日本経済新聞 2003/4/1

三井・住友化学 統合白紙に 株式比率溝埋まらず
  生き残りの道 険しく

 三井化学と住友化学工業は31日、10月に予定していた経営統合を白紙撤回すると発表した。住友主導で進んだ交渉は統合比率などを巡り両社の溝が埋まらなかった。破談により両社は単独での生き残りを迫られる。しかし、欧米大手に対抗するのは容易ではなく、新たな業界再編の可能性も出てきた。

住友主導で交渉
 「株主の利益を考えれば譲歩はできません」「これ以上交渉を続けてもまとまる可能性はありません」ーー。三井化学の中西宏幸社長と住友化学の米倉弘昌社長の2年5カ月に及んだ交渉は先週末、こうして終止符が打たれた。
 「統合白紙」の決定は三井住友銀行の西川善文頭取と岡田明重会長にすぐに伝えられた。二人は交渉が不調であることを知っていたものの、翻意させることはできなかった。
 三井化学と住友化学の統合条件をめぐる交渉は2000年11月の統合発表時に時価総額が約2倍と圧倒していた住友側の主導で始まった。
 当初計画ではまず今年10月に共同持ち株会社を設立、2004年4月に完全統合するとしていた。住友の米倉杜長と三井の中西杜長は「週に一度はアルコール付きで会談する」(米倉社長)など蜜月ぶりをアピールしていた。
 統合の諸条件を決める際の基本姿勢は「統合新会社にとってベストの選択をする」(米倉社長)ということ。しかし人事制度や組織は早々と住友に近いものとなることが決まる。トップ人事も三井側は「共同最高経営責任者(CEO)でどうか」と打診したようだが、住友側に米倉CEOで押し切られた。
 住友は「海外での企業買収などの経験が豊富で相手の資産内容の評価ノウハウを蓄積している」(首脳)と自信を持っていた。昨年暮れには「最終的に完全統合することは決めているのだから」(米倉社長)と当初計画の二段階の統合方式をやめ、10月に一気に合併することでほぼ合意した。

三井の収益拡大
 しかし、住友の強気姿勢とは裏腹に両社の置かれた状況は微妙に変化した。三井は石油化学に加え、アジア事業の拡大で収益を伸ばした。住友は「収益源の医薬や農薬での世界的な再編の動きに後れを取った」(ある証券アナリスト)。三井の株価は2002年1月以降、住友より1割程度高い水準で推移した。31日の終値は三井が466円、住友は401円だ。
 こうしたことを背景に最後の統合比率(合併比率)をめぐって調整がつかない。両社は「株主総会に諮ることを考え」(中西社長)、昨年末から、3月を期限に再検討に入った。
 合併比率は両社がそれぞれ外部のコンサルタントなどを使い株価や資産内容、将来性などを基にはじいて提示。両社は「守秘義務があるので明らかにできない」(米倉社長)としているが、評価基準などの違いから双方が主張する数字は大きく開いたままだった。交渉が長期に及んだツケが最後に表面化した格好だ。

幻の汐留新本社
 両社は新会社で使う情報システムを開発済み。統合に伴い東京・汐留地区の再開発ビルヘ入居することも決めていたが、いずれも宙に浮く。31日の会見を終えた中西社長は「しばらくはそっとしておいてほしい」と話し、車に乗り込んだが、白紙撤回に伴い処理すべき案件は多い。

 

