Tech Mom from Silicon Valley   http://d.hatena.ne.jp/michikaifu/

 

ENOTECH Consulting代表 海部美知。シリコン・バレー在住、子育て中の主婦でもある。

michi@alumni.stanfordgsb.org

プロフィール

1989年より、米国の長距離電話と携帯電話のキャリア事業を経験。1998年にコンサルティングを開始。米国と日本の通信・携帯電話・ブロードバンド・IT市場に関する調査・戦略提案・提携斡旋などを行っている。

1983〜87年 本田技研工業海外営業部中南米課。いわゆる「女子総合職」採用第一号として入社。ベネズエラやグアテマラやエクアドルに、バイクやエンジンを売っていた。「プラザ合意」で円高になって会社が大幅に女子社員をリストラした際、それまでやらなくてよかった伝票処理や庶務が回ってきて、ガッカリ。それならいっそ、円高を利用して海外留学しようと決意して退社、スタンフォードMBAに挑戦。ホンダでは「国際ビジネスマン」としての精神をたたきこまれ、新入社員なのに面白い仕事をさせてもらえた。今でも、よい会社だと思う。

1989〜96年 NTT America Inc.事業開発担当。スタンフォード卒業後、NTTに「本社採用」で入社、すぐに海外赴任という形式でニューヨークの現地法人へ。まだNTTの海外事業が許されていない頃から、インターネットの黎明期、インターネットとテレコムのバブル期へとの変遷を間近で経験。まだドコモが分離されていなかったので、携帯電話の仕事も経験した。

1996〜98年 NextWave Telecom Inc., Director, Business Development。FCCのオークションで携帯電話免許を取って参入しようとした壮大なベンチャー会社。そこで、通信キャリアに対して卸契約を売る仕事をしていた。最近はやりのMVNO。免許はたくさんとれたが、その後の資金が続かず、98年にChapter 11となり、私もレイオフされた。

1998〜現在 ENOTECH Consulting, Principal。レイオフ当時、子供がまだ1歳で、私は育児と仕事でへとへとになり体をこわしていたので、就職せずにマイペースでコンサルティングをやることに。開業3日目で幸いにも最初のクライアントがつき、その後、順調に推移して現在に至る。1999年、亭主もフリーになったので、ニューヨークを引き払い、念願のベイエリア帰還を果たす。その後二人目もでき、相変わらずへとへとで毎日を過ごしている。

 

2005-07-28 

[日本]パラダイス的新鎖国時代到来? - いいのかいけないのか?(その1)

また1ヶ月も更新をさぼっていたのは、毎年夏の日本での休暇のため。毎年夏に帰るごとに、「日本はどんどん住みやすくなっていくな・・」とぼんやり思っていたが、今年の夏は決定的に、「日本はもう住みやすくなりすぎて、日本だけで閉じた生活でいいと思うようになってしまった」、つまり誰からも強制されない、「パラダイス的新鎖国時代」になってしまったように感じたのだった。

私が中学生の頃にアメリカかぶれになったのは、その頃日本と比べてアメリカが圧倒的に素敵なところに見えたからだ。ティーンのこととて、音楽からはいったワケだが、当時のティーンのアイドル、「カーペンターズ」と「山口百恵」の間には、歴然とした格の差があった。私よりも先輩の世代と比べればまだ大したことはないが、それでも生活レベルの差があり、アメリカに行くことはとてもお金がかかる大変なことで、「憧れ」の対象であった。それが原動力になって、一生懸命英語を勉強して、高校でアメリカに交換留学に来た。その後ヨーロッパやアジアを放浪して歩いたのも、アメリカの原体験で培われた「外国」「異郷」に対する憧れが原動力だった。

でも、今はアメリカのアイドルも細分化・矮小化してしまい、Jポップと圧倒的な格差があるようには見えない。文化面だけでなく、携帯電話やブロードバンドなど、生活に密着した技術の部分では、もうアメリカより日本のほうが進んでいると見える。わが家の8歳の息子でさえ、駅にずらりと並んだハイテク自販機や自動改札を見て、「日本のほうが技術が進んでる」を持論としている。日本の家は相変わらず狭いけれど、一歩外に出ればものすごい量の商品の並ぶ店やおいしいレストランがいくらでもあり、公共サービスも充実してきたし、一時ほどモノの値段も高くない。

