2006/9/18 日本のVCM業界の変遷−1

日本のPVCの生産は第二次世界大戦前の日本窒素に始まるが、戦後、多くのメーカーが進出した。

当初は石油化学誕生以前で、製法はカーバイド・アセチレンと塩酸を反応させ、VCMをつくるものであった。

PVCの生産が増える中でカーバイドと苛性ソーダに構造的な矛盾が発生した。電力料金のアップによりカーバイドの増設が困難となり、これに代わる炭化水素源が必要となったこと、塩素の需要増でソーダが余剰となり、特に東洋曹達、徳山曹達、旭硝子、宇部曹達(現・セントラル硝子)のア法4社に問題が出てきたことである。

アセチレン法からの転換:
米国では既にエチレンと塩素からVCMを製造するオキシクロリネーション法が採用されていた。

日本では先ず、エチレンからのEDCを原料にVCMを、副生する塩酸をアセチレンと反応させVCMをつくるEDC法が使われた。

日本ゼオン(高岡)と呉羽化学(錦)はいずれも自社技術を開発し、ナフサからエチレンとアセチレンの混合ガス(ゼオンはこれを分離)からエチレンと塩素、アセチレンと塩素を反応させてVCMを生産した。呉羽はその後、原油の分解ガスも原料とした。

住化はSBA法を導入してナフサからエチレンとアセチレンを分離し、アセチレンをアクリロニトリル(旧法)とVCMの原料とた。

これらはいずれも採算等の面からその後停止した。

1964年頃から各社のオキシ法への転換が始まった。

 

アンモニア法か性ソーダの電解法への転換:
1961年11月、通産省は 「アンモニア法か性ソーダの電解法への転換方針」を出し、カーバイド法からの原料転換を奨励するとともに、ア法ソーダの電解法への転換を進めることとし、ア法メーカーのEDC計画を塩素消化の面から支援することとした。

ア法メーカーはPVCへの進出を希望したが当初はEDCのみを認めることとし、第二期エチレン計画の中で、1964年に東燃石油化学・川崎の誘導品としてセントラル硝子の、出光石油化学・徳山の誘導品として東洋曹達、徳山曹達のJVの周南石油化学のEDC計画がスタート、その後、1967年に旭硝子は旭ペンでVCMに進出した。

PVCの増設に当たっては、第1次から1972年に完成する第5次増設まで、通産省の指導と了承の下で実施された。
ア法4社のPVC進出はなかなか認められず、徳山曹達は1967年に鉄興社の増設枠を使って鉄興社/ダイセルとのJVのサン・アロー化学を設立して徳山でVCMとPVCを、東洋曹達は1970年に同じく鉄興社の増設枠を使って鉄興社とのJV 四日市鉄興社を設立して四日市でPVCの生産を始めた。
(後、1975年に東洋曹達は鉄興社を吸収合併し、徳山曹達はサン・アロー化学を100%子会社とした。周南石油化学はそれぞれの工場内にEDCを生産するものであったが、1978年に解散した。)
セントラル硝子子会社のセントラル化学は1970年にVCM、74年にPVCの生産を開始した。
旭硝子は73年にPVC生産を開始、ア法4社がすべてPVCに進出した。

VCMセンター構想:
1966年12月、通産省は「塩化ビニルモノマーセンター構想」を発表した。@今後のVCMは石油化学方式を採用することとし,カーバイド・アセチレンを原料とする設備はできるだけ早く転換する。A立地はエチレンセンター隣接地とし,規模は年産10万トン以上とする、等というものである。

更に1969年3月、通産省は「塩化ビニルモノマー設備増設計画の調整について」を出し、VCM専業企業とPVC企業との共同投資が望ましいとした。

この結果、30万トンエチレンセンターを中心に多くのVCMセンターが出来た。エチレンセンターにとっては、旧法転換によるため需要の裏づけがあること、エチレン消費量が大きいこと(20万トンVCMでエチレン10万トンを消費)から、30万トン構想の実現に大いに役立つものとなった。

