チャンドラ・アスリ

チャンドラ・アスリ(CA)はビマンタラ(スハルト次男バンバン)、バリトー(彭雲鵬 Prajogo Pangestu:バンジャルマシンの合板事業から拡大し、林業王、合板王)、ナバン・グループ(サリムからスピンオフ)が中核となり、丸紅が協力する形で、プルタミナからナフサ供給の確約を取り付け、90年9月にはナフサクラッカー部分をTEC/丸紅連合に発注した。

しかし、91年9月に発令された対外債務借入規制に伴う政府関連大型プロジェクトの一時凍結宣言により同事業は一時中断された。
そこでCA側は、当初のエチレン55万トン/プロピレン30万トン能力を各々51万トン/24万トン規模に縮小したり、PP計画を延期することで投資額を16億ドルに絞り込み、外資100%に切り替えることで再開した。
この結果、CAはバリトーグループの香港法人を経由してビマンタラ、バリトー、ナパンが75%出資、92年11月に設立された日本側投資会社である日本インドネシア石油化学投資が25%出資した資本金4億ドルの合弁会社として再始動した。

プラントは95年3月までに完成し、5月にオイル・イン、諸テストを進めた後、9月からクラッカー7炉体制(8万トンのナフサクラッカー6炉と4万トンのエタンクラッカー1炉)で本格操業を始めたが、インドネシア最大のポリエチレンメーカーであるPENIとエチレンの供給契約が締結できなかったことから、操開当初は7割程度の低ロードを余儀なくされ、初年度に相当額の赤字を抱え込む格好となった。
PENIとは96年6月に5年間の供給契約を締結、以降はフル稼働体制となって単月の業績も黒字転換を果たした。

97年の通貨危機によるルピアの切り下げで巨額の元利返済負担が発生し、CAの経営は、大幅に悪化した。
97年10月には約6億ドルにのぽるローンのキャピタライズ化を実施し、さらにインドネシア金融再編庁(IBRA)が融資の担保として現地民間企業の株式を保有する形となった。

こうしたなか、IBRAと丸紅は再建に向けた財務リストラに関して協議を進めてきたが、2000年6月末の基本合意は正式調印、実行には至らず、2001年4月末に一部内容を変更して再度合意するも実行はされなかった。
その後、2001年10月末に@インドネシア側が5.2億ドルの融資のうち4.2億ドルを、日本側が7.7億ドルの融資のうち1.5億ドルをそれぞれCAの株式に転換し、資本金を16億2,000万ドルに増資、A残る7.2億ドルの融資金を今凌15年間で返済し、B返済金利をロンドン市中銀行間金利(LIBOR)プラス1.25%とする一という一内容で最終的な合意に達し、2002年8月正式に契約が発効した。
これによりCAは年間の金利負担1.2億ドルが3分の1近くにまで軽減され、財務体質の大幅な改善が図られる見通しとなった。

IBRAは8億ドルにのぼるCAの累積損失を一掃し、同社の本格的な経営再建を図るため、保有株式75%のうち49.1%をプラエボグループに売却し、残る25.9%をタイの投資グループであるグレイザー・プットナム・インベストメント(G&PI)に2003年10月売却、残り25%は日本インドネシア石油化学投資(丸紅85%、昭和電工10%、東洋エンジニアリング5%出資)が保有する形となった。

2005年4月には日本側が資本撤退した。
CA関連事業の投融資資産をシシガポールのコメルツバンク・インターナショナル・トラストに売却し、その対価としてムシパルプ事業関連の株式などを取得した。1995年の操業開始以来、累計400億円の損失を計上してきたCA石化事業から日本側が完全撤退することになり、丸紅は一連の取引実施を前提として2005年3月期連緒決算で213億円、単独決算で208億円の税引前損失を計上した。
主な譲渡資産はCA株式の24.59%と同社向け融資5億8,100万ドル。

石化市況の回復に伴いCAの業績は好転、現在アニールからメラク地区へのオレフィン供給用パイプラインを敷設中で、2006年半ばには完工の予定。また当初から予定していたエチレンの7万トン増設も決めた。2007年半ばの完成を目標にKBR技術を導入している。

立地:アニール
出資:プラエボグループ 49.1%、
グレイザー・プットナム・インベストメント 25.9%
   
コメルツバンク・インターナショナル・トラスト 25%(←日本インドネシア石油化学投資)
     *シンガポールのテマセクが青分を買収
能力:エチレン 520千トン(2007年+70千トン)
    プロピレン 270千トン(2007年+36千トン)
    LDPE/HDPE 240千トン
    HDPE 100千トン 