まだまだ海外旅行は好きなようだが、これもぐんと安価・手軽になり、一昔前と比べ、一般の日本人が外国生活に憧れる理由は格段に減ってしまったのである。となれば、わざわざ苦労して英語を勉強して、犯罪やテロや戦争のある外国に行くのは、酔狂な話である。

そして、所得が増加して国内市場が大きくなり、一方で中国での生産やデジタル経済による種々の価格破壊によってコストは安くなり、商品やサービスを売る企業も、日本国内だけで十分採算がとれるようになった。私がビジネススクールにいた頃、効率的な生産規模を実現するためにはグローバル化は不可欠、といったセオリーが信じられていたが、今やそんな必要もなくなってしまったようだ。この頃よく漫画にもなった、途上国の果てまで日本製品を売り歩く「モーレツ・ジャパニーズ・ビジネスマン」の姿は、最近とんと見なくなってしまった。

そして、90年代のネットバブル・シリコンバレー全盛時代には、かろうじて「ベンチャー」「ハイテク」のキーワードでアメリカは魅力を維持していたが、それすらもうなくなってしまった。

一時期、技術の進展による過度なグローバル化(=アメリカの影響力増大)を懸念して、ヨーロッパで激しい抵抗が起きたことがあったが、技術の進展と社会の豊かさの増大がかえって自国閉鎖型エコノミーを現出させているかのようだ。

日本が住みやすい社会になってきたというのは、とてもいいことである。アメリカも最近、別の意味(政治的)で孤立を深めているが、その前から、今の日本の「パラダイス的鎖国」に近い現象が見られた。アメリカ人が圧倒的に外国語が下手なこと、世界でただ一ヵ国、いまだに「ポンド・ヤード制」を使っていることなど、いろいろその証左がある。つまり別の言い方をすれば、日本が「アメリカ化」しているのかもしれない。

しかし、ホントにそれはいいことなのだろうか?日本という国が世界の中で生きていくにはどうあるべきか、日本にとってはどういうグローバル化がよいのか、ということを、多分気づかないうちに高校の頃からずっと追いかけてきた私にとって、ある意味では「アイデンティティ・クライシス」ですらある。

いろいろ考えるところがあるので、続きはまた別の日に。

 

[日本]パラダイス的新鎖国時代到来(その2) - 「ホテル・ルワンダ」vs.「亡国のイージス」

さて、今回の旅行中に「国」について考えさせられる映画を2本見ることができた。

一つは、行きの飛行機の中でみた「ホテル・ルワンダ」。前から見たかった映画である。途上国の果てまで日本製品を売りに行っていた頃に経験した、ドロドロの途上国の現実を久しぶりに思い出した。ルワンダ国内のマジョリティであるフツ族が、少数民族のツチ族を壊滅しようとして起こす内戦を舞台にし、「ルワンダのシンドラー」といった役割を演ずるホテルの支配人の物語である。ある日突然、自分の隣人や妻が、ツチ族であるというだけで連れ去られ、虐殺される、といったことが、本当にこうした国では今でもあるのだ。そして、一番心が痛むのは、国際社会に対する主人公の呼びかけに対し、国連軍はルワンダ国内の「外国人(=白人)」の保護まではするが、ツチ族の保護はしないと決定してしまう場面である。「ルワンダなど、国際社会の中ではどうでもいい存在なんだ。国連軍が介入する価値などないんだ。」と絶望した主人公(だったか、国連軍将校だったか・・)がつぶやく。うーむ・・・小国の運命の哀しさが心に痛い。

もうひとつは、日本映画の「亡国のイージス」。正式公開はこの週末からだが、試写を見ることができた。某国の工作員と自衛隊反乱者がイージス艦を乗っ取り、政府を脅すお話。政治的な思想の部分はいわば「縦糸」で、見所はどちらかというと「横糸」のヒューマン・ドラマの部分で、作った人たちの熱意が感じられ、多面的な楽しみ方のできるよい映画だと思った。しかし、ストーリーの中で今でも一つだけ納得のいかない部分がある。私は原作の小説も読んでいるが、その原作からも引きずっている弱み、それは、テロリストと組んで反乱を起こす副艦長(小説では艦長)とその腹心の部下の「動機」である。副艦長には、「息子を日本政府に殺された」という恨みもあり、「この国は、オレたちともども、一度滅びるほうがいいんだ」といったセリフを吐き、特に小説では細かく心情の説明もあるのだが、どう説明されても、祖国を裏切り、これほどの大犯罪を起こし、自分の半生を捧げてきた信条と組織を踏みにじり、信頼してきた同僚さえもそのために殺戮するという行為の動機として、十分大きいとは私にはどうしても思えないのだ。