塩化ビニルモノマーセンター計画  単位:千t/年

地区 会社名 生産能力 完成時期 エチレンセンター 供給先
鹿島 鹿島塩ビモノマー   220 1970年8月 三菱・鹿島 信越化学、日信化学、鐘淵化学
千葉 千葉塩ビモノマー   160 1971年4月 住化・千葉 住友化学、群馬化学、チッソ、電気化学
川崎 セントラル化学    60 1970年4月 東燃・川崎 東亜合成化学
泉北 三井泉北石油化学   120 1970年3月 大阪石化・大阪 三井東圧化学
水島 水島有機   200 1970年9月 化成水島 日本カーバイド、三菱モンサント化成、
韓国化成
水島 山陽モノマー   120 1970年7月 山陽エチレン・水島 日本ゼオン、チッソ、旭化成
南陽 東洋曹達   150 1968年7月 出光・徳山
新大協和・四日市
日信化学、信越化学、東亜合成化学、
徳山積水
徳山 サン・アロー化学   110 1970年4月 出光・徳山 自消、輸出、その他
呉羽化学   150 1970年10月 (原油分解法) 自消

 注 日信化学は後、信越化学が吸収、群馬化学は電気化学が吸収

 

幻の常陽モノマー計画:

1973年頃、呉羽化学は1976年以降の次期VCMとして、三菱油化の鹿島コンビナートの第2期計画の一環としての、旭硝子、日本ゼオン、三菱油化との共同事業を検討した。「常陽モノマー」計画と呼ばれた。

 呉羽化学:VCM不足対応
 旭硝子:PPGのオキシクロリネーション法モノマー工場の操業引受、PVC進出に意欲。
 日本ゼオン:東日本に生産拠点希望。
 三菱油化:エチレン増強

平行してPVCについて、呉羽化学、旭硝子、三菱モンサント化成の共同投資「常陽ポリマー」計画が検討され、呉羽化学の懸濁重合法によることがほぼ決まった。

しかし、その後の石油危機による不況で三菱油化のコンビナート拡張計画がつぶれ、1976年交渉は打ち切られた。
(呉羽は混合ガス法、原油ガス法VCM設備の停止後、旭硝子、住友化学からの購入に切り替えた。)

ーーーー

各社の動き

 VCM能力(単位:千トン)

  '97 '98 '99 '00 '01 '02 '03 '04 '05 PVCメーカー
鹿島塩ビモノマー  600  600  600  600  600  600  600  600  600 信越化学
カネカ
カネカ(高砂)  520  520  520  520  520  520  520  520  520 カネカ
京葉モノマー
旭ペン
 200
  50
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
 200
 ー
輸出
(呉羽化学)
トクヤマ  300  300  300  300  300  300  330  330  330 新第一塩ビ
山陽モノマー  230  230  230  ー  ー  ー  ー  ー  ー
千葉塩ビモノマー  210  210  ー  ー  ー  ー  ー  ー  ー
東ソー  784  784 1,034 1,034 1,034 1,046 1,046 1,046 1,443 大洋塩ビ
三井化学  109  109  ー  ー  ー  ー  ー  ー  ー
三菱化学
ヴイテック
 300
 300
 300

 300

 300

 300

 347

 347

 391

ヴイテック
セントラル化学  132  132  132  132  132  132  ー  ー  ー
合計 3,435 3,385 3,316 3,086 3,086 3,098 3,043 3,043 3,484  

各社が撤退する中で、ビニルチェーンの拡大を図る東ソーの大増設が目立つ。

以下に各社の動きを見る。

鹿島塩ビモノマー(三菱化学・鹿島コンビナート)

 1964/8 三菱油化が四日市に次ぐ第2の工場立地として鹿島地区進出を決定
      当初エチレン15万トンを計画、これを修正して1966年 年産30万トン計画を通産省に提出
        VCM、食塩電解、塩ビ樹脂およびアンモニアを企業化するために有力企業を誘致


 1968/2 鹿島塩ビモノマー、鹿島電解 設立

    出資比率:

  鹿島電解 鹿島塩ビ
旭硝子   25%   10%
旭電化   23%    5%
信越化学   23%   50%
鐘淵化学    8%   10%
三菱油化   21%   25%

三菱油化はエチレンセンターとして両社に参加

能力: 苛性ソーダ  年産 264千トン
塩ビモノマー 年産 220千トン
VCM引取り: 信越化学(PVC 20万トン建設)
鐘淵化学(PVC  5万トン建設)
旭硝子(製造委託)。

 その後、三菱油化と三菱化成(塩ビ生産)の合併で、三菱化学が5万トンのVCMを取得するが、
 2000年に旭硝子とともに放棄。
 現在の能力 600千トン。引取りは信越が492千トン, カネカが108千トン。   