オレフィン系誘導品の動き

ダウンストリーム製品については、エチレンセンターの完成より一足早く、チャンドラの姉妹会社であるトリポリタ・インドネシアのPPとトーメンのSM、BPと日系商社によるLLDPE/HDPE併産工場が操業を開始した。

ビマンタラ、ナパンによって設立されたトリポリタ・インドネシアは92年5月から西ジャワ・メラクでPP工場の操業を開始、その後2度にわたる増設を行い、現有能力は34万トンに拡大、同国最大のPPメーカーに成長した。

現在の出資:ビマ・キミア・チトラ 31.22%ほか

トーメンは旧出光石油化学、旧サリム(スドノ・サリムは一代にしてサリム・グループというアジア屈指の財閥を築いた。サリム・グループの大きな特色はスハルト大統領一族との癒着)、ビマンタラなどとスチリンド・モノ・インドネシア(SMI)を設立し、92年末に10万トンのSM工場をスタート、95年末にはSM原料のエチルベンゼン11万トン設備も建設した。SMIは99年6月にEB22万トン/SM20万トンを増設、2002年9月にもEB11万トン/SM1O万トンを増強し、生産能力を計EB44万トン/SM40万トンに拡大している。

立地:メラク
出資:トーメン 68.42
%、出光興産5.26%、Bimakima 15.79%

PS Pacific Indomas Plastics Indonesia (PIPI)  Dow 100% メラク 

BP、三井物産、住友商事、アルセト・ぺトロキミア(スハルト元大統領の長男シギットが経営)の合弁によるPENI(ペトロキミア・ヌサンタラ・インテリンド)は、93年2月からメラクで20万トンのLL/HDPEスウィングプラントの操業を開始した。同社は、グレード拡充のため94年末に5万トンの増強を実施したのに続き、98年半ばには20万トン増設して45万トン体制とした。
その後、同社の出資比率は
BP75%/三井物産・住友商事各12.5%となったが、2003年4月には同国の投資会社であるインディカ・グループが全株式を5,000万ドルで買収した。→マレーシアのTitanが買収、社名をPT TITAN Petrokimia Nusantara と改称

PP ポリタマ・プロピンド

立地:バロンガン  180千トン
出資:ティルタマス・マジュタマ(ハシム傘下、ツバン計画の中心) 80%、日商岩井10%、BP10%
 
Tirtamas Majutama had agreed to hand over its assets in the multibillion dollar project to Indonesian Bank Restructuring Agency(IBRA).

EGはヤシンタ・グループのヤシャ・ガネシャ・プラ(YGP)が92年末より8万トンの操業を開始した、同社はその後、現地タイヤ大手のガジャ・トゥンガル傘下の企業となり、社名もGTペトロケミカルズに変更、97年9月には12万トンの増設を完了させた。
同社はその後、金融再編庁が70.6%の株式を保有するに至り、2003年から
GTペトロケム・インダストリーズとなった。

塩ビ関係では、トップメーカーのアサヒマス・ケミカルが97年9月までに電解15万トン(か性ソーダ換算)増設、VCM25万トン増設、PVC4.5万トン増強から成る第3期拡張工事を完了、引き続き2002年4月には旭硝子の複極式イオン交換膜法(IM法)電解槽「AZEC-B1」を用'いた電解8.7万トン増設を実施し、合計能力を電解37万1,000トン、VCM40万トン、PVC28万5,O00トンに引き上げた。
2007年には25万トンのVCMと10万トンのPVCを増設し、老朽化した15万トンのVCMを廃棄する予定。

立地:西ジャワ・アニール
出資:旭硝子 52.5%、ロダマス 18%、エイブルマン・ファイナンス 18%、三菱商事 11.5%
能力:電解37万1,000トン、VCM40万トン(2007年+25-10万トン)、PVC28万5,O00トン(2007年+10万トン)

タイのサイアムセメントは、スラバヤに拠点を持つ塩ビパイプ大手のマスピオンと組んでサイアム・マスピオン・ポリマーズを設立し、98年半ばにPVC12万トンを完成させたが、2005年半ばにはマスピオンが資本撤収、資本構成はサイアム60%、系列のTPC(タイ・プラスチック&ケミカル)40%となった。

