経済学におけるノーベル記念賞

http://cruel.org/econthought/schools/nobel.html

  原ページ     経済思想の歴史より

アルフレッド・ノーベル。スウェーデン銀行章はかれの名をとってつけられている。

 

 1896 年に、スウェーデンの産業人で、ダイナマイト発明者のアルフレッド・ノーベルが、自分の財産を財団に寄付して、「前年に人類に対して最大の便宜を与える貢献を行った」人物に対する年次の賞を創設した。ノーベルの遺言状が指定したのは、物理学、化学、医学/薬学、文学、平和の各賞だった。これは 1901 年に第一回が授与された。

 1969 年に、スウェーデン中央銀行 (Sveriges Riskbank) が「アルフレッド・ノーベルを記念した経済科学におけるスウェーデン銀行賞」(The Bank of Sweden Prize in Economic Sciences in Memory of Alfred Nobel)を設立して、これが一般には略されて「ノーベル記念賞」(またはノーベル経済学賞) と呼ばれている。ノーベル記念賞は、もとのノーベル賞と同じような受賞者選出手続きを持っている(審査を行うのはスウェーデン王立科学アカデミーだ)。またもとのノーベル賞と同じ金額を授与するし、正式な授与式もいっしょだ。

 ノーベル記念経済学賞は、創設以来かなり議論を呼んだし、いろんな反対論も起きている。最初の反対論は、経済学なんてのはまともな科学じゃないし、「人類の進歩」に大した貢献もしてないし、ノーベルの名前を冠した栄えある賞なんざもったいない、というものだ。こういう気運は、もっと広いインテリ層や一般マスコミでもよく出てくるし、多くの経済学者自身からして同じような意見を持っている。実は、スウェーデン銀行がこの賞を設立するのを手伝って、1974 年には受賞者となったグンナー・ミュルダールでさえ、やがて公式にそれを認めるようになった。

 第二の反対論は、スウェーデン銀行が栄えあるノーベルの名前を使うことにしたせいで、経済学は何やらメダル競争になってしまって、国同士、大学同士、個々の経済学者同士がお互いに争うようになった、というもの。これで状況が無用にギスギスしてきて、まともな経済研究の気が散るし邪魔になる、というものだ。

 第三の反対、それもますます強まる反対論は、この賞に値する真に傑出した経済学者がそんなにいないぞ、というもの。1970 年と 1980 年代には文句なしの大物たちが名を連ねたけれど、多くの人は 1990 年以降の受賞者は疑問の余地が多いぞ、と述べるようになっている。

 これは確かにある程度は事実だけれど、でもしょうがないことでもある。1969 年以降に賞が出回るようになった頃には、手遅れになる前に賞をあげとく必要のあった何世代もの人たちがいっぱい残っていた。1970 年代の賞はほとんど文句なしだった。ジョーン・ロビンソン、ニコラス・カルドア、アバ・ラーナー、ドン・パティンキンが受賞しなかったのはひたすら運が悪かったからで、死ぬのが早すぎただけだ。1980 年代半ばになると、「文句なし」のノーベル賞受賞者はすでに賞をもらったか死んだかしてたので、選定委員会も、ちょっと手を伸ばしててっぺんの少ししたあたりで宝石を探すようになったのも、仕方ないことだ。

 第四の反対論は、ノーベル賞委員会は独自の狙いを持っていて、経済学がある特定方向に動くことを推奨するように賞を手渡しているのだ、というもの。いちばん粗雑なレベルでは、一部の人はノーベル賞委員会が「シカゴ学派」に偏向しているという。シカゴ大学と関係した人の受賞者がやたらに多いからだ(国別、大学別の受賞者分類はここをクリック)。

