暮らしの手帖 5号 2003/8-9

編集室から

一冊の本をめぐって
 ダイオキシンを考える

 「焚火は枯葉にかぎる……芯にした紙くずが燃えあがったところへ落葉をのせると、いったんは紫色の煙があがる。しばらくすると、それが白い太い煙にかわり、赤くなり燃えあがる……なんといっても、匂いがいい。枯葉は土の匂いがする……秋の匂いは枯葉を焚く匂いである」(山口瞳「男性自身」より)

 一冊の本が、大きな波紋を広げています。「ダイオキシン神話の終焉」という本です。(シリーズ地球と人間の環境を考えるA 日本評論社刊 1600円)
 この本によると、今までいわれていたダイオキシンの有毒性を示すデータはまちがって解釈したものが多く、ダイオキシンにそれほど毒性がないのではないか、というのです。それに対して、ダイオキシンを減らそうと努力してきた人たちは、ダイオキシンの有毒性には間違いがなく、欧米では長期摂取による人体影響も考慮して、ダイオキシンの発生源にきびしい対策を講じていると主張しています。

 筆者の渡辺正さんと林俊郎さんはダイオキシンの専門家ではありません。にもかかわらず、話題になっているのは、いろいろな意味で、これまでと一線を画する本だからです。
 3月の毎日新聞には、「
ウソとその上塗りだった危険情報」という、かなり強烈なタイトルで、この本の書評が出ました。そこで評者の藤森照信さんは、「ここに書かれていることが事実なら……日本における最初の本格的な環境スキャンダル」で「前期旧石器発掘疑惑とならんで扱われるかもしれない」と書いています。従来の書評にはない、かなり踏み込んだ表現です。
 同じころに出た読売新聞や東京新聞の書評も好意的でした。日本評論社も、毎日新聞や東京新聞も、これまで環境問題には力を入れてきたところです。それが、ダイオキシンなど大したことはないというこの本に好意的だったことが、さらに話題を集めました。
 今後、さまざまな論争が起こるのでしょう。いいことです。ただその前に、はっきりさせておきたいのは、ダイオキシンが危険だという本や情報のなかにさまざまな誤解が混じっていたという事実と、それにはセンセーショナルにいいたてたマスコミなどメディァ(情報の伝え手)はもちろん、そのニュース元となった学者・専門家の責任も、かなり大きいということです。

ダイオキシンヘのいろいろな誤解
 「ダイオキシン神話の終焉」は、それまで私たちが漠然と思い込んでいたダイオキシンについての「常識」を、つぎつぎにくつがえしていきます。
 これまでよく本などで聞かされていたひとつの「常識」は、ダイオキシンが青酸カリの1000倍も毒性のある史上最強の猛毒だというのでしたが、ダイオキシンにこのような急性毒性はないというのです。また、毎日少しずつ摂っているとがんをつくるという発がん性にも、渡辺さんたちは疑問を投げかけています。じっさい急性毒性については、暮しの手帖でも5年前(V世紀80号)に指摘したことで、環境省のホームペ一ジにも「ふだんの生活でダイオキシンの急性毒性は問題ではない」旨の記述があります。

「ダイオキシンの急性毒性」
 サリンや青酸カリの何倍という表現は、2百種類以上あるダイオキシンのなかでもっとも毒性が強い2・3・7・8TCDDという物質を、100匹のモルモットに与えたとき、50匹が死ぬ(体重1キロあたりの)量を、サリンや青酸カリの量とくらべたものだ。しかし、そこでつかわれた、1キロあたり0.6マイクログラムものダイオキシンを、ふだん摂ることはほとんどありえない。
 私たちが食事や空気からとる1日のダイオキシンの量は、TCDDにしてせいぜい100ピコグラムで、体重50キロとすると、1キロ当たり2ピコとなり、0.6マイクログラム(60万ピコグラム)は、ざっと30万倍にもなるからである。

