日本経済新聞 2004/9/17

ドキュメント 三菱東京・UFJ

司法が舞台 揺れた統合劇 UFJ 重すぎた不良債権

 三菱東京フィナンシャル・グループとUFJグループが7月16日に経営統合交渉で合意してから2カ月。UFJ銀行への資本支援が決まり、来年10月までの全面統合に向けて一段と前進した。UFJは巨額の不良債権を抱え、金融庁から改革を迫られていた。世界一をめざす三菱東京がいち早く「救いの手」を差し出し、巨大メガバンク誕生へとつながった。しかし、UFJ信託銀行との統合計画を白紙に戻された住友信託銀行は三菱東京との統合交渉を禁じる仮処分を申請。歩調を合わせ三井住友フィナンシャルグループもUFJに統合を申し入れた。司法が再編の舞台となり、UFJを巡る争奪戦が注目を集めた。金融庁の思惑、統合決断の瞬間、ライバル同士の駆け引き……。統合劇の担い手たちが何を考え、どう動いたのか。

 

「大口融資先資料隠している」
 昨年10月9日 内部情報で攻防は始まった

 「隠している資料などはありませんね」
 「ありません」
 昨年10月9日午後、UFJ東京本部に入った金融庁検査官は銀行側から言質をとると、ある部屋を開けるよう求めた。
 この日午前、金融庁に匿名の電話が入った。「検査で示したのとは別の大口融資先企業の資料を隠している」
 大口融資先に絞った特別検査の最中だった。検査局は内部事情に詳しい人と判断。資料の移動を防ぐため部屋の前に見張りの検査官を立てUFJに入室許可を求めた。
 検査官は1時間も待たされた末に入室。100箱に及ぶ段ボール箱入りの資料を見つけた。UFJが金融庁に示した見解より融資先の経営が悪いことを示していた。UFJの担当者はあわてて資料を破る。「この資料は関係ありません」。金融庁とUFJの半年を超す攻防の幕が切って落とされた瞬間だった。
 2002年秋に金融相の竹中平蔵がまとめた金融再生プログラム。2005年3月までに大手銀行に不良債権比率を半減させる目標を課した。そのためには、比率が高いUFJに不良債権処理を急ぐよう促す必要があった。8月18日から始まった特別検査で貸倒引当金積み増しへ貸出債権の査定評価を下げるよう求めたが、UFJは強く反発。それだけに金融庁は徹底的にチェックしたいとの思いがあった。
 発見の翌日、検査局長の佐藤隆文ら金融庁幹部は経済産業省幹部の突然の訪問を受けた。UFJをよろしくとの趣旨だった。経産省によると念頭にあったのはダイエー。産業再生法を適用して再建策に“お墨つき”を与えていた経産省は大幅な経営見直しにつながりかねない査定評価の引き下げを避けたかったという。
 「あなたが来るのはおかしい。誤解をまねく」と佐藤は告げた。話はたちどころに庁内に広まる。「UFJが経産省に頼み込んだらしい」
 「金融庁の体面にかかわる。しっかり対処してほしい」−−。10月22日、竹中や金融担当副大臣の伊藤達也らは資料隠しや経産省訪問の正式報告を受け指示した。後ろ盾を得て金融庁は検査姿勢を一段と強めた。
 竹中は官邸を訪問。一部銀行には深刻な不良債権の引き当て不足があるとの報告を夏ごろすでに上げていたが本格的に追及する方針を伝えた。
 「資料は最悪の事態を想定した」「あんな膨大なシミュレーションがあるはずはない」。UFJと金融庁は別資料発見以来攻防を続けたが、11月7日、議論が平行線のまま検査が終了した。UFJは「金融庁が矛を収めた」と安心する。
 実態は違った。金融庁は集めた資料を分析、ひそかにUFJを追及する戦略づくりを進めた。
 年が明け、金融庁は動く。かつてクレディ・スイスを検査忌避で処分した実力派検査官をUFJの専任に指名した。
 ダイエー、双日、アプラス、大京、ミサワ・・・。金融庁は再びUFJに自已査定の甘さを指摘し始める。UFJは「見解の相違」と突っばねるが、2004年3月期決算での貸倒引当金積み増しを強く促していった。



