日本経済新聞 2007/3/20− 松下電器 どこまで強いか

プラズマに巨額投資 「誰よりも安く作る」

 松下電器産業が成長路線にカジを切った。シェア世界一のブラズマテレビで巨額投資を決定。咋年6月就任の犬坪文雄社長は2009年度に売上高10兆円、株主資本利益率(R0E)10%という目標を掲げた。子会社の日本ビクター売却も大詰めを迎え、グループ再編の仕上げも近い。松下はどこに向かうのか。
 「新工場は必要だが投資規模が大きすぎるのではないか」「いや、ここで手を緩めることはできない」。昨年7月、大阪府門真市の松下本社で中村邦夫会長、大坪社長以下数名の幹部が議論を交わしていた。テーマは07年着工予定のプラズマパネル新工場だ。
 それから半年。松下は1月、大坪社長就任後初の経営方針説明会で新工場の概要を発表した。投資額は実に2800億円。「重ね上げれば富士山を超す」(松下幹部)という年1千万救のパネル生産能力も業界の注目を集めた。
 「松下は清水の舞台から飛び降りた」(競合他社幹部)。02年に始まったプラズマパネル工場への投資は累計で6700億円に達した。同社の単一商品への投資額としては過去最大になる。新工場建設が表面化した1月10日、松下の株価は前日比85円安の2290円で引けた。価格競争に歯止めがかからない中、市場はパネルの供給過剰を嫌気した。
 松下は06年に900億円をかけて建設した尼崎第一工場を稼働、今夏には1800億円を投じた第二工揚を稼働させる。松下が予想する10年のプラズマテレビの世界需要は約3千万台。新設する第3工場を含めた年産能力は09年に2200万台に達し、単純計算で世象シェア7割強を狙う野心的な計画となる。
 プラズマ担当の森田研役員は「投資のたびに供給過剰とたたかれてきたが、需要は常に供給能力を上回ってきた」と自信をのぞかせる。「多少設備が遊ぶことがあっても、常にピーク需要に合わせて能力を整え、売り損じをなくす」(森田役員)。液晶テレビ最大手のシャープが「在庫がたまるぐらいなら玉不足ぐらいの方が良い」(幹部)と考えるのとは対照的な発想といえる。
 「雌雄を決するのはコスト競争力」と松下の坂本俊弘専務はいう。新工場の固定費(人件費や設備費など)は、松下が初めて作った茨木第一工場(大阪府茨木市)の5分の1以下。同じ投資額でパネルを何枚作れるかという投資生産性は5.3倍に上る。投資を加速して最新鋭設備を導入することで、年率3割といわれる価格下落への耐久力を高め、「誰よりも安く薄型テレビを作る体制を築く」(坂本専務)。
 松下が巨額投資に突き進む背景には、松下製のテレビを購入した顧客に、DVDやビデオカメラなど他の音響・映像(AV)機器を売り込んでいく戦略もある。06年10−12月期のデジタル家電部門の売上高営業利益率は6.2%。前年同期に比べ1ポイント向上した。価格下落でライバルの韓国LG電子が営業赤字に転落するなか、松下の強さが際立つ。
 米調査会社ディスプレイサーチによると、06年の世界の薄型テレビ市場(37インチ以上の台数べース)は液晶が53%、プラズマが47%。昨年7−9月には40型台の大型クラスで液晶の出荷台数が初めてプラズマを上回った。「プラズマか液晶か3年後には勝負がつく」(電機アナリスト)といわれる中、大型テレビでのプラズマ優位は盤石ではない。
 液晶陣営ではシャープが新工場の建設を計画、ソニー、サムスン連合も積極投資を進める方針。松下が仕掛ける耐久戦は、業界再編を促す可能性を秘めている。