 これはまったく根も葉もないわけじゃないけれど、それなりの文脈を考えるべきだろう。ノーベルの名前はもちろん、受賞者に大きな足場を与える――そして審査委員会は、確かに議論の分かれる特異な選定をして、経済学に大きな影響を与えてきた。たとえば 1974 年に、当時はほとんど忘れられていたフリードリッヒ・A・ハイエクに賞をあげたことで、ハイエクとオーストリア学派への関心は一気に高まった。1976 年のミルトン・フリードマンの受賞は、かれを一夜にして業界の一匹狼からその名士の一人に変え、マネタリズムももっとまともに見られるようになった。近年だと、ノーベル賞はそれぞれ新しい研究分野にスポットライトをあてている。制約合理性 (bounded rationality) は 1978 年にハーバート・サイモンが受賞するまではほぼ無名だった。公共選択理論も、ジェイムズ・ブキャナンが 1986 年に受賞するまではだれも知らなかった。新制度学派 だの 新経済史だのも、1991-93 年にコースベッカーフォーゲルノースが受賞するまでは、傍流でしかなかった。もちろん、時にはノーベル審査委員会の示唆が思ったような効果を上げないこともある。たとえばクズネッツストーンの受賞は、データ収集や分析といった重要だけれど華に欠けるドタ作業を奨励する意図があったのかもしれないけれど、でも特に関心が高まったわけじゃなかった。

 この裏返しとして、スウェーデン銀行はしばしば当確級の候補者を選ばないと言って(おそらくは不当に)批判される。一部の選択は、プロの経済学者からはっきり批判されている。みんなに好かれて推奨されている有力候補者はたくさんいて、みんな毎年のように下馬評トップに挙がるのに、毎年受賞できない人も多い。これは、選抜委員会が、ノーベル記念賞を人気コンテストとして運営しようとはしない、というはっきりした方針のせいでどうしても起きることではある。だからスウェーデン銀行の選択がまるで気に入らないとか、お気に入りの候補者が毎年受賞を逃すので頭にきているような人であっても、スウェーデン銀行の勇気には敬意を表すべきかもしれない。

 でも、スウェーデン銀行の選択が経済学業界とその後の経済学研究の方向性に対して持っている、一貫性のない過大な「影響力」のせいで、多くの人はノーベル記念賞なんかやめろと主張している。一つの提案としては、それをもっと偏りのない、あまり大げさでない「生涯栄誉賞」みたいなものにすることだ。たとえばかつてアメリカ経済学会が出していた、フランシス・ウォーカー記念メダルみたいなものだ。

 スウェーデン銀行の経済学ノーベル記念賞は、毎年 10 月 12 日頃に発表されて、実際の授与式は(本物のノーベル賞といっしょに)12 月 8 日に行われる。受賞者は「ノーベル記念講演」をするよう求められ、これは最初、ノーベル記念財団が毎年出す Les Prix Nobel en xxxx (xxxx はその西暦年) に収録されてから、受賞者の好きな学会誌に掲載される。近年では、American Economic Review がノーベル記念講演の多くをぱらぱらと再録している。

ノーベル記念賞, 1969-2003.

1969 -

1970 -

1971 -

1972 -

1973 -

1974 -

1975 -

1976 -

1977 -

1978 -

1979 -

1980 -

1981 -

1982 -

1983 -

1984 -

1985 -

1986 -

1987 -

1988 -

1989 -

1990 -

1991 -

1992 -

1993 -

1994 -

1995 -

1996 -

1997 -

1998 -

1999 -

2000 -

2001 -

2002 -

2003 -

2004 -

ノーベル統計 (2001 年まで)

Nobels Awarded

受賞者の国籍

(注: クズネッツ、クープマンス、ドブリュー、モジリアニ、ハルサニ、ショールズは外国生まれだけれど、アメリカ人として受賞した。ハイエクとルイスも外国生まれだけれどイギリス人として受賞した。コース(英国)や、ヴィッカリーとマンデル(どっちもカナダ人)は、実際の国籍を使った。)

所属大学(受賞時)

最終学歴(博士号等)を得た大学

ノーベル記念賞に関するリソース


ホーム 学者一覧 (ABC) 学派あれこれ 参考文献 原サイト (英語)
連絡先 学者一覧 (50音) トピック解説 リンク フレーム版

免責条項© 2002-2004 Gonçalo L. Fonseca, Leanne Ussher, 山形浩生