「そんな決算認められない」
 4月28日 強硬姿勢貫いた金融庁

 「認められない。連休明けにしっかり追及する」。4月28日午後、金融庁幹部は憤った。 この日、UFJは3月期の決算見込みを下方修正した。2100億円と予想した連結最終利益が780億円まで減る内容だ。だが金融庁は検査結果を踏まえれば、中途半端な修正で済むはずはないと確信していた。
 これに先立つ23日、検査局長の佐藤はUFJ銀行頭取(当時)の寺西正司と険悪な雰囲気で向き合った。検査結果通知の席上でのことだ。UFJの査定の甘さを再三指摘した金融庁は、面談の直前までに寺西が赤字決算と辞任の方向を伝えるとみていた。だが寺西から言及はなく面談は短時間で終了した。
 2003年3月期の自己資本比率は4%台ーー。佐藤は寺西との会合で過去の決算を検証した数字を示した。自己資本比率が国際業務に必要な8%を大きく割り、国内基準の4%さえ危ぶまれる。衝撃的な数字を伝えUFJの軟化を迫った。
 「検査結果は決算にしっかり反映させるよろに。問題があれば直接頭取に報告を求め、決して妥協しないように」。検査、監督両局には竹中からの指示が伝わった。
 5月上旬、金融庁は攻勢をかける。24条報告。銀行法に基づき書面で報告させ矛盾点を突く。そんな手法でUFJを問いつめた。
 金融庁の強硬姿勢はUFJを担当する中央青山監査法人にも伝わる。「あとは監査法人次第だ」ーー。5月中旬、金融庁幹部はつぶやいた。

「信託売却が決算承認の条件」
5月中旬 監査法人は緊急計画発動を迫った

「高橋・内海の最終戦争だ」 信託業界のライバル激突

 「信託売却に伴う利益を計上してもらうことが決算を承認する意見書を出す条件です」−−。一転して4千億円強の連結最終赤字に陥ることになったUFJ。緊急プランとして研究していた信託売却を監査法人から発動するよう迫られた。
 今後の利益回復が確実でなければ、将来の税の戻りを見越して算入する税効果資本を否認されてしまう。8%の自已資本比率を無理しても維持し、秋に自力増資して再建を進めたい。当初7月末の公表予定で住友信託銀行と交渉を進めていた売却計画を5月24日の決算発表前の21日に前倒しで公表した。
 「3千億円と報じられているが、その価値は十分ある」−−。住友信託社長の高橋温は記者会見で、まだ固まっていない買収額をこう表現し、利益が欲しかったUFJを安心させた。
 UFJ信託に秋波を送ったのは高橋だけではなかった。業界の覇権を競う三菱信託銀行会長の内海暎郎も興味を示していた。だが、UFJは高い価値に理解を示す高橋に軍配を上げていた。
 実はUFJホールディングスは昨年秋にも住友信託と今回同様の売却計画でほぼ合意していた。しかし、ぎりぎりまで知らされなかったUFJ信託が「何を考えているのか。信託の総意として断固反対」と抵抗。UFJ銀行頭取(当時)の寺西は売却を断念し、発表の1週間前に急きょ中止した。今回の合意は高橋にとって「ようやく実現する」思いだった。
 UFJ信託の思いは複雑。「東洋信託時代、UFJに合流してくれと三和銀行から頭を下げられたと思ったら、今度は家を出ていけとは」。発表後、都内に集まった幹部らは悔し涙を流した。
 トップトラストを手にした高橋。海外の機関投資家を訪問し「本邦最強の資産運用・管理銀行を目指す」と力説した。三井住友のような普通銀行と組まなくても、存在感のある銀行になれるという自信が満ちていた。
 「UFJ信託は必ず我々のところに持ってくる」ーー。高橋に先を越された内海はUFJと住信の統合発表に衝撃を受けながらも次の一手を探った。21日の合意は基本合意書。基本契約書締結まで2カ月ある。三菱東京幹部は「内海は社長の上原治也とともに闘争心を隠さなかった」と振り返る。この後、東京三菱銀行会長の三木繁光らとUFJ獲得に動く。
 一方、基本契約締結に向けたUFJと住友信託の交渉は大詰めの段階でぎくしゃくし始めた。「3千億円とされた売却益は実質的には2千億円以下になっていた」とUFJ信託幹部は漏らす。住友信託は資産査定で退職給付の積み立て不足や保有資産の多額な含み損を厳しく指摘。「すんなり調印できる状態ではなかった」とUFJ幹部。
 結局、調印まであと1週間のタイミングでUFJは計画を白紙に戻す。住友信託は「財務内容の認識が変わっても、統合を中止させる根拠にはならない」と怒るが、売却益減少もUFJの決断の一因となったようだ。
 高橋と内海。同じ1965年入行でともに経営中枢部門を歩んだ信託エリート。規制時代には都市銀行の攻勢から信託業界を守るためにスクラムを組み、一度は都銀に対抗して経営統合を模索したほどの仲だ。それが三菱信託の三菱東京入りなどで敵対的なライバルになってしまう。UFJ信託を獲得した方がトップになる。ある信託銀幹部は「高橋、内海の最終戦争だよ」と解説した。