 「常識」がひっくりかえったのは、所沢に関することでもおなじでした。99年ダイオキシン類対策特別措置法ができる直接のきっかけになったのは、産廃銀座とよばれた所沢で、野菜(当初はほうれん草といわれたが、あとで乾燥したお茶の葉と判明した)に基準値の何十倍ものダイオキシンが含まれているというテレビ報道と、その所沢で新生児の死亡率がごみ焼却量の増加とともにふえているという市民団体の告発だったといわれます。さらに、ごみを自家焼却している町村の乳児死亡率が高いともいわれ、これが小型焼却炉を全面廃止する引き金の一つとなりました。
 しかし、この本では、死亡率の統計が操作され、いかにも上昇しているように見せられていたことが、具体的に解き明かされています。元のデータをみるかぎり、ごみ焼却量の増加と死亡率のあいだには、ほとんど相関がみられません。所沢に関するテレビ報道や市民団体の告発は誤りだったわけです。
 もうひとつ、ダイオキシンで忘れられないのは、母乳にたくさん含まれているから母乳保育はやめなさい、という専門家の主張でした。しかもアトピー性皮膚炎は母乳保育により増えているともいわれ、お母さんたちは真剣に悩み、母乳を泣き泣き捨てた人もいると聞きました。
 この「常識」についても、70年代から母乳中のダイォキシンの量はずっと減ってきていることなど、明快な反証がのべられています。どれも専門家の間では「常識」になっていることですが、この本ではそれをふつうの人にもわかりやすいように検証しました。これがこれまでにない衝撃を世間に与えたのです。

どうしてそんなことが起こったのか
 私たちもダイオキシンについて、いろいろな立場の専門家にお会いし、私たちなりに考えてみることにしました。その一人、横浜国立大学の
中西準子先生は、「水俣病とダイオキシンでは、まったく問題の性質がちがうからです」とおっしゃいます。
 水俣病は有機水銀が原因で起こった激甚な公害ですが、人間の健康に関していまのところはっきりわかっているダイオキシンの害は、クロルアクネという皮膚への障害と農薬工場で働く人たちのがんで、これから起こるかも知れないという予測の部分のほうが大きい、というのです。
 「予測するには科学が必要になります。現実をみきわめたうえで、科学的に予測しなくてはいけないのに、じっさいは危険だと言った者勝ち、という面もありました」
 そうして生まれた市民運動を攻撃しようとはおもいません。当時の所沢の状況は、それはひどいものでした。鼻をつく臭気、まき散らされる燃焼灰、それを放置してきた行政への怒り、しかも市は高濃度のダイオキシンが測定されたことを隠蔽し続けてきたのです。告発は正しかったし、当然でした。しかし、かといって、間違いでもいいということではありません。
 もちろん予測はむずかしいし、ダイオキシンのようなごく徴量の物質の測定は大変です。だから、科学者だって間違えることはあるし、科学は日夜進歩していますから、あとになって、言い過ぎがわかった面もあるでしょう。それなら、わかった時点で、間違いだと訂正するのが専門家としての責任です。
 私たちも、98年に立川涼先生(現愛媛環境創造センター所長)から、この本が指摘していたようなことは聞いていましたし、ほかの部分についても、以前から疑問がもたれていたことではありました。そういう意見が出始めた段階で、専門家のあいだで真剣な議論を積み重ねてほしかったし、また煽るだけ煽り、その後、疑問が出てきたことについて、きちんと報道しなかったマスコミの責任は大きいといわざるをえません。

「ダイオキシンはどこから」
 厚生労働省の調査によると、私たちがとりこむダイオキシンの95パーセントは食物からで(のこりの5パーセントが大気など)、その多くは魚である。どうして魚がそんなにダイオキシンを含んでいるかというと、ずいぶん以前、日本中の田んぼにまいた除草剤に不純物としてダイオキシンが入っており、それが、川から海へ流れたからという説がある。(
益永・中西グループしらべ
 ダイオキシンは分解しにくく、土壌に長く残る。それが川に入り、海に出てプランクトンが食べ、そのプランクトンからの食物連鎖で、魚がとりこんだ。また、最近、ダイオキシンがへっているのも、その除草剤が製造中止になり、のこったものが自然環境のなかで分解されているためで、焼却炉だけを問題にするのはどうかという疑問も呈されている。
 魚といえば、ダイオキシンが多いのは近海魚で、遠洋魚にはメチル水銀が多い、といわれている。といって、肉などにはない良さのある魚をやめようというのではない。一つの危険だけゼロにしようとしてもどうにもならない、やむをえない現実を直視し、それぞれの危険を承知しながらがまんできる範囲を決めて暮らすという、かっこうの例と考えてほしい。
 化学物質の対策は物質規制ですむ問題ではなく、社会のシステムや将来の方針に直接かかわる問題なのである。

