アサハンアルミニウム計画 (住友化学社史より)

 インドネシア北スマトラのトバ湖ならびにアサハン川の水力電源は、古くから識者の注目するところであったが、インドネシア政府は、同島の産業開発のため、アサハン川に大水力発電所を建設し、その豊富、低廉な電力をもって、アルミニウム製錬を行なうことを計画し、これに対する外国企業の参加を期待していた。1969年には、アメリカのカイザー社が、ついで当社・日本軽金属・昭和電工からなる日本3社連合が、さらにアメリカのアルコアが相次いで同地におけるアルミニウム製錬に関心を表明した。

 日本の3社連合は、当社を幹事会社に選定し、交渉の一切を一任した。当社らは70年、現地に調査団を派遣して計画の素案を作成し、71年これをインドネシア政府に提出した。これによると、同国によって計画中のアサハン川第二発電所から電力の供給を受け、クアラタンジュンの200万平方メートルの用地に、年産20万トンの製錬工場を建設して、アルミニウム製錬を行なうこととし、所要資金は、公共投資などを含め約680億円、電力供給価格は1キロワットアワー2.2ミル(円貨換算79銭)、所要人員は2200人と見積られた。

 

 

 インドネシア政府は、はじめ電力開発を同国政府自らが実施することとしていたのを変更し、72年1月、電力開発と製錬工場の建設を併せた一貫プロジェクトとして、外国会社に実施させるとの方針を打ち出してきた。日本側では、当社長谷川社長は、これをナショナルプロジェクトとして推進すべきであるとして、広く他社へも参加を呼びかけ、一方米国のアルコア、カイザー両社にも参加を求め、体制を強化して本計画に取り組むこととした。

 そして電力開発のための長期低利資金の供与を日本政府に陳情する一方、インドネシアアサハン委員会と、進出条件について交渉を重ね、74年1月、基本協定書に調印した。

 本計画は、北スマトラ、クアラタンジュン地区にアルミニウム年産22万5千トンの製錬工場(7万5千トン3系列)を建設し、所要電力としてアサハン河上流のシグラグラ、タンガの両瀑布に最大出力51万3000キロワットの発電所を建設しようとするものであった。所要資金は2500億円と見積られ、製錬工場の第1系列は81年後半に稼動し、全設備の完成は84年と予定した。

 しかし、その後、世界的なアルミニウム業界の不況のため、巨額の資金を必要とするこの計画に対しアメリカ側2社は資金の調達難と電力開発の一括実施に強い難色を示し、74年8月この計画への参加を断念したために本計画は日本側のみで実現を図ることとなり、三井アルミニウム工業と三菱化成工業を加え、業界をあげて取り組むこととなった。

 当社は74年11月、軽金属事業部に臨時海外開発室を設け、アサハン計画に関する企画・調整・資金調達の業務にあたらせることとし、また前記基本協定書に基づき、細部の条件についてインドネシアアサハン委員会と数次にわたって交渉を重ねたすえ、74年12月、主契約書の仮署名を行なった。

 さらにこの資金の調達については、当社は日本政府ならびに政府系金融機関に対し、精力的に働きかけソフトローンの実現に努めた。一方インドネシア側も同国のナショナルプロジェクトとして、本計画を推進することにし、スハルト大統領は75年4月、インドネシアを訪問した河本通産大臣に対し、日本政府からの資金供与を強く要請した。この間、製錬5社は住友商事・伊藤忠商事・日商岩井・日綿実業・丸紅・三菱商事・三井物産の7商社に本計画への参加を求め、ナショナルプロジェクトとしての体制を確立した。

 75年7月、日本政府は、本計画を日本・インドネシア両国間の最重要経済プロジェクトとして実現を図ることとし、日本輸出入銀行、海外経済協力基金と国際協力事業団を通じ、所要の資金援助を行なうことを閣議決定した。これによって、本計画は具体化のための諸条件が整ったので、同年7月、インドネシア政府のスフッド投資調整委員会副委員長と当社長谷川社長をはじめ参加12社の代表者によって主契約書が調印された。