「刑事告発も検討します」
6月18日 カードちらつかせ圧力
 
 「検査忌避チーム」。金融庁は2003年末、極秘のプロジェクトチームを立ち上げた。
 メンバーは検査局の職員や外部の法律専門家ら。任務は、一連の資料隠しを銀行法上の検査忌避罪と認定できるかどうかを探ること。発足直後、検察にも水面下で見解を求めた。肯定的な反応だった。
 ただ銀行法は犯罪捜査を目的とした検査を禁じている。「刑事告発を前面に出せば、後々トラブルになりかねない」−−。金融庁はこの問題をしばらく棚上げした。
 「刑事告発も検討します」ーー。6月18日、竹中は記者団にこう述べ、告発の可能性に初めて言及した。UFJに検査忌避など4つの業務改善命令を出した直後だ。
 この日、検査忌避に関する事務方の記者説明は前例がないほど詳細にわたった。
 「社内メールや行内会議で資料の隠ぺいが指示され、組織ぐるみの不正があった」
電子データは廃止された部署のコンピューターに移した」「大口融資先企業の経営者との会話議事録を大量に改ざん・削除した」。UFJの対応をつまびらかにしUFJをけん制する狙いが透けて見えた。
 だが金融庁は実際に告発に踏み切るかどうかを明確にしない。「忌避の悪質性や検査への影響、個人や私企業を罰する重要性を総合判断する」。告発をあいまいにすることでUFJの危機感を促し、金融庁ぺ−スにする狙いもあったようだ。
 告発発言の1カ月前、竹中は副大臣の伊藤らと首相官邸を訪問した。
 「今後の焦点はガバナンス(経営体制)と大口債務企業の再生です」ーー。首相の小泉純一郎への説明をこう締めくくった。銀行の経営改革を徹底しなければUFJ問題は決着しない。
 告発カードは結果として金融庁の思い通りの方向へとUFJを動かした。日本信販会長への就任が決まっていた副頭取の岡崎和美をはじめ旧経営陣は相次ぎ退任を迫られた。
 もう一つの懸案、大口債務企業の再生問題も動き出した。UFJは双日、アプラスなどの再建策を相次ぎ作成。竹中が主張するダイエーに対する産業再生機構の活用もUFJなど主力取引3行が強く推進しつつある。
 「告発するかどうかを急いで決める理由はない」。三菱東京との統合が確実になってもなお、金融庁はUFJの対応に目を光らせている。

三菱東京・UFJの統合劇はこう動いた
▽2003年
10月9日   金融庁、UFJの特別検査で大口融資先の内部資料を発見
    22日   竹中金融相、厳格な検査を指示
11月7日   特別検査が終了。融資先の評価結論出ず
▽2004年
1月   金融庁、検査忌避追及へ始動。実力検査官を担当にあ
4月23日   金融庁・UFJに検査結果を通知。自已査定の甘さを指摘
   28日   UFJ、前3月期決算見込みを3割下方修正。黒字は維持
5月上旬   金融庁、決算作りで銀行法に基づく報告求める
   21日   UFJ、赤字決算を覚悟。住友信託への信託売却を発表
   24日   UFJ,4000億円の最終赤字を発表。3首脳が引責辞任
5月下旬   沖原新頭取、三菱東京の三木社長に就任あいさつ。三木社長、統合打診
6月18日   金融庁、UFJに検査忌避などで業務改善命令
竹中金融相が「刑事告発も検討」と発言
6月末   三木氏、トップ交代で沖原氏を訪問。再度統合の意思伝える
7月初め   沖原新頭取、三井住友の西川社長に就任あいさつ。統合の打診受けず
7月5日   沖原氏、三木氏と極秘会談。統合に前向き回答
   11日   参院選で竹中氏大勝。三菱東京、UFJ首脳6人が統合問題で会談
   14日   UFJ・三菱東京に統合正式申し入れ、住友信託に信託売却を白紙撤回
   16日   UFJ、三菱東京が統合交渉で合意
住友信託、UFJと三菱東京の統合交渉を差し止める仮処分請求
   27日   東京地裁、UFJに交渉禁止の仮処分命令
   28日   UFJが組織的な検査忌避を認める
   30日   三井住友、UFJに統合を申し入れる方針を表明
UFJ「三菱東京との統合不変」
8月6日   三井住友、資本支援5000億円超など統合条件をUFJに送付
   11日   東京高裁、地裁の仮処分取り消し
三菱東京、UFJへの資本支援計画を発表
   12日   UFJ、三菱東京と経営統合で基本合意
   24日   三井住友、UFJ株主向けに1対1の統合比率公表
   30日   最高裁、住友信託の抗告を棄却
9月10日   UFJ・三菱東京からの7000億円の資本増強を発表
9月中間決算予想を赤字に下方修正