カネカ(高砂)

 199510月、塩ビ・ソーダ事業の強化について発表
  高砂工場を中心に電解−VCM−PVCの一貫製造の優位性を生かし、競争力の強化により単独生き残りを図る。
   PVC:現状の高砂・大阪・鹿島3工場合計300千トンを年末に370千トンに増強
       将来は高砂・鹿島2工場で450千トン以上の体制へ
   VCM:
高砂のVCM 470千トンをデボトルキングで年末に 520千トンとする。
       鹿島塩ビモノマーの同社枠を加えると600千トンとなる。(→ 現在 628千トン)
   苛性ソーダ:高砂の電解の増強に着手、段階的に合計120千トンの能力増とする。

京葉モノマー、旭ペン (旭硝子、丸善石油化学エチレンセンター)

 1966年、旭硝子は米PPGインダストリーズとの50/50JVの旭ペンを設立した。
 VCMと塩素系溶剤を一貫して生産するもので、設備能力はEDC 250千トン、VCM 50千トン、溶剤が合計730千トン。
 このほか、旭硝子は
鹿島塩ビモノマー、千葉塩ビモノマーに参加し、それぞれからVCMを引き取っている。

 1993年、旭硝子は丸善石油化学とのJVの京葉モノマーを設立、200千トン能力プラントを建設した。
 工場は1995年春に完成したが、呉羽は同年7月これに参加し、25%の引取権を得た。

  出資比率 引取比率
旭硝子  56.25%  75.00%
丸善石化  18.75%   −
呉羽化学  25.00%  25.00%

 1998年5月、旭硝子は旭ペンの5万トン設備を停止した。

 なお、旭硝子(と三菱化学)は鹿島塩ビモノマーに出資するとともにVCMの引取権をもっていたが、
 2000年3月に引取権を信越化学と鐘淵化学に譲った。

 2003年3月、旭硝子は新中期経営計画「StoG2005」を発表した。
 発表の席で、石津社長は懸案の国内クロール・アルカリ事業の再構築について以下のように述べた。

  「当社単独でできる施策は完了した」
  「鹿島地区には大きな問題意識を持っておらず、千葉地区の構造改革が最大のテーマ」
  「コンビナートの再編動向をにらみながら、ベストなタイミングで取りうる施策を着実に実施する」

 同社では千葉の電解とVCM(京葉モノマー)の停止の方針を決め、関係各社への根回しを始めた。

 しかし、エチレン需要100千トンを失うこととなる丸善石油化学の反対を受け、当面操業を継続することとした。
 その後の中国バブルでVCMの輸出が好調なため、操業を継続している。

 なお、呉羽化学は京葉モノマーからの5万トンのVCM引き取り枠を保有しているが、大洋塩ビにPVC事業を譲渡、
 その後製造を停止した。
 このため、錦工場の塩化ビニリデン原料として使用する
2−3万トンを除いた分については、
 大洋塩ビの親会社の東ソーに任せることとした。東ソーは大洋塩ビの千葉工場に供給する。

(続く)


2006/9/19 日本のVCM業界の変遷−2

各社の動きの続き

トクヤマ

 ア法転換4社の1社である徳山曹達は当初、先ずEDC生産が認められた。
 1964
、徳山曹達、東洋曹達は周南石油化学を設立、
 東曹・南陽でEDCとエチレンジアミン、徳曹・徳山でEDCとPOを生産した。

 その後、東曹は自社で1966年南陽でオキシ法VCMを生産、
 1970年に鉄興社とのJV・四日市鉄興社を設立して四日市で鉄興社枠でPVCを生産した。

 徳曹は1966年にダイセル、鉄興社とのJV サン・アロー化学(徳山)を設立し、VCMとPVC(鉄興社枠で)を生産した。
 当初、鉄興社 45%/徳山曹達 35%/ダイセル 20%
、その後、ダイセルが離脱。

 1975年に東曹は鉄興社を吸収合併し、徳曹はサン・アロー化学を100%子会社とした。
 周南石油化学は1978年に解散した。

 1995年にトクヤマ、サン・アロー化学は新第一塩ビに参加した。
 新第一塩ビでは住化は千葉塩ビモノマー、ゼオンは山陽モノマー、徳曹はサン・アロー化学から
 VCMを持ち込んでいたが、徳曹は1996年12月に公称能力 13
5千トン設備をS&Bし、300千トン設備を建設した。