ルワンダのような国と比べ、なんと言おうが、日本はいい国である。平和で、治安がよく、言論の自由がある。豊かで、機会は開かれている。ある日突然、殺戮される心配などない。犯罪者はきちんと罰される。そのために、どれだけの努力がされているかということに認識が足りないとか、そういう話はあるだろうが、大筋において、なんといっても先進国だ。

一方、前回書いたような「パラダイス的鎖国」と、日本の相対的な経済的価値の低下のため、世界の中で日本の「relevancy」が低下していく現象は、やはり不安になるのである。ルワンダのケースは、その一番極端なケースで、さすがに日本がそういうことにはならないだろうが、国際社会の中でのrelevancyがなくなる、ということはどういうことかを端的に示しているのである。

そしてこの話、まだ続きます。

 

[日本]パラダイス的新鎖国時代到来(その3)- なお超えがたき言語の壁

私は、母校一橋大学の卒業生のうち、IT産業のプロが集まる勉強会、「IT経営研究会」の末席を汚させて頂いている。ほぼ年に一度、7月の定例会だけに出現する「七夕会員」のくせに、言いたいことばかり言っている失礼な会員で、いつも本当に申し訳なく思っている。

さて、今年の七夕の頃にも、定例会に出席させていただき、今回は「インドのアウトソース産業」の話を大変興味深く拝聴した。そのプレゼンテーションのあとの議論で、「言語の壁というものを軽く見ないほうがよい」といったご意見があり、またまた「うーむ・・」と考え込んだ。

ろくに周知もしていないこのブログだが、先日のエントリーを梅田望夫さんにご紹介いただいたおかげで、急にトラフィックが上がっている。(梅田さん、ありがとうございます!)で、その梅田さんが翌日の記事で「自動翻訳」の話に言及されている。

さて、日本人のほとんどはネット上で日本語だけを読んでいる。仮にこれから、自動翻訳技術がどんどん進んできたら、昨日のエントリーで議論した海部美知さんが指摘する日本の「パラダイス的新鎖国」状況は、ますます進んでいくのかもしれない。それとも日本語で情報発信できるようになったら、「鎖国から開国へ」と転換していくのだろうか?

「モーレツ・ジャパニーズ・ビジネスマン」が流行った時代には、日本人の英語苦手現象も、徐々に克服されていくと私は思っていた。これだけ外国に行く人が増え、外国から日本に来る人が増え、インターネットへのexposureが増えれば、次の世代に日本人は、もう英語など苦にしないようになるだろうと思っていた。少なくとも、そういう人がかなりの勢力を占めるぐらいまで増えるだろうと思っていた。

しかし、ここ20年ほどの趨勢を改めて振り返ると、どうもそうではないらしい。exposureが増えても、「パラダイス鎖国」状態である限り、苦労して英語を学ぶインセンティブはない。やっぱり、苦労しなければ、外国語はできないのだ。自動翻訳でカバーできる部分もあるだろうが、それは「対人」英語の足しにはならない。

対人英語とは、単に意味を理解するだけでなく、直接の会話や文章で、相手の気持ちを(多かれ少なかれ)動かすことができる英語という意味で使っている。別に、おおげさに感動させなくてもいいが、相手が興味を持つことをちゃんと伝えられる、ということだ。

アメリカは、パラダイス鎖国でも別に困らない。世界中の人が英語を勉強してくれるし、外国出身者やバイリンガルの人を内部化しているし、なんといっても世界の最強国だからみんな興味を持たざるをえない。しかし、日本はそうはいかない。きちんと英語で発信できないと、ますますrelevancyは低下してしまう。