環境ホルモンとしての問題
 ダイオキシンほど、世界中の多くの研究者がかかわり、多くの研究論文が出、杜会的な関心を集めた物質はありません。毒性についても、もっとも多くの研究が出ている物質です。
 化学物質などの毒性には、急性のほか、がんを代表とする慢性のものに、最近は環境ホルモンなどで問題にされている「シングルヒット」、つまり妊娠初期に一度、その物質にさらされたら、さまざまな生殖影響があらわれる、というものが加わりました。
 ダイオキシンにがんを促進する作用(がんをつくる作用ではない)があることは国際的な機関も認めていますし、毎日新聞にも記者の署名入りで、胎児に対する影響が問題だとの記事が出て、そこでもいわゆるダイオキシンの環境ホルモン(女性ホルモンに似た作用が人問に影響する)としての作用を指摘しています。だから市民団体が指摘するように、アメリカの環境保護庁や食品医薬品局は、WHOや日本より数百倍もきびしい基準を提唱しているのです。
 立川涼先生はいいます。「大人には害がなくとも、胎児をふくめ、これから生まれる子どもに対する毒性が、いま大きな問題になっているのです。子どもは小さな大人ではない、特別な配慮が必要なのではないか。そういう意味で、ダイオキシンの毒性も、まだよくわかっていないし、まして10万ともいわれるそれ以外の化学物質は、大人の害すらわかっていないのです」
 ダイオキシン問題はダイオキシンだけにとどまらない、典型的な有害化学物質の対策をやりながら、他に影響を及ぼせるような技術や対応を考えていく、そのモデルケースというわけです。
 しかし今のところ、環境ホルモンが人間にどんな影響を与えるかについては、ほとんどわかっていない、というのが正確なところでしょう。ヒトの精子の数が減っているとか、女児のうまれる確率が高いなどということに、疑問をもつ研究者も少なくありません。

ごみ焼却炉の問題
 「ダイオキシン神話の終焉」が話題をあつめたもう一つの理由は、鳴り物入りで成立したダイオキシン特措法に、大きな疑問を呈したことでした。
 国土の狭い日本では、ごみを燃やして量を少なくするという方法が、昔から多くとられてきました。ですから、世界中のごみ焼却炉の大半が、日本にあります。そしてダイオキシンは850度以下の温度で、ものが燃えるときにつくられますから、「当面、ダイオキシンを抑えようと思ったら、焼却炉から出ないようにするのがいちばん有効だし、必要だという前提にたって、ここに力を集中したのです。それなりに社会的な妥当性はあります」と、立川先生はおっしゃるのです。じっさい、きっかけとなった所沢の「くぬぎ山」には、いま一つの焼却炉もありませんし、この法律ができてから、全国のごみ焼却炉から排出されるダイオキシンは大幅に減りました。その分、クリーンになり、安全になったわけです。
 ただそのためにどういうことが起こっているのかについても、考える必要があるでしょう。全国の各自治体は、いませっせと焼却炉の改修を始めていて、10年後にはすべて「広域高温連続焼却炉」に変更しなければなりません。東京二十三区内だけでも、新設したり建て替えたりする以外に、14施設で改修などなんらかの対策が必要で、その費用だけで1千億円をこえるといわれます。全国ではいったいどのくらいの費用が必要なのでしょうか。
 ごみをつねに900度以上で燃焼させ、排煙を急冷してフィルターで濾すことで、出るダイオキシンをゼロに近づける。これが高温焼却炉です。広域というのは、ごみが減っては燃焼温度が下がるから、必然的に広い地域から大量に集めるようになるからです。広域で集めると、その分、運搬などに費用もかさみますし、ごみを少しでも減らそうという杜会風潮にも反します。
 また、高温のため、それまで気化しなかった銅や鉛、カドミウムといった重金属も気化します。フィルターを通すというものの、漏れたりはしないか心配ですし、使われるのは、誰でもない、私たちの税金です。赤字だらけの自治体は、いったいどうやってその費用を工面するのでしょう。工面できないからといって、古い焼却炉を使うこともできません。全国一律の対策がほんとうに必要だったのか、これを契機に、いま一度、考える必要がありそうです。