グループの形 なお途上 「ビクター後」も模索

 「御社と交渉することだしました」ーー。先週末、松下電器産業の幹部3人が東京・港区にある米投資ファンド、TPGの幹部を訪問した。過去8年にわたり挫折を経てきた日本ビクターの売却問題が大きく前進した瞬間だった。
 松下は1954年、ビクターを傘下に収めた。創業者の故・松下幸之助民は「(スピーカーに耳を傾けるビクターの)犬のマークに興味と尊敬を持っていた」という。以来、松下とビクターは同業でありながら、基本的にはそれぞれ独自路線を歩むという異形の親子関係を続けてきた。
 過去のしがらみともいえるこの状況にメスを入れようと、松下は2000年前後からビクター売却を幾度となく交渉してきた。キャノン、米投資ファンドのリップルウッド、国内ファンドのMKSパートナーズーーー。いくつもの売却相手が浮上したが、価格が折り合わなかったり、ファンドに対する抵抗感など様々な理由でいずれも幻と消えた。
 「売却を考えている」。昨年10月、大坪文雄社長は千葉市幕張地区のホテルに寺田雅彦ビクター社長を呼び出して通告、事態は再び動き出した。年明げには入札方式による売却を決定、TPGとサーベラスという投資ファンド2社が名乗りを上げだ。過去に何度も交渉が流れたため、投資銀行業界では「また物別れになるのでは」という憶測もくすぶるが、松下関係者は「今回ばかりは決める」と意気込む。不退転とも言える決意の背景は何か。
 1月10日、松下は恒例の経営方針説明会を開き、大坪社長の下で初の中期経営計画を発表した。プラズマパネルの新工場建設と並ぶ目玉になったのは、09年度に株主資本利益率(ROE)10%達成という新たな経営目標を掲げたことだ。

 中村時代には経営指標として連結売上高営業利益率を重視し、目標に「06年度に5%」を掲げた。次期中計で目標とする指標を変えたのは、内外の投資家が企業を評価する際、売上高営業利益率よりもROEを重視する傾向が強いからだ。
 聖域なきリストラを断行した中村時代の松下は、ROEを重要指標として採用することはできなかった。毎年のように構造改革費用が発生するため、ROEの分子である純利益が押し下げられ、資本市場での評価を高めにくいからだ。実際、05年度のPOEは4.2%にとどまった。
 目標指標の変更は評価され始めている。2月上旬、松下首脳陣は手分けして欧米の機関投資家を訪問。「やっと松下のメッセージが見えるようになった」と言葉を掛けられた。2月9日にはスタンダード・アンド・プアーズ(S&P)が松下の長期債格付けをシングルAプラスからダブルAマイナスに引き上げた。中村時代から松下の財務部門を率いる川上徹也副社長は「念願の『ダブルAクラブ入り』ができた」と感概深げに語る。
 純利益を増やすには、営業利益の積み上げに加え、不要資産の圧縮が不可欠。上場する子会社や持ち分法適用会社が、松下以外の少数株主に払う配当を圧縮することも一策だ。それにはグループ会社の再編は避けて通れない。
 利益を内部にとどめるーー。中村体制下の6年で松下は松下通信工業などの上場3子会社の全額出資子会社化や、松下電工の子会社化に踏み切った。しかし計画はまだ途上。国際優良企業に仲間入りするため、最適なグループ経営の形を模索する動きは止まらない。