あ、でも多くの日本人にとって、そんなことどうでもいいのである。パラダイス鎖国でも困らないのである。こうして、いつまでたっても言語の壁はやはり越えられないようだ。私のような、英語でメシを喰っている人間は、まだ当分地位安泰ということにもなるが、別にありがたくもない。長期的に、日本のrelevancyが低下したら、私の仕事そのものが干上がってしまうからだ。

しつこく、この話まだ続きます。

 

 

[日本]パラダイス的新鎖国時代到来(その4)- 産業編・携帯電話端末のケーススタディ

さて、パラダイス鎖国は、文化や意識の面だけではない。私の専門分野である携帯電話の業界では、「パラダイス鎖国」現象が近年著しい。

1990年代半ば頃まで、すなわちアナログ(AMPS)時代には、アメリカでも日本製の携帯電話端末が活躍していた。私も最初に買った携帯電話はパナソニックだったのを覚えているし、NEC、富士通、沖、三菱電機などの電話機が店頭を飾っていた。この頃、アメリカの方が普及率は高く、技術やマーケティング面でもアメリカは日本よりも2年ほど先を行っている感覚であった。

しかし、その後デジタル化でアメリカはつまづいた。政府主導で業界標準を決めるのが嫌いで、日本のドコモ(当時はまだNTTの一部だった)のような明確な市場リーダーもいないアメリカでは、「いくつかある世界標準から好きなのを選んでいい」ということになった。この結果、TDMA、GSM、CDMAという3つの方式が乱立し、いずれもそれぞれを担いだメーカーが、数多いキャリア(通信事業者)に売り込みをかける乱戦となった。無線通信の技術というのは、実際に設備を打ってみると、理論どおりいかないことが多いので、こうした新しい方式のどれがよいかの論争は、水掛け論に近い「宗教戦争」の様相を呈する。キャリアとしては、間違った選択をすると生死に関わるので、慎重に検討する。(実際、間違った選択をしたAT&Tワイヤレスは、10年たたないうちに消滅した。)当然、時間がかかる。泥仕合が数年続くアメリカに対し、日本はアナログがまだあまり普及しないうちに、さっさとドコモが独自方式のPDCを全国展開して、一気にデジタル化で先行した。日本の端末メーカー各社は、この時期にアメリカに見切りをつけてしまったのだ。混乱の果てにようやく98年頃から本格化した米国のデジタル携帯電話では、日本メーカーの姿はすっかり消えてしまった。

一方で、日本ではiモードが花開き、薄型で美しい液晶を搭載し、音もきれいで高機能な電話機が次々と出る。サービスでも端末でも、日本のケータイは「世界一」になった。日本の国内市場が成長するスピードについていくのに、メーカーも必死である。どの方式を開発すればいいかさえ決められない、アメリカなど、相手にしている暇はなかった。日本は世界をリードする携帯技術を手に入れたが、先に行きすぎて、他の市場を捨ててしまったという皮肉な結果になった。

そして、3Gも世界に先駆けて始まった。3Gは次世代の世界標準で、ようやくこれで日本も、PDCで孤立していた状況を抜け出し、メーカーは世界で売れると意気込んだ。

しかし、欧州でもアメリカでも、3Gの展開は遅々として進まない。世界標準といっても、今度も結局は2本立てになった。欧州のGSM後継方式とドコモ方式を融合したW-CDMAと、米国・韓国やKDDIが採用したCDMAの後継方式cdma2000の2つである。ドコモが名誉をかけて推進したW-CDMAのために、NECやパナソニックなど、ドコモ陣営のメーカーは莫大な研究開発費をかけた。並行して、ドコモが海外のキャリアに出資して、W-CDMAの採用を働きかける作戦に出た。忠誠を尽くしてくれたメーカーの努力にも報いなければいけないので、出資先のキャリアには、ドコモ陣営のメーカーの採用を働きかけた。アメリカでは、AT&Tワイヤレスがそれであった。

こうして、久しぶりに、業界展示会のCTIAでは、NECやパナソニックの端末がお目見えしたのが2年ほど前だったか。日本の技術の粋を集めた、美しく、高機能な端末であった。しかし、値段は高く、販売はそれほど伸びず、また他のキャリアへの浸透もあまり進まなかった。展示会ブースで話を聞くと、「なんだか、お高くとまってるなぁ。日本の洗練されたユーザーと比べて、アメリカの一般消費者をバカにしてるんじゃないのかな?」という印象を受けたものだ。