サリム・グループ、東ソー、三井物産の合弁(東ソー 30%、三井物産 20%、現地サリム&ビマンタラ 50%)で77年に操業を開始したスタンダード・トーヨー・ポリマー(スタトマー)は現有9万トン体制で、99年9月に日本側がサリム側の保有する全株式を買い取り、東ソー60%、三井物産40%出資の日系100%企業となった。

このほか東ソーは住友商事、サリムとともにサトモ・インドビル・ポリマー(SIP)を設立、98年に7万トンのPVC工場を新設した。
この川上では、サリムグルーブと住友商事(25%出資)主導で設立した
サトモ・インドビル・モノマー(SIM)がVCM10万トンを新設するとともに、サリム・グループの化学会社であるサルフィンド・アデウサハ(SAU)の所有するEDCプラント(10万トン)を引き継ぎ、同時に97年末までにこれを27万トンに増強した。その後、SAUが香港系投資会社を経て地元の PT. Pan Indonesia Bank Tbk. に買収されたことから、日本側は2004年10月までに資本撤収(東ソー/住商各25%出資)、2002年以来休止していたSIM〜SIPの塩ビ一貫工場は同10月から操業を再開している。

Satomo Indovil Monomer

サリム(→Emperor Group) 50%, Brendswick (香港)25%, 住友商事 25%
  EDCはSulfindo から移管した上で増設
  VCM は アトケム法

Satomo Indovil Polymer

サリム(→Emperor Group) 50%, 東ソー 25%, 住友商事 25%     
PVC   東ソー法

PT Sulfindo Adiusaha  

サリム(→Emperor Group)の会社

   当初、水銀法電解 96(台湾の中古)とEDC 90
       ↓

   水銀法電解スクラップ、旭化成法で電解新設 塩素200
   EDCはSatomo Indovil Monomer に移管

その他誘導品の動き

国内のポリエステル繊維産業拡張に対応するように、その原料供給を目指すPTAブロジェクトが97年までに相次いで完成〜稼働開始した。

日本企業がらみでは、三菱化学とバクリー&ブラザーズの合弁によるバクリー・カセイ・コーポレーション(90年10月設立)が94年2月からPTA25万トンの操業を開始、96年半ばには倍増設に踏み切り、60万トンに拡大した。同社は並行してボトル用PET樹脂やポリエステルフィルムも企業化、その後2000年末には三菱化学がバクリー&ブラザーズの保有全株式を買い取り、2001年4月に社名を三菱化学インドネシアに変更した。

出資:三菱化学83.3%、日本アジア投資(JAIC)16.7%

三井グループと旧アモコ・ケミカルズ(現BP)は、それぞれで立案していたPTA計画を白紙化し、アモコ50%、三井化学45%、三井物産5%出資合弁会社アモコ・ミツイPTAインドネシア(AMI)によるPTA工場建設に合意、97年8月に35万トン設備を完成させた。その後AMIは2000年3月までにデボトルで42万トンに引き上げ、2003年10月の3万トン増強で45万トン能力とした。

立地:西ジャワ・メラク

また三井化学と三井物産は、東レと現地企業との合弁でペットネシアレジンド(PNR)を設立、96年初めにタンゲランに3万トンのボトル用PET樹脂設備を東レ子会社のITS(インドネシア・トーレ・シンセティクス)工場内に建設した。PNRは、97年9月に2万トン増設して能カを5万トンヘ引き上げ、さらに2001年末に3号機2.5万トン系列を導入して合計7.5万トンに拡大した。

出資:三井化学 41.6%、東レ 36%、ITS 11%、ユオノパンチャトゥンガル5.9%、三井物産5.5%

PTA工場ではこのほか、97年4月にナパン・グループのPolyprima Karyareskaが西ジャワのチレゴンに35万トンエ場(ICI技術)を完成、さらに現地ポリエステル繊維メーカー、テキシマコ・グループのPolysindo Eka Perkasaが97年半ばに34万トンのPTA工場(イーストマン技術)を完成させた。

メタノールでは、スハルト元大統領三男のフトモ・マンダラ・プトラ氏(通称トミー)率いるフンプス・グルーブが98年6月にカリマンタン島ボンタンで66万トンエ場の本格操業を開始した。事業推進会社であるカルティム・メタノール・インダストリー(KMI)は、当初フンプスl00%出資で設立されたが、97年に旧日商岩井(30%)とダイセル化学(5%)が資本参加し、99年からは日商岩井(現双日)85%、ダイセル5%、フンプス10%の出資比率となっている。

