の利用者率50%目指す ソーラーパネル企業に食指

 ユヌス氏は講演会終了後に日本経済新聞と会見し、ソーシャルビジネスの未来像や世界的な貧困削減に向けたグラミン銀行の取り組みなどを語った。

ー マイクロファイナンスの普及目標は。
 「バングラデシュ国内の貧困層に占める利用者比率は既に80%。2012年までに100%へ高め、15年には全家庭が貧困を脱却できるようにしたい。国外での利用者比率は現在10%未満だが、15年までに50%を目指す。特に(貧困)人口の多い中国やインド、インドネシア、ブラジル、メキシコなどで広げる必要がある」

ー ソーシャルビジネスを世界でどう定着させていくのか。
 「昔からある利益追求型の企業とは別に(貧困削減など〉社会的な善を目的とする事業形態も成り立ちうる。これこそがソ--シャルビジネスで、マイクロファイナンスの考え方を広げたものだ。この考え方を世界で広め、外部からの資金を呼び込むのが私の次の仕事だ」
 「どんな企業がソーシャルビジネスに取り組んでいるかを投資家に知ってもらうためには、そうした企業だけが上場できる新たな株式市場が要る。専門の人材を育成するための経営学修士(MBA)課程があってもいい。自分でつくる予定はないが、動きがあれば応援する」

ー ソーシャルビジネスは参加企業や投資家にメリットがあるのか。
 .「貧困層を助けることで得られる(世間的な)評判や、心理的な満足感などだ」

ー どのような日本企業と組みたいか。
 「例えばソーラーパネルの製造会社だ。グラミン銀行はグループ団体を通じて(貧困家庭などに)太陽光発電システムを販売している。高品質パネルの量産技術を持つ日本企業が事業に参加すれば、より多くの人が低コストのパネルや代替エネルギーを利用できるようになる。化石燃料の使用を減らせば地球環境の保護にもつながる」

ー 参加の見返りに温暖化ガス排出権が得られれば、利点も生まれる。
 「その通りだ。排出権取引(の活用)は(日本企業の誘致に)有益だ」

ー 2月にバングラデシュ政界進出を発表したが、5月に撤回した。
 「挑戦したが、熟慮の結果、やはり私の仕事ではないと決断した」