そして、ついに今年は、AT&Tワイヤレスの消滅とともに、この両社の携帯電話機の展示も、CTIAから消滅してしまった。90年代の華やかさを知る私は、今年のCTIAでの両社のブースの様子を見て、思わず鉄骨だらけの天井を見上げてため息をついた。やっぱり、ダメだったか・・・(詳細はここを参照)

現在、アメリカ市場でなんとか頑張っているのは、KDDIにCDMA端末を供給している三洋と京セラぐらいであるが、シェアは残念ながらあまり大きくない。結局、アメリカ市場ではデジタル3方式のうち、CDMA方式が勝者となったのだが、この方式を採用しているベライゾンとスプリントで、この2社の製品が売られている。いずれはW-CDMAに移行すると見られているGSM陣営のシンギュラーでは、ノキア・ソニーエリクソン(日本ではソニーが主体でCDMA端末もやっているが、アメリカではスウェーデンのエリクソンが主体でGSM端末に特化している)・シーメンスなどの欧州メーカーの独断場がつづいている。(米国のモトローラは両方式ともに供給しており、実は最近はだいぶ両方で巻き返している。)

こうして、日本の大手メーカーはアメリカでの地位を失い、欧州でも苦戦、一方日本ではどんどん進んだ端末が出る、という、典型的な「パラダイス鎖国」状態となってしまったのである。

日本が自国の殻に閉じこもる一方、韓国のメーカーがめざましい躍進を遂げた。同国では、国策としてCDMA方式を採用、端末デザインや液晶の技術、データ系サービスやエンタメ系コンテンツなどでは、日本と同等か場合によっては一歩先を行くぐらいの先進性がある。CDMA採用を決めた早い頃からサムスンがスプリントに端末を供給を開始した。サムスンと、その後やや遅れて参入したLGの韓国陣営は、韓国風(=日本とほぼ同じ)の折りたたみ式、美しい液晶、カメラ付きの魅力的な端末をどんどんアメリカに売り込んだ。その後GSMにも供給を始めているが、ここまでのアメリカでのCDMA陣営の勝利は、韓国メーカーの端末が原動力となっている。販売台数のシェアでは、まだノキアがトップを占めているが、これは無料やごく安価なものが多いからで、こうした端末を買うユーザーは、キャリアにとってもあまり上客ではない。業界で最も影響の大きい、数もマージンも大きい中位顧客層は、韓国メーカーとCDMA陣営が強いという構造ができあがった。

もはや、アメリカの携帯電話業界では、日本のメーカーはirrelevantになってしまった。それに対し、韓国メーカーは、relevantどころか、マーケット・メーカーにすらなっている。もはや、追いつけないほど先に行ってしまったのである。

この業界で、新規参入やシェアの拡大をしようと思ったら、「市場の不連続」現象のある時期、すなわち技術の世代交代期などを狙わないと難しいものである。日本メーカーにチャンスが巡ってくる、次の不連続期はいつのことか、何になるのか。いずれにしても、日本でのケータイ文化の爛熟とは裏腹に、世界での日本陣営のrelevanceは、むしろ低下の一方なのである。「パラダイス鎖国・産業編」の最も典型的なケースではないかと思う。

 

[日本]パラダイス的新鎖国時代到来(その5)- 北カリフォルニア風アジアン・フュージョンにおける寿司の地位

我が家の近くに、「食べ放題オール・アジアン・バフェ」ができたので、昨日亭主と一緒にお昼を食べに行ってみた。なんと、外まで長い列ができている。はいると、まずメキシコ人とアジア人の寿司職人が3人で握っている寿司のカウンター。普通の握りよりも、カリフォルニア巻きやスパイシー・ツナなどのアメリカ風寿司が多い。角を曲がると、驚くほど多種のおかずをとりそろえたビュッフェが延々と続く。このあたりでは普通の、中華おかずやスープが中心だが、それに韓国焼き肉、トンカツ、なます、キムチ、みそ汁なども節操なく混じっている。季節柄、デザートの一番最後のカウンターには、かき氷があり、各種フルーツのソースとともに、ゆであずきも並んでいる。

