2008年10月15日、Lehman Brothersの倒産後の混乱がまだおさまらないころ、ワシントンポストが詳細な内幕記事を掲載した。


商品先物取引委員会(CFTC)の委員長に1997年に就任したBrooksley Born女史は、信用派生商品が、取引所ではなく、店頭で取引されており、従って、担保や証拠金を預かる中央決済機関もなく、取引記録もあいまいなまま、急成長していることに懸念を抱いた。

しかし、1998年4月の金融市場作業部会では、Greenspan議長,財務省Lubin長官,SEC Lebitt委員長といったウオール街で財と名声をはせた大物は、そろって信用派生商品の規制に反対した。CDSなどのスワップは、CFTCが監督する先物やオプションではないからだ。
Greenspan議長は、専門家によって交渉され合意された信用派生商品取引の規制は不必要である、と述べている。

同じ年の9月にLTCMが破綻するという大事件が起こっても状況は変わらなかった。信用派生商品を多用し、簿外のレバレッジ比率が100対1、200対1になっていたことが明らかになった。CFTC Born委員長が、この事件は店頭で取引される信用派生商品が米国経済と金融システムに及ぼすリスクへの警鐘だと議会の公聴会で訴えるが、誰も規制に同調しなかった。

財務省は自主規制を導入しようと試みるが、業界は、乗り気にならず、その間にCDSは、2008年央で55兆ドルとNYSEの時価総額30兆ドル(2007年末)を上回る規模に達した、バブルが崩壊するとAIGを始め、金融機関を存立の危機に追い込む主犯になる、

というのが記事の概要だ。

この記事のなかで、Greenspan議長は、自己の破滅を避けたいという投資家の自然の願望が、過剰なリスクに対する最善の防波堤になる、市場の効率性に重荷になるような規制をして、巨大なビジネスを海外に追いやってはならない、と公言していた、と紹介され、CDSの規制に反対だったことが白日の下に曝された

しかし、Lehmanの破綻以降の金融市場の混乱と湧き上がるGreenspan批判の中で、Greenspan前議長は2008年10月23日の議会公聴会で、ついに、「金融機関の自己利益の追求が株主の利益を保護すると信じていた者は、特に私を含めて、ショックを受けており信じられない気持ちだ、自由市場にも欠点があることを私は発見して、非常に困惑している。」と認めざるをえなかった。

金融市場のように、重要な市場であると同時に不安定なことが分かっている市場において自己利益がすべてを解決することだけに頼ったのは重大な間違いだった、とFT紙は決め付ける。

いずれにせよ、自由市場主義者の象徴ともいえるGreenspan前議長が公衆の場で過ちを認めたこの公聴会が、自由で競争的な市場という市場資本主義が、国家の統制が強い「国家資本主義」に変質していく分水嶺であった、といってよい。

大きな時代の変化

1979年にサッチャー首相、1980年にレーガン大統領が登場し、小さな政府、規制緩和を提唱してから始まった「市場資本主義」という大きな時代の流れが変ろうとしている。

アレキサンダー大王が牛車をつないだ複雑な縄の結び目(Gordian knot)を解こうとして解けず、剣を抜いて切ってしまった、というギリシャの伝説がある。この話に感激した銀行家がCitibankから独立して新しく興した投資顧問会社を“Gordian knot”と命名し、今までの規制の枠から考えられなかったスキームを考案し、銀行の簿外で取引できる
SIVStructured Investment Vehicle)を打ち上げたのは1980年代半ばのことだった。

同じく、AIGを実質国有化に追い込んだCDS の取引にAIGが関与するようになるのは、1980年代半ば、小さな投資銀行を独立した銀行家がAIGと合弁でAIG Financial Productsを設立してからだった。

今はまだ金融危機の4合目に過ぎないとすれば、最終的にどんな規制が導入され、どんな市場形態になるのかが判明するまではまだ時間がかかるだろう。しかし、潮の流れは変わった。市場資本主義が再び力を盛り返すには、一つの世代が必要かもしれない。

--------

商品先物取引委員会(CFTC)の委員長を務め、デリバティブの危険性に警告を発した女性がいた。その女性、Brooksley Bornが、このところ改めて注目されている。

もっとも、Bornの当時の行動がこれまでまったく報じられなかったわけではない。かねてから――特にこの危機に関連して――あちこちで取り上げられている。たとえば、スティグリッツのヴァニティ・フェア記事でも、彼女のデリバティブ規制強化の動きを潰したとして Lubin、Summers、Greenspanの3人が断罪されている。

彼女がここにきて改めて脚光を浴びたのは、2009/5/18に、シーラ・ベアFDIC長官らと共に、ケネディ財団から2009年度のProfile in Courage Award(ケネディのピューリッツア賞受賞作「勇気ある人々」にちなんだ賞)を受け、久々にマスコミの前に姿を現したからである。

クリントンがケネディに憧れて大統領になったことを考えると、彼の政権下で重要閣僚の圧力に抗して闘った弱小官庁の長が、その勇気を称えられてケネディにちなんだ賞を受賞した、というのは何とも皮肉に映る。

ちなみに、彼女の当時の行動を取り上げた日本語の記事は、ざっとぐぐっただけでも以下のようなものがあった。説明代わりに引用しておく。

ボーン氏はCFTC委員長を務めていた1998年、取引を規制せず野放しにすれば「経済が重大な危機にさらされる」可能性があると言明したが、規制導入をめぐり、Greenspan前米連邦準備制度理事会(FRB)議長やルービン元米財務長官との縄張り争いに屈した。

93年から99年までCFTCの委員を務めたジョン・タル氏は「ブルックスリー氏の正当性が証明されてきている」と指摘。「皆が彼女の主張に耳を傾けていれば、今回の大惨事は回避できたかもしれない」と語る。

引退してワシントンに住むボーン氏は今回、インタビューには応じなかった。

(2008/11/13ブルームバーグ記事)


 デリバティブ規制については、金融界で有名なエピソードがある。

 米ヘッジファンドのLTCM(ロング・ターム・キャピタル・マネジメント)が破たんの危機に直面し、米当局主導の救済パッケージが講じられた1998年、当事CFTCの委員長を務めていたブルックスリー・ボーン氏は、デリバティブの相対取引を野放しにすれば経済が重大な危機にさらされる可能性があると警鐘を鳴らし、当局者らと懇談にのぞんだ。

 しかし、Greenspan前FRB議長、ルービン元米財務長官、レビット元SEC委員長が異口同音に規制導入に異議を唱えたため、ボーン氏の主張は排除された。

(2009/5/14ロイター記事