「統合を考えてみませんか」
5月下旬 三木氏は沖原氏を誘った

 「経営統合を考えてみませんか」ーー。5月下旬、頭取交代のあいさつに訪れたUFJ銀行前頭取の寺西正司、新頭取沖原隆宗に、三菱東京社長(当時)の三木繁光はUFJグループとの再編への思いを伝えた。
 三木の発言には布石があった。5月20日朝、「UFJ、住友信託銀行に信託売却」との報道が流れたからだ。三木は「信託統合をきっかけにUFJ銀行が同じ住友系の三井住友銀行と合併に動くのでは」と懸念した。メガバンクのなかで三菱東京は規模で劣る。総資産180兆円の巨大ライバル銀行の誕生は何としても阻止したかった。
 だが沖原は三木の誘いをやんわりとかわした。「いろいろ相談させてください」ーー。UFJは9月末をメドに4千億円の増資を実施して自力再生をめざす計画で「再編はあくまで有事対応」というスタンスだった。
 それが6月18日を境に事態が急変する。
 「告発リスクがあると資本の市場調達は難しい」ーー。金融庁が検査忌避でUFJを刑事告発する可能性をちらつかせ、増資を提案した大手証券会社がUFJに公募中止を通告した。市場からの資本調達に代わって、資本引き受け力が大きい米シティグループ、英HSBCがUFJ買収に乗り出すらしいとのうわさも流れた。
 三菱東京の首脳陣は「UFJを外資にとられたら、規模拡大への最後の機会を逸する」と危機感を募らせた。ここ数年、東京三菱銀行と三菱信託銀行との連合で量より質を求めてきたが、昨年夏ごろから「どんなに連携を強化しても規模で劣れば強くなれない」と考えるようになっていた。
 6月末、三木は新社長の畔柳信雄とともにトップ交代のあいさつにUFJを訪ね、沖原に再度統合への思いを伝える。同じころ金融庁にも「UFJを引き受ける考えがある」と伝えた。
 7月初め、沖原から三木へ面会の申し込みが入る。都内で二人きりの会談だった。
 「9月までに7千億円の資本増強が必要だ」−−。沖原は率直にUFJの経営状況を話した。
 三木は再編への手応えを感じた。だが不安はあった。UFJの不良債権は公表数字通りなのか、UFJが刑事告発されても統合は可能か、住友信託との基本合意を白紙に戻せるか……。三木にはじっくり考える時間が必要だった。
 だが、UFJには時間がなかった。銀行間市場で9月末の期越え資金がとりにくくなり、信用不安が足元に迫ってきた。「救ってくれればどこだって構わない」ーー。UFJは三井住友、りそなグループにもトップ会談を申し込んだ。
 沖原は頭取就任あいさつとして三井住友社長の西川善文を訪問した。だが、統合の二文字は出なかった。
 りそな会長の細谷英二とは日程が合わなかった。三木だけが頼りとなった。
 「今日から休みは1日もとれないと思え。死に物狂いで今回のディールをモノにしろ」ーー。7月6日、UFJ獲得を決断した三菱東京の首脳陣は経営企画部門の役職員を集め、統合への作業入りを指示した。慎重に事を進めることで知られる三菱東京だが、今回は賭けに打って出た。
 もう一つ決断すべき課題があった。UFJ信託の扱いだ。東京三菱銀行では、住友信託とこじれるのを避けるため信託抜きの統合を容認するムードが出てきたためだ。
 9日。三菱信託社長の上原治也は東京三菱頭取の畔柳と直談判した。
 上原「統合は信託も含むグループ全体でぜひともお願いしたい」
 畔柳「上原さんの気持ちはわかっている」
 グループの経営会議議長を務め経営への事実上の拒否権を持つ上原。その一押しで全面統合の方針が決まった。