日本触媒50%、トリポリタ・インドネシア45%、卜一メン5%の出資で96年8月に設立されたニッショク・トリポリタ・アクリリンドは、98年9月にアニールでアクリル酸6万トン、同エステル4万トンの生産を開始した。その後同社は、2000年8月にトリポリタの所有する全持ち株を日本側が買い上げ、出資比率が日本触媒93.8%、トーメン6.2%となり、2001年1月には社名をニッポン・ショクバイ・インドネシアに改めた。

オキソアルコールはティルタマス・マジュタマとエテリンド・グループの折半出資によるペトロ・オキソ・ヌサンタラが98年3月に東ジャワのグレシックでオクタノール10万トン、ブタノール3.5万トンを完成させた。

UOB to refinance Petro Oxo Nusantara loan to Sojitz
Yosef Ardi / Indonesia Today - 2006-02-22 11:00:54

February 21, 2006

United Overseas Bank (UOB) is in the process to refinance PT Petro Oxo Nusantara's loan to Sojitz Corporation, Japan.

An executive at the petrochemical company said UOB visited the plant in Gresik, East Java recently. PT Petro Oxo Nusantara (PON) was established by Eterindo, Tirtamas Group, Globechem, and Southern Pacific with US$140 million credit facility from Sojitz (formerly Nissho Iwai Corporation). It's not clear how much of the loans to be refinanced.

"It seems the owners want to clean up the balance sheet before its inclusion in the structure of Tuban Petrochemical Complex," he said few minutes ago.

Petro Oxo is Indonesia's only oxo-alcohol plant. The company started commercial production in 1996 with Mitsubishi Kagaku technology to produce 100,000 tones per year of 2-Ethyl Hexanol (oxo-alcohol). The plant was built with US$187 million investment.

Petro Oxo was part of Tirtamas integrated petrochemical project in Tuban, East Java. Late last week, Tuban Petrochemical started to receive condensate feedstocks that will be processed to fuels and aromatic products. The project's construction was halted in early 1998 due to financial crisis and then transferred to Indonesia Bank Restructuring Agency (IBRA).

Early last month, PT Perusahaan Pengelola Aset (PPA), a company established to manage the assets left following the closure of IBRA, said it may sell off the assets in Tuban Petrochemical.

The Tirtamas Group was reportedly looking for loans to repay its debt of Rp3.2 trillion (US$340 million) to the government and reclaim control of Tuban Petrochemical Industries.

 

July 12, 2002  http://www.gasandoil.com/goc/company/cns22899.htm

IBRA expects to secure financing for Tuban project

21-06-02 The Indonesian Bank Restructuring Agency (IBRA), as the new controlling shareholder of PT Trans Pacific Petrochemical Indotama, expects to secure $ 400 mm in financing for the so-called Tuban project in the third quarter. IBRA's Asset Management Credit deputy chairman Mohammad Syahrial told that the construction of the $ 1-bn Tuban petrochemical project in East Java, is expected to be completed within 20 months after the funding is received.

Tuban petrochemical project will produce olefin with an annual capacity of 3.6 mm tons. Syahrial declined to name the banks participating in the syndicated loan, though he said some Singapore-based banks will be involved.
The Tuban project is one of the large projects
surrendered by the Tirtamas Group to IBRA as part of the restructuring of the company's debt worth 4.2 tn rupiah. Syahrial said IBRA and Tirtamas have agreed to restructure the debt by setting up a new holding company, to be called PT Tuban Petro, in which IBRA will hold a 70 % stake while a former owner, Honggo Wendratno, will hold the remaining 30 %.

To secure the loan settlement according the Newco scheme, IBRA require to be a majority shareholder. As many as 70 percent Newco's shares is hold by IBRA and the remain 30 percent is hold by the former owner of PT Tirtamas Majutama and Group namely Honggo Wendratno through PT . Silakencana , who is shareholder of PT Tirtamas Majutama. Honggo is also required to submit Personal Guarantee (PG) to IBRA.

Tuban Petro will then control 59.5 % of the shares in PT Trans Pacific, 80 % of PT Polytama Propindo, 50 % of PT Petro Oxo Nusantara, and 50 % of PT Pacific Fibretama. The other shareholders of Trans Pacific include state-run oil and gas company Pertamina, Itochu, Siam Cement and Nissho Iwai.
In return, Tuban Petro will issue exchangeable bonds with a 10-year tenure and coupon rate of 1 % per annum in September. Syahrial said IBRA will have the right to sell the Tirtamas Group's assets after the restructuring. "The recovery rate could reach 68.7 % with the restructuring compared to only 16.3 % if the debt is not restructured," he said.