あなたはどう考えるか
 ダイオキシンをはじめとする化学物質への対策について、二つの意見をご紹介しましょう。最初は立川先生です。
 「これからの世界は、ひとつの化学物質に対して、毒性が証明されていないから対策をとらないという立場と、安全性が証明されないかぎり対策をとるという立場にわかれてくるでしょう。僕は対策をとるべきだとおもう。つまり予防です。社会的な保険として地震対策や防火建築をやっているのに、化学物質にだけ予防してはいけないというのは異常です」 たしかにそうです。
 また、中西準子先生は、こうおっしゃいました。
 「ダイオキシンを禁止する、PCBをゼロにする、水銀をやめる…それだけをみると、できるとおもうかもしれません。しかし、物質全体をみると、天然のものにもかなり危険があります。従来からある天然のものと、新しく入ってきた化学物質との危険度のバランスを考えることが必要です。極端な例ですが、90年代はじめ、水中の有機物と塩素が化合してトリハロメタンなどの発がん性ができるとわかったペルー政府は、水道の塩素殺菌をやめてしまいました。そうしたら3年後にコレラが流行して、7千人以上が亡くなったのです。
 トリハロメタンなどは、たしかに発がん物質ですが、その毒性は、WHOの規制値いっぱい入っている水道水を毎日2リットル70年のみつづけて、十万人のうち4人ががんになるという、ごくささやかなものです。その塩素消毒の危険と、かかれば100人のうち数人は亡くなるコレラなど感染症のどちらの危険が大きいか、バランスをとるというのは、そういうことです」
 毒性が見つかってから、対策をとるなど、冗談ではありません。できる対策はとったほうがいいでしょう。じっさい、ダイオキシンの摂取量が70年代からどんどん減っているのは、大きな原因だった農薬(不純物にダイオキシンが含まれていた)が使われなくなったことと、さまざまなところでそれなりの対策がとられてきたからです。
 では、何が何でも危険度をゼロにしなくてはいけないのか……いいえ、これにも現実には無理があると私たちは考えます。
 天然物にしろ人工物にしろ、私たちのまわりの物質で、危険がないものなどないのです。塩も砂糖も大量に摂れば死に至ります。お酒もそうです。植物には多かれ少なかれ毒があり、そのうち毒の少ないものが「野菜」と呼ばれます。キンメダイなどの脂肪に、水侯病の原因となったメチル水銀が含まれていると、先日、厚生労働省が発表したのは、もうお忘れでしょうか。
 しかし、ふだん塩や砂糖を平気で食べたり飲んだりしているのは、害にならない量である、という合意が暗黙のうちにできているからです。(ダイオキシンに益はありませんが……)
 とにかく、慢性毒性物質については、いったい何年くらい、総量でどのくらいの量を食べたり飲んだりすれば、何割の人が病気になるのかなどをもっと考える必要があります。たとえ、その割合が微々たるものでも、水道水に発がん物質など入っていては困りますから、行政にはできるだけ減らすように研究と努力を重ねて欲しい。しかし、発がん物質を除去するためにとりつけた高価な装置によって、水道料金などがはねあがっても、また困ります。
 要はコストと効果のバランスなのです。
 私たちが常日ごろ、食べ物や水、空気などからとりこんでいる化学物質や天然物質の「毒」を減らすためのさまざまな負担とメリットを天秤にかけて考える必要があるのです。こうした「毒性」については、毒があるという部分だけ考えるのでなく、社会的なことや経済的なことも考慮に入れなくてはなりません。
 ごみ焼却炉の問題は、まさにこれにあたります。しかも、所沢の場合、他県などから運び込まれる産業廃棄物は、燃やしていないだけで、けっして減ってはいないのです。ダイオキシンに目をそらされて、根本の問題が見逃されることがないようにしなくてはなりません。