山陽モノマー(日本ゼオン、旭化成・水島コンビナート)

 1968年、山陽モノマーが設立され、1970年にゼオン水島工場内に12万トン設備が建設された。

出資比率 日本ゼオン 55%、旭化成 25%、チッソ 20%
原料 塩素   :岡山化成(旭化成 50%、ダイソー 50%
エチレン:山陽石油化学(旭化成)
引取 ゼオン  65%  PVC
旭化成
10%   ビニリデン、溶剤(延岡)                 
チッソ 
25%   PVC

 日本ゼオンは1979年に高岡の混合ガス法(GPA)設備を停止している。

 その後、山陽モノマー能力は230千トンに増加した。

 新第一塩ビは1999年5月に、水島のPVCプラントの停止を含む再構築策を発表した。 
 日本ゼオンは旭化成、チッソと交渉し、PVCと同時に2000年3月に山陽モノマーを停止することを決めた。

  対応として、旭化成は3年間、塩素とエチレンを隣接の三菱化学にパイプで供給し、
  VCMを生産委託し、チッソ水島(撤退決定で鐘化からPVC製造受託)と旭化成延岡に供給した。

千葉塩ビモノマー(住友化学) 

 当初、住化と電気化学2社JV・日本塩化ビニールでVCM 100千トンを生産する計画であった。
 通産省の指導で、千葉地区の3計画(日本塩化ビニール、旭ペンケミカル、日産化学の各10万トン計画)を統合
した。

 この結果、 電解〜EDCの日本塩化ビニール(住化/電化)とVCMの千葉塩ビモノマー(住化/電化/旭硝子/日産/チッソ)
 が設立された。

 以後の経過は次の通り。

 1984年に電解のDI法への転換で徳山曹達の技術を導入、徳曹は関東の塩素系製品製造のため、電解に参加した。
  (電解、EDC、VCMの3社に分離)

 1996年に大洋塩ビが設立され、東ソーは電気化学の工場内にVCMタンクを設置、電化は千葉塩ビからの離脱を要請した。

 交渉の結果、1997年10月に電化は3つのJVからの引取りを中止、98年10月に電解、EDC会社が解散した。
 電化は千葉塩ビモノマーからも離脱、住化と旭硝子は旭硝子のEDCを使って両社枠の生産継続を図った。
 しかし、経済的に成り立たず、同社は99年に解散した。

 新第一塩ビとしてはサン・アローのS&B後はVCM能力が過大で、徳曹は外販で補っていたため、支障は生じない。

 

東ソー(四日市、南陽) 

 多くのエチレンセンターの中で、東ソーはエチレンを塩ビ用を中心とするという特異な戦略をとった。
 同社は、港湾設備、自家発電設備といった強力なインフラ基盤を背景に、電解、VCM、PVC、塩ビ加工へとつながる
 「ビニル・チェーン」を国内を含めたアジア市場に主眼を置いて展開することを決めた。

 同社は1996年の南陽の第二VCM(第1期)に始まり1999年まで、南陽と四日市でビニルチェーンに膨大な投資を行った。
 
大洋塩ビ設立時には次の構想をたてた。
   三井東圧化学は名古屋の電解、大阪の電解とVCMを停止、
   電気化学は千葉電解、千葉EDC、千葉塩ビモノマーから離脱し
て、東ソーから購入
 南陽の第二VCM(第1期)30万トンは、この構想を前提に建設したもので、その後構想は実現した。

 同社はその後もビニル・イソシアネート・チェーンの拡大を続けた。
 2005年11月、南陽のVCM 400千トンが完成し、VCMの合計能力は1,475千トンとなった。
 なお、2006年4月には同設備を600千トンに増設すると報じられている。

三井化学(大阪)

 1968年に三井化学と東洋高圧、三井泉北石油化学を設立し、1970年に大阪でオキシ法VCM,PVCの生産を開始した。

 (三井化学と東洋高圧は1968年に統合、三井東圧化学となり、1974年に三井泉北石油化学を吸収合併した)

 三井化学は1996年に大洋塩ビ設立に参加、東ソーの構想に乗り、1999年12月に大阪工場の電解(ソーダ70千トン)と
 VCM(109千トン)を停止した。
 東ソーにエチレンを供給し、VCMを製造委託した。

三菱化学→ヴイテック(水島)