 1975年7月の日本側参加12社とインドネシア政府間の基本協定の締結、同年11月の同12社による日本側投資会社「日本アサハンアルミニウム株式会社」の設立に続き、同年12月に海外経済協力基金の引受による倍額増資が行なわれた。資本金は3億円、株主と出資比率は同基金50%、当社、昭和電工、三菱化成工業(現、三菱化学)、日本軽金属および三井アルミニウム工業(現、三井アルミニウム)各7.5%、住友商事、丸紅、三菱商事および三井物産各2.5%、日商岩井および日綿実業(現、ニチメン)各0,835%、伊藤忠商事0.83%であった。なお、その後同社の資本金は計画の進捗に応じて引き上げられた。

 76年1月、この計画の建設と運営に当たる現地会社「ピー・ティー・インドネシア・アサハン・アルミニウム」(P.T.Indonesia Asahan Aluminium、略称:INALUM、以下、イナルム社)が、
日本アサハンアルミニウム90%、インドネシア政府10%の出資により設立された。また、同月にはインドネシア政府は基本協定の規定に従い、行政手続き簡素化のための同政府、地方政府および現地会社間の連絡、同協定上のインドネシア政府の権利、義務の執行などを担当する「アサハン開発庁」(Asahan Development Authority、現、Asahan Authority)を設置した。

 基本協定に定められた計画の概要は、北スマトラ州クアラタンジュン地区にアルミニウム年産能力22万5000t(7万5000t,3系列)の製錬工場を建設し、その電源としてアサハン川上流のシグラグラ(落差200m)およびタンガ(落差150m)両瀑布に最大出力合計51万3000KWの発電所を建設しようとするものであった。タウン、道路、港湾などのインフラストラクチャーの整備を含め、所要資金は74年5月の価格基準で2500億円と見積もられた。

 製錬工場の第1系列は81年後半の稼働、また全設備の完成は84年と予定されていた。また、基本協定では日本側の地金引取量は生産量からインドネシア側の引取量(3分の1を上限)を除いたもの(うち住友アルミニウム製錬分は5分の1)であり、引取価格はイナルム社が決めるとされていた。
 なお、この協定の有効期間は「生産開始」(全炉の3分の2が通電した日の翌月1日)から、(増設などのない)場合)30年後に満了し、この計画の設備は簿価などの補償を条件として、インドネシア政府に移管されることが約定されていた。

 75年から77年末にかけ、電力、製錬およびインフラストラクチャー全般にわたる地形、地盤、気象条件の調査が行われた。引き続き、この調査の結果を前提とした詳細設計を行い、これに基づいて所要資金を見直したところ、石油危機の影響による資機材の価格、労務費などの上昇と一部設計の変更により、見直し後の所要資金は4110億円に増加した。その部門別内訳は製錬2240億円(当初見積1270億円)、電力1230億円(同800億円)、インフラストラクチャー480億円(同220億円)、その他160億円(同210億円)であった。

 そこでインドネシア政府と見直し計画の協議を重ね、78年8月、この計画の所要資金とその調達方法について合意し、同年10月、日本政府、インドネシア政府、日本側参加12社およびイナルム社との間で基本協定の修正契約書を調印した。見直し後の資金調達計画は、資本金911億円(当初750億円)、借入金3199億円(同1750億円)となった。

 同年12月、これに基づく増資払込みにより、同社における持株比率は日本アサハンアルミニウム75%、インドネシア政府25%になった。

 この間、77年から78年にかけて発電所および製錬工場用地への道路の改修、進入道路、建設用宿泊設備、工業用電力設備の建設などの準備工事を行い、78年6月、発電所、製錬工場、タウン、港湾の着工式を挙行した。

