日本はコメ輸入について、1993年の関税・貿易一般協定(ガット)多角的交渉(ウルグアイ・ラウンド)合意にもとづき、毎年、一定の量を外国から輸入する義務(ミニマム・アクセス)が課せられている。現在は年間約77万トン規模で、原則として国内で消費するよう求められている。主に焼酎やせんべいなどの加工用に使われているが、2007年10月末現在で152万トンの在庫がある。

 

 

 

ウルグアイラウンドにおけるコメ問題の決着】
http://www.eiche.kais.kyoto-u.ac.jp/Vorlesungen03/Heft08.html

ガットウルグアイラウンドにおいては、コメに対しても自由化・関税化が要求されていた。

決着が付くのが3年間も伸びたが、ようやく1993年12月に決着。
どのように決着したのか?

1992年の終わりにドゥンケル事務局長の調停案。
 「例外なき関税化」 … ただし、内外価格差を基準に関税率を設定。

 アメリカは、すぐに、カリフォルニア米と日本米の内外価格差を8倍と算定。

 8倍の内外価格差があるとすれば、
700%の関税率が設定できる。
 そうすれば、カリフォルニア米と日本米は同じ価格水準に保たれることになる。

 したがって初年度は、簡単には外国の品物が入ってくることはない。
 徐々に関税率を下げていく(国内の体制を整えていく)。
 極端に輸入が増えるということはなくなる。

 ただ、付帯的なものがついていた。
 ミニマムアクセスというのがそれ。

 ガットにおける自由貿易体制のなかにあるからには、どの品目においても一定程度の輸入は行なっていこうじゃないか。

 一定率以上の輸入が義務付けられる。
 ドゥンケル案では3%のミニマムアクセス。

 1995年には、コメは30万トン →0.4%ずつ増量。
 2000年には、50万トン。

日本は、ドゥンケル案を受け入れなかった。
自由化・関税化はできない、とあくまで主張した。

そして、1993年に妥結した案は、関税化をしない代わりに、ミニマムアクセス量 の増量。

 1995年には、40万トン →0.8%ずつ増量。
 2000年には、80万トンが輸入されることになった。

 ミニマムアクセスだけ受け入れるというのは、コメ市場の部分開放。

 それまでの「コメは一粒たりとも入れないと」いう、原則的に輸入禁止から、 輸入数量枠を決めて、その範囲内で輸入という形と同じになり、市場開放が進んだことに間違いはない。

 ただし、ミニマムアクセスと輸入数量制限とは、同じ部分開放ではあるが、 微妙な点で違いもある。

 ドゥンケル案と、受け入れた場合のシミュレーション。

 速水佑次郎青山学院大学教授 →2000年で70万トン。

 現時点から判断すると、関税化を受け入れていても、速水教授の予測よりさらに少ない量しか輸入されていなかったと考えられる。

 実際には、ミニマムアクセスはドゥンケル案を受け入れた場合に予測される輸入量より多くなっている。

1998年11月に、政府は急に1999年4月からのコメの関税化を発表。
 理由としては、2年間で12万トン、輸入米(ミニマムアクセス量)を減らすことができること、200年以降のWTOでの自由化交渉に有利な形で望めること、などを挙げていた。

 1999年4月に、関税率1000%に当たる、従量税1キロ当たり351円を課して関税化。

 それでは、何のために、ウルグアイラウンド合意時点に、あのような決断をしたのか?

 海外との関係からいって、何らかのコメ市場の開放をせざるを得なかった。

 絶対開放阻止、完全自給体制の堅持などといくら口で言っていても、それが実現性のないものであることは、みんなわかっていた。

 そして、二つの選択肢の内の部分開放という道を選んだ。
 それは、日本農業にとって必ずしも得な選択ではなかった。

 にもかかわらず、なぜこの道を選んだのか?

 それは、いまの農業構造を変えたくなかった。
 その農業構造とは、官僚主導型農業構造と呼ぶことのできるもの。

 この構造の中身がどのようなものであるかを知ってもらうためには、農業などについて、もう少しいろいろな知識を持ってもらわなくてはならない。