合成ゴム事業では、GTペトロケムで本格的なEG事業進出を果たしたガジャ・トゥンガルがメラクにSBR6万トンを建設、98年3月より操業を開始した。これは同国初の本格的な合成ゴムプラントとなるもので、製造技術には日本ゼオン法を採用している。
なお、ガジャ・トゥンガルは経営悪化のため2003年から金融再編庁の管理下に入っており、グレシックで考えていた12万トンのカプロラクタムエ場新設計画などは白紙化された。

昭和電工はトーメンや現地企業などとの合弁でショウワ・エステリンド・インドネシアを設立、99年初めに5万トン(7万トン含み)の酢酸エチル設備を完成させた。昭電が独自開発したエチレンの「直接付加法」を採用した第1号プラントで、同年7月に手直しを行ってフル稼働体制とした。

立地:メラク
出資:昭電 67%、トーメン 9.4%、CVインド・ケミカル 20.2%、チン・ロンCLP 3.4%

酢酸エチルでは、BPがチャンドラ・アスリ系のインター・ペトリンド・インティ・シトラと合弁でシトラ・パシフィック・インターナショナル・エステルズを設立、5万トンの酢酸エステル、7万トンの酢酸エチル設備の建設を予定していたが、その後BPがインドネシアから撤退し、同計画に進展は見られない。

ウレタン原料であるPPG(ポリプロピレングリコール)では、トーメン、三洋化成工業、韓国ポリオール、現地企業アネカ・キミ・アラヤの合弁によるアネカ・ポリオール・インドネシアの2万トン、旭硝子による3万トンの計画がそれぞれ浮上していたが、現時点ではいずれも無期延期に追い込まれている。

また三菱ガス化学、三菱化学、三菱商事の3社は、現地企業ペトロキミア・グレシックとの可塑剤合弁会社であるペトロニカについては、99年2月までに保有株式をペトロキミアに売却し、同合弁から撤退した。

三菱商事は、100%子会杜だったイースタン・ポリマーの全株式を99年1月に現地の塩ビパイプメーカーであるワービンに売却するなど、99年以降は日本企業のインドネシア合弁からの撤退が相次いでいる。

 

ツバンの芳香族プロジェクト計画が再開

インドネシアでは、チャンドラ・アスリに続くエチレンセンターとして97年までに2つの計画が立案されたが、いずれも具体化しないまま中断している。1つは現地ハシムグループ傘下のティルタマス・マジュタマとタイのサイアムセメント、旧日商岩井、伊藤忠商事などの合弁によるトランス・パシフィック・ペトロケミカル・インドタマ(TPPI)で、東ジャワのツバンで96年末からエチレン/アロマの一大コンプレックスの建設工事に着手した。

もう1つは、BPとサリムおよび複数の日系商社による計画で、BP子会杜だったPENIを母体としてエチレン事業を推進することが内定していた。

ところが、97年7月にタイで起きたバーツ下落を発端とするアジア通貨危機でルピアも大幅に下落し、インドネシアは経済混乱と政治混乱のダブルパンチに見舞われる事態となり、TPPIは100万トンのアロマ部分が6割、エチレン部分が2割まで完成しながら97年末より資金手当てが出来ず、工事中断に追い込まれた。

BP/サリムの計画も、経営危機に陥ったサリムがIBRAの管理下に入り、一時チャンドラヘの資本参加を検討したこともあるBPが緒局PENIを売却してインドネシアから撤収するなど、新規エチレンセンター計画は事実上消減した。

その後TPPIの計画は、エチレン設備を受注した米ストーン&ウェブスターが独BASFの中国・南京計画に機器全体を移設することを決めたことから、エチレンと誘導品プロジェクトを白紙化し、アロマ部分のみを再開させる方向で検討が進められた。こうしたなか、2001年10月末にプルタミナがパラキシレンや低硫黄重油などで4億ドル相当の担保を提供する一方、プロジェクトに15%出資することを表明。TPPIはすでに3億7,500万ドルの建設資金を投じており、これに.プルタミナの担保をテコにした日本側コンソーシアムが4億ドルの追加融資を決めた。その後も日本側が要求する追加的な債務保証に対して、インドネシア政府が難色を示すなど紆余曲折があったが、2004年5月になって邦銀などによる融資額2億ドルが振り込まれ、工事が6月から再開された。実に7年ぶりの再開であり、2006年第3四半期の操業開始を目指している。