 当社(住友アルミニウム製錬および住友東予アルミニウム製錬を含む)は、この計画の推進役として、調査、工事、経営管理などについて参加者から委託を受けていたため、全力をあげてこれに取り組んだ。計画の進捗に伴い、現地で業務に携わる社員の数も次第に増加し、最盛期には約200人に達した。電力関係は出向者の派遣など調査段階から束京電力の特段の技術上の協力を受け、操業は住友共同電力からの出向者が担当した。なお、77年3月、住友アルミニウム製錬はイナルム社にプリベーク式電解炉の技術を供与した。

 プロジェクトの遂行に当たっては日イ相互の理解と協調に努めたほか、特に次の諸点に留意した。 
 第一は、インドネシアの国内産業と国内業者の優先使用で、最終的にはインドネシアでの調達額は30%になった。
 第二は、インドネシア人の最大限の雇用と同国への技術移転であった。OJT(オン・ザ・ジョブ・トレーニング)を積極的に行うとともに、基幹要員約100人を約1年間日本に送り、住友アルミニウム製錬東予製造所と東京電力で教育、実習を行った。
 第三は、プロジェクト周辺のアサハン地域の開発であった。電力の供給、役所庁舎、校舎などの地方J政庁への寄贈、奨学金の創設など、地域との共存共栄に努めた。

 

アサハン全面操業

 1978年6月の発電所、製錬工場、タウンおよび港湾工事の着工式以来、アサハンアノレミニウム計画の建設工事は本格化した。80年4月7日にはスハルト大統領を迎え、日本、インドネシア両国の関係者多数が出席してシグラグラ発電所の定礎式を挙行、地下の4基のタービン設置地点の一つに礎石が定置された。81年7月に港湾設備が完成、10月には送電線の敷設を終えた。

 アサハンアルミニウム計画の第一期工事(アルミニウム年産能力7万5000t)の完成を機に、82年1月20日、スハルト大統領夫妻の臨席の下、製錬工場で日・イ両国の関係者約1200人が出席して盛大な開所式が行われた。日本側からは政府、政府系金融機関、日本アサハンアルミニウム、同参加各社、協調融資金融機関、建設関係会社の首脳など約200人が出席した。インドネシア側からは大統領夫妻のほか多数の閣僚や要人などが出席した。スハルト大統領はあいさつのなかで、アサハン計画は日・イ両国の協力と友好の記念碑であるとして完成を讃えた。

 82年2月、製錬工場は操業を開始、11月末に同工場の第1系列(計170炉)の立ち上げが完了した。83年6月には発電設備がすべて完成し、同年10月19日、製錬工場の第2系列の立ち上げが完了し、操業炉数は全炉数の3分の2に当たる340炉となった。これにより、翌月の初日である同年11月1日が基本協定に定める「生産開始」の時点となった。

 その後も建設は順調に進捗した。84年11月6日、全設備の完成を記念して三たびスハルト大統領を迎えて完工式を挙行し、全面操業の運びとなった。日・イの協力により工期、予算内での完成であった。

 この間、82年10月末、日本向けアルミニウム地金第1船が日本に到着した。引取価格はアルキャン国際建値をべ一スに予め定められていたので、同建値がt当たり1750ドルの当時、国際市況同950ドルより相当高値であり、参加製錬各社にとっては事実上の出血引き取りであった。

 83年に入ると、国際市況に連動して国内市況も上昇したが、参加製錬各社はなおこの引き取りによる損失を続け、その要請により、引取価格は84年4月から引き下げられ、85年7月からはLME相場べ一スに移行した。

 

@第一次支援

 1985年から86年にかけて、LME相場はt当たり1000〜1100ドルに低迷、1000ドルを割る月もあった。しかも85年9月のプラザ合意後、短期間に大幅な円高が進行した。

 安価な電力のメリットもあって、アサハン計画における地金コストは金利、償却を除けば他に遜色のないものであった。しかし、同計画の収入はドルベースであったが、総所要費用の80%近くを円建ての借入金で賄う資金調達構造で、金融費用は円べ一スであった。そのためアルミニウム市況の低迷と、急激かつ大幅な円高がもたらす為替差損と金融費用の増加がインドネシア・アサハン・アルミニウム社(イナルム社)の経営を圧迫した。