世界ブランド向上策 顧客の声、地道に反映

 松下電器産業が他の電機メーカーに先駆けて、2005年から米家電量販店と始めた連携策がある。販売実績や予測、販促プランを共有し、データに基づいて松下と各店舗が毎週協議。翌週の商品ごとの供給台数を決める仕組みだ。
 従来は量販店の購買担当者が前年実績に基づいて商品を調達し、各店に振り分けていた。新しい仕組みでは、量販店側にIT(情報技術)投資を強いたが、各店舗の在庫は適正化し、販売機会の損失も減った。
 世界最大の家電市場である北米での売れ行きを左右する量販店。松下は二強のベストバイ、サーキットシティーといち早くこうした関係を築いた。06年に対象は2社増え、07年はさらに広げる。
 北米より一足早く流通改革に乗り出した欧州では、昨年12月時点で268の流通業者と同様のシステムを構築。量販店に在庫を置かず、顧客に商品を直送する仕組みも導入した。06年4−12月期の欧州の売上高は前年同期比10%増の9223億円。「好調要因の一つは流通改革」と、4月から海外担当に就く大月均役員は語る。
 今年4月から始まる3ヵ年の中期経営計画で、松下は09年度の連結売上高を今年度見込み(9兆円)より1兆円上積みする目標を打ち出した。増加分のうち7千億円は海外で稼ぐ計画。収益を伴った成長を追求する構えだが、目標達成はそう簡単ではない。
 「パナソニックはミッド(中位)ブランドのままでいいのか」。大坪文雄社長は海外の機関投資家からそう問われたことがある。国内でこそ知名度は高いが、海外に出ればトップブランドとはほど遠く、二番手、三番手のブランド力しかない。そんな自覚は大坪社長にもある。
 音響・映像(AV)製品も白物家電も、国内市場では大きな成長は望みにくい。活路は海外に求めざるを得ないが、世界で通じるブランドは、良い商品をこつこつと作るだけでは確立できない。海外での流通改革は、現状を突破する仕掛けの一つだ。
 松下は2月、欧州でプラズマテレビの新モデルを発表した。黒を基調としたデザインは日本の同型機と趣を異にする。量販店との関係強化や集客施設でのキャンペーンなどを通じて消費者との接点を増やしたところ、ドイツの現地法人から「欧州ではシルバーより黒」との声が上がり、商品に反映させた。
 北米では顧客サービスの強化に取り組む。松下製品購入者への巡回サービスや、問い合わせを受けるコールセンター業務の充実など、地味な施策が中心だが、「消費者の声を製品に反映する」〈鹿島幾三郎取締役)ための息の長い取り組みは、流通改革と並ぶブランド力向上策の柱だ。
 もちろん、こうした取り組みで一朝一夕にトップブランドを確立できるわけではない。「漢方薬のような効き方だろう」と山田喜彦北米本部長は言う。足元の国内では、一昨年に石油温風機による一酸化炭素(CO)中毒事故が発覚。今年2月には新たにガス器具による中毒事故も明らかになり、ブランド力が揺らぎかねない事態になっている。
 坂道を上るには時間がかかり、下るのは一気。世界でのトップブランド確立への道は平たんではないが、そこを越えなければ成長路線も絵に描いたモチになりかねない。

成長のカギは「学び合い」 大坪社長に聞く

ー 社長として初めての3カ年中期経営計画をまとめた。
 「(昨年6月に)中村邦夫会長からバトンを渡された時、一つだけ注文があった。『松下をともかく変えてくれ』と。それから考え続けて到達した答えの一つが、成長へ経営のカジを切ることだ。4月に始まる中計『GP3』は、そこに力点を置いている」
 「中村会長の社長時代、松下の経営は体質改善に主眼が置かれていた。経営目標は売上高営業利益率。すなわち効率だ。増収、言い換えれば成長を掲げられなかったことに忸怩たる思いがあったはず。歴史を振り返れば、松下は停滞・後退の時期もあったが、経営環境の変化に時差なく対応できてきたと思う。少なくとも後戻りはしない松下にする」

ー 成長のカギを握るものは。
 「社内で学び合う遺伝子を作ることだ、中村社長時代に、事業の重複を解消するため創業者以来の伝統的な事業部制を解体した。しかし事業部ごとに競い合った企業文化が残っているせいか、技術やノウハウといった社内にある有形無形の財産が十分に融通・活用されていない。見えない壁の存在が非常に不満だ。社員に残っているこうした壁を破壊する必要がある。成長という言葉には、数字の積み上げだけでなく、組織や社員の成熟を目指すという意味も込めている」
 「もう一つは世界の市場に真に向き合うこと。松下のブランド価値や製品シェアは、国内では優位な地位にあるかもしれ.ないが、世界べースとなるとトップブランドではない」
 「ただ、プラズマテレビやデジタルカメラなどの商品に対するニーズは強い。世界各地の流通業者からの強い引き合いは、『パナソニック』ブランドが日本だけでなく世界でもトップブランドになる余地を残しているという意味だと思う」

ー 世界ブランドの確立に向けた具体策は。
 「(ここでも)学び合う姿勢を活用したい。例えば日本の量販店向け営業での成功事例を、現地事情に合わせて調整した上で欧米の量販店向けビジネスにつぎ込む。そこで得た成功体験を新興国・地域にも応用していきたい」

ー BRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)や、ベトナムを重点市場に掲げている。
 「これから市場が立ち上がる新興国でも先端商品を売りたい。これまで成長過程にある国では普及品を売る戦略で臨んできたが、これでは価格競争に巻き込まれるだけ。所得水準の高い層に付加価値の高い商品を販売して世界で松下らしさを示す。先日出張したドバイでは103型のプラズマテレビが200台売れた。手応えはある」

ー 子会社である日本ビクターの行方が注目を集めている。
 「繰り返しになるが、自分なりの考えは明確にある。しかし決まっていることが何もない以上、話せることはない」