 本来、こういう判断をするのは、行政ではなく、主権者である私たちのはずです。私たちにはダイオキシンについて、知識が不足しているかもしれません。今もっている知識も、正しいかどうかもわからない。しかし、だからといって専門家や官僚や政治家に問題をすべてゆだねた結果、いったいどうなったのか……過去の歴史のあやまちを、また繰り返すのはまっぴらです。
 う遠なようでも、いろいろな人に話を聞き、いろいろなことを教えてもらい、いろいろ学びつつ、自分たちで判断する。そしてもし間違いがあれば、すみやかに訂正する、というのを原則にしたいと思います。あなたまかせの政治や行政では、いつまでたっても満足できる社会にはなりません。
 今回お話をうかがった専門家の人たちが異口同音におっしゃっていたことがありました。それはいろいろな、相反し衝突する意見があったほうが健全だ、ということです。
 いったいダイオキシンは心配しなくていいのか、今よりさらに規制を強めなくてはいけないのか……化学物質の専門家だけではなく、社会科学者や医者、市民活動家など、もっと門戸を広げ、誰にもわかるようなかたちで論議を深めていきたいものだと、心からおもいます。
 いずれにしても、今後は水かけ論になりやすい「毒性」ではなく、からだの中に長くのこる「残留蓄積性」がキーワードになるでしょう。そのときもっとも必要なのは、徹底した情報公開です。これまでのように情報を出し渋ってきた企業や国の態度は私たちの力で改めてもらわなければなりません。

 ダイオキシンが問題になってからというもの、焚き火やキャンプファイヤーまで、おちおちできなくなりました。
 しかし、ダイオキシンは昨日今日つくられた化学物質ではなく、マキや落ち葉を燃やしても出てくるもので、縄文の昔から(量はともかく)ダイオキシンにさらされて、私たちの祖先は生きてきたのです。
 ですから、年に数回、庭の落ち葉を焚くことに、あまり目くじらをたてないでください。そして、山口瞳さんが書いたように、焚き火やキャンプファイヤーを囲む楽しさくらいは復活させたいとおもうのです。

(尾形道夫)


渡辺 正教授コメント 2003/8/16

よく,世に「衝撃」を与えた‥‥と評されるのですが,研究者からの反論は今のところゼロ,わずかに
毎日新聞の記者氏と某 NGO の事務局長氏が反論ないし質問を公表されただけですから,ちょっと拍子抜けです。

 

渡辺 正教授書評 『環境危機をあおってはいけない--地球環境のホントの実態』


新潮45、1998年12月号掲載原稿(中西準子執筆)
       
http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/45draft.html

・・・東京湾の底に溜まっているダイオキシンについては以下のことが分かった。底質中のダイオキシン類の45パーセントが大気沈着に起因し、31パーセントがPCP(ペンタクロロフェノール)に、24パーセントは不明とその他であった。大気沈着の中には、一般ごみ焼却炉、産業廃棄物焼却炉および工場からの排出物が含まれる。PCPは水田除草剤として1970年代半ばまで日本中で使われ、その後はごく少量しか使われていない。まさかと思うかも知れないが、1970年代に使われた農薬の不純物が未だに東京湾の底質に残り、魚介類に移行したのである。「水田除草剤として使用が最盛期の65年頃には、一般人の尿中に100%の検出率でPCPが(中略)検出された」(植村振作他『農薬毒性の事典』、三省堂)というから、農地はもちろん農業従事者さらには我々の体内にPCPの不純物であるダイオキシンが蓄積しても不思議はない。

 