 そこで86年6月、イナルム社は金融機関に2年間の返済猶予を仰ぎ、この間に抜本策を講じることになり、長期損益収支対策について、日・イ両国政府、関係金融機関、民間株主と協議を重ねた。

 その結果、87年6月、日本政府関係機関から所要の援助を行うことが閣議了解され、同月、イナルム社の559億9000万円の増資(日本アサハンアルミニウム240億円、インドネシア政府319億9000万円)が行われた。同国政府は同社に対する融資金の相当額をこの出資に振り替え充当した。これにより同社への出資比率は、日本側58.9%、インドネシア側41.1%となるとともに、総所要費用に対する資本金の比率は、22.2%から35.8%に上昇した。

 また、借入金については、既往金利の引き下げ(5年間)、返済期限の延長と後の返済額の漸増(テールヘビー方式)による返済条件の緩和が行われた。

A第二次支援

 その後イナルム社の操業は順調に進み、地金累計生産量は88年2月に100万t、93年6月には200万tを達成した。この間、88年12月、インドネシア政府の要求する基本協定の改定までの間は、地金生産量の5分の3を日本向け、5分の2をインドネシア国内向けとする合意が成立した。

 一方、地金引取価格の基準となるLME相場は、92年にはt当たり1250ドル(スタンダード品は88年12月に取引停止になり、89年以降はハイグレード品(99.7%)のドル建てのセツルメント)、93年には同1100ドル程度に低迷するなか、円は1ドル100円近くまで高騰した。これはイナルム社に再び減収、円建て借入金の返済、利払負担の増加をもたらした。さらにトバ湖の水量不足に伴う発電量の減少による生産減も加わって、業績は極度に悪化した。

 この間、関係者の間で協議の結果、先の金利の引き下げ期間の満了に伴い、92年6月、引き続き2年間、支援金利を適用することが決定された。そして93年後半から再建策の検討に入り、94年8月、政府関係機関から所要の援助を行うことが閣議了解された。

 これに伴い、日本アサハンアルミニウム76億6000万円(59%)、インドネシア政府53億4000万円(41%)、合計130億円の追加出資(95年度以降3年にわたり分割実施)、日本輸出入銀行および協調融資をしている市中銀行からの借入金の金利引き下げ、返済期限の延長などの支援が行われた。

 前回の支援時と同様、日本側の出資のために日本アサハンアルミニウムの増資(海外経済協力基金、民間等額)が行われ、当社は引き続き同社への7.5%の出資を継続した。

 LME相場は93年末頃から上昇に転じ、また、トバ湖の水量の大幅増加による稼働率の向上もあって、イナルム社の94年度の業績は好転した。しかし、金融費用の負担は依然として重く、困難な状態が続いた。

 


出資比率 (%) 

  日本アマゾン
アルミニウム
日本アサハン
アルミニウム

際協力銀行

44.92

50.00

三井アルミ

8.30

7.50

日本軽金属 

7.94

7.50

住友化学

4.59

7.50

昭和電工

3.21

7.50

三菱マテリアル

1.84

;

三菱化学

;

7.50

伊藤忠

2.75

0.83

三井物産

2.75

2.50

三菱商事

1.84

2.50

丸紅

1.84

2.50

住友商事

1.94

2.50

日商岩井

0.92

0.835

ニチメン

0.92

0.835

トーメン

0.92

;

兼松

0.92

;

川鉄商事

0.92

;

YKK

2.01

;

神戸製鋼 

1.84

;

三菱アルミ

1.84

;

古川電工

0.92

;

三協アルミ

0.92

;

スカイアルミ

0.46

;

新日鉄

1.37

;

日産自動車

1.01

;

住友金属

0.92

;

東芝

0.46

;

石播 

0.46

;

日本鋼管

0.18

;

川崎製鉄

0.18

;

みずほコーポレート銀行  

0.92

;

三井住友海上

0.09

;