ランチで一人10ドル、「ちょっと高いな・・」と思いつつ、隣の席の白人大男のおじさんを見ると、寿司や焼き肉をぎっしり山盛りにした皿を3つほど並べて、パラレル処理をやっている。うーむ、これじゃ割り勘負けだ。よし、それじゃぁ、と寿司とかに足と中華えび揚げ、高単価アイテムで巻き返しをはかる。

向かいの席では、中国人とインド人と白人の、職場の同僚といった風情のグループが、それぞれ好き勝手なものを取ってきて食べている。このあたりは、オラクル本社の城下町なので、たぶんオラクルの人たちだろう。そういえば、オラクルの社内食堂は、インドや日本など、ありとあらゆるエスニックの食堂に分かれていると聞いたことがある。

シリコンバレー近辺のカリフォルニア風アジアン・フュージョンの雰囲気を凝縮したようなバフェである。私は、この雰囲気が大好きだ。ここなら長く住んでもいい、と思えるのは、この雰囲気のおかげだ。アメリカの中でも、おそらく北カリフォルニア独特の現象ではないかと思う。(同じカリフォルニアでも、ロサンゼルスの方ではちょっと様子が違うようである。)


ニューヨークも人種のるつぼで、中国人や韓国人がたくさん住んでいる。しかし、ちょっとこことは違う。ニューヨーク近郊で、初めて家を買うとき、不動産屋の紹介でやってきた若いローン・オフィサー(住宅ローンをアレンジする人)は、韓国系アメリカ人だった。とても優秀で、てきぱきと仕事を進め、応対もよく、感心した。彼と話すうち、自分でもあまり深く考えず、「あなたは、カリフォルニア出身ですか?」と思わず聞いてしまった。実際には違ったのだが、自分の中で「優秀なアジア系アメリカ人=カリフォルニア人」という図式があることに気が付いて、面白いものだなと思った。

ニューヨークのアジア人は、中華料理の出前か、角の韓国グローサリーか、短期間で帰ってしまう日本人駐在員のどれかでしかなかった。それぞれが別個のコミュニティを作って、お互いあまり関係なしに暮らしている。しかし、北カリフォルニアでは、政治家、企業幹部、公務員、医師や弁護士、エンジニアなど、社会的地位の高い職業に多くのアジア人が就いている。教育レベルの高い人が多い。その中に、日系アメリカ人や私のような日本人も、違和感なく納まってしまう。

本国での「反日教育」とは無縁で育ったアジア系カリフォルニア人達は、単に食べ物の嗜好や肌合いの近さから、日本人も「仲間」として親近感を持ってくれる。私も、気が付くと友人にはアジア系が多い。日本ともニューヨークとも違う、自然な関係なのである。

そして、数は少ないけれど、それなりに「高級ブランド」として尊敬されているのである。くだんのアジアン・バフェが、一人10ドルも取れるのは、寿司カウンターがあるからだ。中華だけなら、こんな値段付けはできない。

ふと考えてみると、この近辺の人口比率は、中国人:インド人:日本人:韓国人、の全人口比を上手い具合に反映しているような気がする。これもまた、なんとなく自然な感じがする原因かもしれない。

もちろん、なんとなくできあがった雰囲気だけではない。カリフォルニアの日系人は、第二次世界大戦中、日系であるというだけで、財産を没収されて収容所に入れられ、「アメリカ人」としてのアイデンティティを証明するため、敢えて危険な前線を志願して、多くの男達が散っていった、という悲しい歴史を持っている。こうした犠牲を払って、社会的地位を手に入れてきた訳で、私もいわば、その恩恵にあずかっていることになる。また、国全体としては、白人主導の中で「マイノリティ」の地位にとどまるアジア人が、数をまとめて政治的に影響力を発揮するためには、お互いにつるむのは必然の戦略であるとも言えるだろう。

いずれにしても、「世界の中での日本の存在感」を考えたときに、「入り口の目立つところに置かれ、レストランのステータスを引き上げる役割を担い」ながら、実はお客の皿の中では他の料理とごちゃごちゃに積み上げられている「寿司」って、ちょうどいいバランス感なのではないか、と私は思ってしまう。

このバランス感は、日本にいてパラダイス鎖国につかっていると、見失ってしまう感覚ではないかと思う。