2004/2/16 Chemnet Tokyo

「ダイオキシン討論会」、意識のずれは埋まらず
市民からは、“危険論”による被害を指摘する声も

 「止めよう!ダイオキシン汚染・関西ネットワーク(ダイオキシン関西ネット)」主催のダイオキシン討論会「ダイオキシンは安全か」が14日午後1時30分から5時30分すぎまで大阪工業大学の創立60周年記念館で開催され、渡辺正・東京大学教授や宮田秀明・摂南大学教授ら4人の講師の講演を中心に活発な討論が行われた。しかし、「ダイオキシン 神話の終焉」を著した渡辺正教授と林俊郎・目白大学教授が「ほとんど問題のないレベルをもっとゼロに近づけようという営みは資源の壮大な浪費」と指摘したのに対して、宮田教授や藤原寿和・止めよう!ダイオキシン汚染・関東ネットワーク事務局長らは、「生態影響のプライオリティーが最も高いのがダイオキシン」「日本の規制・基準は海外に比べて甘い」「主犯は農薬でなく焼却炉からの排ガス」などと従来からの主張を繰り返すのみで新たな反論データを示すことなく終わったため議論がほとんど噛み合わず、基本的な意識の大きなずれを抱えたままでの閉幕となった。
 
 今回の討論会は、「ダイオキシン関西ネット」が、“「ダイオキシン 神話の終焉」を巡って徹底討論します。この機会に徹底批判しようではありませんか”と会員等に参加を呼びかけて開催したもの。会場には定員の180人を大きく上回る人が集まり、急遽用意された多数の椅子席もたちまち満席となる盛況ぶりであった。
 しかし、肝心の討論の中身は必ずしも熱のこもったものとならなかったといえる。例えば、渡辺、林の両教授による「ダイオキシンは本当に命と健康を脅かしていると言えるのか」との問いかけや「1970年から97年までの間はごみの焼却量が大幅に増えていたがダイオキシンの摂取量も体内量も逆に減っている。それにもかかわらずごみ焼却炉対策に巨額の資金を投入してきた点は大いに疑問」「ほとんど安全なものをもっと安全なものにするするために多くのコストと労力をかけるのはおかしい」といった主張に対して具体的なデータを用いての回答や反論がなく、「日本政府のTDIは4pgだが、他の国の多くの基準値は2pgと低い」(宮田教授)、「ダイオキシン類のうち問題とすべきは慢性毒性のなかでも発がん性や催奇形性、さらには低濃度でも影響が生じる可能性がある生殖毒性、免疫毒性、胎児毒性、脳神経障害などであることは世界的な常識」(藤原事務局長)などと“肩透かし”的ともいえる見解の披露があるだけで、真っ向から切り結ぶかたちの討論にはならないまま終わった。
 それどころか、閉会ちかくになってからは「
ダイオキシンに発がん性がないと世界で言われていることは承知している」(宮田教授)といった発言や「焼却炉に数十億円を投入する必要はなかった。空気と温度調整だけで解決できた」(同)との見解の表明もあり、すかさず渡辺教授が「宮田先生とやっとメンタリティーがあった」と発言して会場がドッと沸くシーンさえあった。
 一方、一般市民の発言は文字通り多彩であった。「所沢市民の多くがダイオキシンで死亡すると言われてきたが何も起こっていない。多額の血税が使われ、その結果焚き火ができなくなっただけ」といった発言や、「私は長年産婦人科医を続けているが、アトピー性皮膚炎の新生児は見たことがないし周囲でも聞いたことがない。新生児がダイオキシンの影響でアトピー性皮膚炎にかかるといわれて多くの母親が母乳をミルクに切り替えたのは誤りであった」など、“ダイオキシン危険論”がもたらしたマイナス面を厳しく指摘する向きがあった反面、「いまも体調が悪いのはダイオキシンのせいと思う。近くには指が異常な生き物も見られる」とか、「近所の環境濃度が高いのは明らかにダイオキシンのせいと考える。もっと厳しく規制すべき」と強い不安と不満を口にする夫人も幾人か見られた。