 

「さらなる再編は避けられない」
7月5日 沖原氏は決断した

 「金融庁の指摘を反映すると双日の分だけで1300億円もの追加損失を計上しなければならない。9月中間期も黒字は無理だ」。6月下旬、UFJ経営陣は青ざめた。
 告発カードをみせながら一段の改革を迫る金融庁。自力増資が困難になった今、再び巨額赤字に陥れば自己資本比率8%割れは確実。沖原には「自力再建は難しい」という悲壮感が漂った。周囲も動き出した。
 「りそなグループとの統合も一案では」。金融相の竹中平蔵に近いとされる経営コンサルタントはUFJに提案を持ち込んだ。「竹中氏の本命案かも」と受け止めたUFJはひそかにシミュレーションを実施した。関西で圧倒的に強いスーパー地銀になるものの、計4兆6千億円もの公的資金の返済は事実上不可能との結論を出した。
 「海外業務から撤退して自己資本比率4%超の国内銀行になり、関東、中部、関西の三行に地域分割する案はどうか」ーー。UFJ内部で浮上したこの案も、海外撤退費用が最大4500億円に上ることが判明、選択肢から消えた。通信系大手企業から数千億円の出資を仰ぐ構想などほかにも案が出たが、いずれも決め手を欠いた。
 「銀行は規模を大きくしなければならない。さらなる再編は避けられない」ーー。7月4日の日曜日。沖原は数人の幹部を慰労するため、東京・広尾にある自宅マンションに招いた。そこで持論の金融再々編論に熱弁を振るった。
 翌日の5日。沖原は東京三菱銀行会長の三木との極秘会談に臨んだ。統合の打診を受けた回答をするためだった。UFJ内でも数人しか内容を知らないこの会談で統合の方向が固まった。
 実はこの段階でもUFJは三井住友との統合シミュレーションを綿密に実施していた。しかし統合後の新銀行は巨額の公的資金を抱え込み、大口融資先の再生・処理にも時間がかかる。双日再建では準主力の三菱東京の協力も不可欠だった。
 参院選投票日の11日。三菱東京、UFJ双方の首脳・役員による6者会談が都内で開かれ、統合の枠組みなどを議論した。「住友信託に白紙撤回を通告した上で、UFJが三菱東京に統合を申し入れ、三菱東京がこれに応じる」ーー。段取りが固まった。
 13日午後5時過ぎ。UFJホールディングス社長の玉越良介は住友信託社長の高橋温を理由も告げずに突如訪れた。
 玉越「信託だけでは足りず、グループ丸ごとなんとかしなければならない。共同事業の話は履行できなくなった」
 高橋「全く理解不能な申し入れで、到底容認できない。国内銀行になる道もあるではないか」
 玉越「国際銀行のポジションは譲れない。自分の申し出に全く理がないことは承知している」
 翌14日の9時前に玉越は高橋を再訪問。「法的手段も辞さない」と迫る高橋に、玉越は「全くもってお願いの世界だ」と懇願した。
16日。UFJと三菱東京は予定通り統合交渉入りを発表。高橋は白紙撤回は不当と東京地裁に駆け込んだ。再編を司法の判断に委ねる異例の展開になった。