 三菱化学の塩ビ事業は、四日市でのMonsant とのJVのモンサント化成と、水島での日本カーバイドとのJVの水島有機に始まる。

 両社の事業は最終的に1985年に三菱化成ビニルに統合されたが、三菱化成と三菱油化の統合による三菱化学の設立で、VCM、PVC事業は三菱化学が引き継ぎ、三菱化成ビニルは樹脂加工業となった。

 2000年4月、三菱化学は東亞合成とともにヴイテックを設立、水島の電解〜PVC、四日市のPVCはヴィテックに移った。

 なお、三菱油化と三菱化成(塩ビ生産)の合併で、三菱化学が5万トンのVCMを取得した。
 東亞合成との提携で、これを川崎に持ち込んでPVCにし、関東地区の販売に当てた。
 しかし、2000年に旭硝子とともに引取り権を放棄している。

 ヴイテックは2002年に企業体質強化策を発表した。
 これに基づき、
 2003年3月、セントラル化学からの年間10万トンVCMの引取りを終了
 同年6月、水島のVCM能力を35万トンに引き上げ
 2003年末、電解の増強を行い、EDC自給体制を整えた。

 2005年、同社は水島のVCM能力を40万トンに引き上げた。増産分は中国を中心にアジア市場に輸出する。

セントラル化学(川崎)

 1963年、セントラル硝子(元 宇部曹達)70%/東亜燃料 30% でセントラル化学を設立
   翌年、水銀電解及びEDCの製造販売を開始

 1969年、東亜合成、セントラル硝子、東燃化学が川崎有機を設立)
 (1970年、川崎有機、PVC生産開始)                             

 1970年、セントラル硝子 60%/東亜燃料 20%/東亞合成 20% に。
      VCM製造販売開始(VCMは川崎有機へ供給)
      
 1974年、PVCを川崎有機に生産委託し、販売開始
 
 1985年、イオン交換膜電解新設
      セントラル硝子74.4%/東燃化学 12.8%/東亞合成 12.8% に。

 2000年、セントラル硝子 87.2%/東燃化学 12.8%

  * 2000
4月のヴイテック発足に先立ち、川崎有機からセントラル硝子、東燃化学が離脱し、
   川崎有機は東亞合成 100%に
   
(PVCはヴイテックに移管、機能性モノマー専業になるが、2001年 東亞合成が吸収合併)。
   これに合わせて東亞合成がセントラル化学から離脱した。

 2002年、セントラル硝子 100%に。
 2003
年、PVC、VCM事業から撤退、4月にセントラル硝子が吸収合併。

ーーーー

「選択と集中」時代に旭ペン、三井化学、山陽モノマー、千葉塩ビモノマー、セントラル化学の各社が設備を廃棄し、その合計能力は731千トンに及んだ。しかし、他方、ビニルチェーン拡大を図る東ソーが大増設を行い(更に増設も)、その結果、2005年末の能力は97年のそれを上回っている。

VCM能力(単位:千トン)

  '97 '05 PVCメーカー
鹿島塩ビモノマー   600   600 信越化学
カネカ
カネカ(高砂)   520   520 カネカ
京葉モノマー
旭ペン
  200
   50
  200
  ー
輸出
トクヤマ   300   330 新第一塩ビ
山陽モノマー   230   ー
千葉塩ビモノマー   210   ー
東ソー   784  1,443 大洋塩ビ
三井化学   109   ー
三菱化学
 →ヴイテック
  300
  
  391

ヴイテック
セントラル化学   132   ー
合計  3,435  3,484  

日本のVCMの需要は図の通りで、2005年末能力3,484千トンに対して、2005年の総需要は2,844千トンである。
そのうち、輸出PVC用が714千トン、VCM輸出が652千トンで、合計1,366千トン、総需要の48%に達する。

PVCもVCMも輸出は中国向けが中心であるが、PVCの膨大な増設が行われ、既に輸出が増大しつつある状況である。また中国でのPVCの新設はカーバイド法が中心である。

このため、PVC、VCMともに、今後の中国向け輸出は減少するものと思われる。

その場合、PVCも含めた再編が必要となる。

東ソーのビニルチェーン構想は成功するのであろうか。筆者の見方はノーである。輸入したナフサ、工業塩を原料にして、汎用品のVCM & PVC と苛性ソーダを輸出するというのは、如何に用役費が安いとはいえ、物価の高い日本でやることではないだろう。

 


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