「仮処分 よかったですな」
7月27日 西川氏、高橋氏と組む

 「やってみなければわからない。可能性はある」ーー。7月30日朝、三井住友社長の西川は自宅前に詰めかけた記者団にUFJに統合を申し入れる方針を宣言した。
 話は3日前にさかのぼる。7月27日夕、東京・丸の内の銀行会館。金融庁幹部との意見交換会に出席した銀行トップたちに秘書から次々とメモが差し入れられた。東京地裁が三菱東京とUFJに信託部門の交渉を禁じる仮処分決定を下した一報が伝わった。「よかったですな」ーー。帰り際にエレベーターで乗り合わせた高橋に西川は声をかけた。
 実は高橋は7月16日の三菱東京・UFJの統合交渉発表の直後から西川に接触し、UFJとの統合で共同歩調を呼びかけていた。西川は態度を明確にしていなかったが、仮処分決定で統合交渉が一時中断。それが心境の変化をもたらした。
 エレベーターでの会話の2日後、高橋は西川に電話で共同歩調を再度要請。西川は旧さくら銀行出身の会長、岡田明重に相談。誘いに乗ることを決めた。「信託部門のねじれ状態が続けば、UFJが心変わりする可能性もゼロではない」
 だがUFJ経営陣の方針は揺るがなかった。住友信託との交渉を白紙撤回して三菱東京と組む決断をしたばかり。再度の方針転換は風評リスクにつながる。西川からの面談を求める電話にも、沖原は「会っても意味がない。お断りしてくれ」と秘書に指示。週明けの8月2日には正式に断りの電話を入れた。
 「UFJの経営陣はあてにしていない。我々がみているのは株主だ」−−。門前払いを受けた西川は統合の考え方を公表、UFJの株主を味方につける作戦に出た。6日には「5千億円以上の資本支援が可能」「人事は対等の精神」といった内容を盛り込んだ配達証明付き郵便をUFJに送った。
 11日、東京高裁が地裁の仮処分を取り消し、翌12日には三菱東京とUFJは全面統合で基本合意。「信託部門のねじれ」という統合申し入れの殺し文句は崩れた。それでもあきらめない。
 24日には統合比率を「1対1」とする案を公表する。直近の株価を基準にすると1対0.7前後となる計算だったが、あえて30%程度を上乗せし、UFJの株主に配慮した。
 「我々の株主には説明がつかない」ーー。取締役会では複数の役員から異論が出る。それでも西川は押し切った。
 なぜ西川はこれほどまでに執念を燃やすのか。あるUFJ関係者は「西川とUFJ銀前頭取の寺西は大阪大の先輩、後輩の間柄で親しい。両グループの統合に向けた話をしていたようだ」と打ち明ける。寺西はUFJ信託を住友信託に売却し、UFJ銀行を三井住友銀行と統合することを考えていた可能性がある。
 しかし、寺西は引責辞任し沖原に代わった。西川はUFJが追い込まれれば、いずれ統合の相談に来ると、ゆったり構えていたのではないか。西川にとってはUFJの首脳交代が誤算だったのかもしれない。

 

「株主に直接働きかける」
9月10日 三菱東京との闘い続く

 「今日中に資本増強に関する基本合意をし、発表したい」。8月11日午後、三菱東京社長の畔柳はUFJ社長の玉越にこう呼び掛けた。
 この日の午後1時40分ころ、東京高裁が信託の統合交渉中止を取り消す決定をした。畔柳は予想外の吉報に驚いたが、同時に三井住友の攻勢におびえた。「三井住友が攻めてくる前に決着させたい」と考えた。
 午後3時、三井住友は早くも動き出す。UFJに送付した統合提案内容を公表、「5千億円以上の資本支援が可能」とUFJの株主に訴える作戦に出た。「これを上回る条件でないとUFJの株主が納得しない」。畔柳は当初2500億−3千億円と想定した引受額を一気に5千億円まで増額し、最大7千億円まで協力すると提案した。
 元々、三井住友封じに高裁決定が出たら間髪を入れずにUFJと統合の基本合意書を締結するシナリオを描いていた。だが全体の合意には時間がかかる。まず資本支援だけ先行して合意を結ぶ作戦に変更した。「三井住友の挑発に乗った」と三菱東京幹部は明かす。
 「社外取締役の日程を押さえろ」ーー。両グループは臨時取締役会を夜に開くためバタバタと準備作業に追われた。玉越、畔柳が再び会ったのは夜10時過ぎ。合意内容の公表は11時40分。高裁決定からわずか10時間のスピード決着だった。
 三菱東京はなおも三井住友を意識した。9月10日が資本支援の条件決定日。敵対的買収を想定した防御策を練った。
 関係者によると三菱東京は当初、UFJ銀に出資する優先株を議決権付きに転換して得られる議決権の割合を、経営権を握れる50%超にするよう主張。だがUFJは抵抗し、経営方針を拒否できる3分の1超で決着したという。「西川の影におびえすぎている」とUFJ幹部はあきれる。
 だが三井住友は10日、「UFJ銀行の発行する優先株の条件はUFJホールディングス株主の利益を著しく害する」とのコメントを発表。「株主の皆様に直接働きかける」と宣言した。
 最高裁が住友信託の抗告を棄却した8月30日以降、金融界では「西川はあきらめるかも」との見方が強かった。しかし、そうではなかった。
 UFJ株主から株主総会の委任状をもらって三菱東京との統合を阻止する作戦に出るのか、株主から株を買い取る株式公開買い付け(TOB)に踏み切るのか。闘いはまだ終わっていない。