国際競争カに懸念 新たな業界再編 模索も

 経営統合を撤回したことで両社は当面、単独で国際競争力向上を目指す。ただ、欧米の大手化学に比べ、絶対的な事業規模で見劣りする国内各社にとって、経営統合が最善の処方せんだったのは事実。短期的には自力での収益力強化が可能でも長期的には新たな業界再編を迫られそうだ。
 「(経営統合は)コスト競争力などを高めるのが目的で、規模の拡大は最初から問題ではなかった」(米倉弘昌・住友化学工業社長)、「5−10年は単独でもやっていける」(中西宏幸・三井化学社長)
 両社首脳は31日、「単独での生き残りは難しいのでは」との見方にこう反論。中西社長は経営責任をとって辞任する考えがないことを強調したうえで、「世界市場で存在感のある三井化学グループをつくることが当面の責任だ」と述べた。
 だが、売上高が3兆円を超える米ダウ・ケミカル、デュポンなどを相手に国際的に存在感を示すにはある程度の事業規模が不可欠だ。2003年3月期の連結売上高見通しは三井化学、住友化学ともに1兆円超にとどまる。
 「日本の化学業界はグローバルな視点から新たな強化策を推進する必要がある」(大橋光夫・昭和電工社長)のはまちがいない。
 実際、昭和電工や宇部興産は低収益の石油化学を再構築事業に位置付けている。旭化成は10月から持ち株会社に移行し、「M&A(事業の合併・買収)がやりやすくなる」(山口信夫会長)と再編に備える。
 三井グループ内では元々、三井化学の前身である三井石化と東レを統合し「大三井化学」をつくる構想が何度か持ち上がった。
 「三井・住友」の破談で今後、再浮上する可能性も否定できない。鉄鋼などに比べ、ただでさえ遅れている化学の業界再編は仕切り直しとなる。


日本経済新聞 2003/4/6

「三井・住友化学」破談の教訓 本音の交渉後回しがアダ

 「せめて1年前に断念すれば良かった」。住友化学工業と三井化学の経営統合が破談となり、両社の役員からため息が漏れている。基本合意から2年4カ月。日本では数少ない強者連合の誕生と期待されたが、膨大な時間とエネルギーの浪費に終わった。
 両トップが「最後は折り合えるはず」と過信し、本音のぶつけ合いを先送りしたことがアダとなった。トップ人事などで妥協を重ねた結果、双方に不満や不安が蓄積。最後の統合比率交渉が発火点となり、爆発したというのが実情に近い。
 2000年11月に経営統合で合意した時、両社は「対等の精神」を理念に掲げた。同床異夢の始まりだ。時価総額が三井化学の倍近かった住友化学は資本の論理を貫こうとしたが、三井化学は文字通りの対等にこだわる。
 典型がトップ人事だ。三井化学は対等の証しとして共同最高経営責任者(CEO)制を提案したが、住友化学が拒否。統合会社の社長には米倉弘昌住友化学社長、会長に中西宏幸三井化学社長が就く方向となった。しかし三井側は巻き返し、会長と社長の決裁権限を同等にすることを再提案、了承させた。
 対等を強調する三井化学は役員や幹部も同数にするよう要求した。住友化学は「二期4年を限度に」と条件を付けて渋々同意した。
 統合の方法論でも両社の思惑が交錯。住友化学は合併を求めたが、吸収合併だと法的には住友が存続会社、三井が消滅会社になる。これでは三井化学に傷がつきかねない。そこで今年10月に両社で共同持ち株会社を設立し、来年3月末に持ち株会社が傘下の両社を吸収するという二段階方式で妥協した。仕上がりは合併と同じなのだが……。
 一方で住友化学は人事・賃金制度などで攻勢をかけた。年功序列色の強かった三井化学の制度を住友流の成果主義に改めるよう求め、合意を取り付けた。三井では「飲み込まれる」という不安が高まっていく。
 昨年後半からようやく最も重要で厳しい統合比率の交渉が始まる。今年3月末までの180日平均で株価を比較すると1対0.9弱で三井化学が上。住友化学は財務の健全性、三井化学は将来の収益性などを理由に、株価平均より自社に有利な条件を主張し合った。
 住友側は当初1対1を求めたが、最終的には主導権を確保できるとの自信から、株価平均の水準まで譲歩したもようだ。だが、吸収への不安が募っていた三井はもはや歩み寄らず、ついに交渉は決裂した。
 「世界に存在感を示せる強い会社を目指した」(米倉社長)、「両社ともあらん限りの力で折衝を続けた」(中西社長)との言葉に偽りはないだろう。だが相乗効果など期待を先行させ、摩擦を先送りするリスク管理の甘さも露呈した。
 両社に限らない。2001年には大正製薬と田辺製薬が経営統合、石川島播磨重工業と川崎重工業が造船事業の統合を発表しながら、後に撤回した。「日本企業はあつれきを伴う交渉を後回しにし、先に夢や理念を語りたがる」(ある投資銀行)。経営者が先憂後楽の姿勢を示さないと、企業再編という難事業は成功しない。

 


日本経済新聞 2003/4/30

検証 化学統合破談 三井・住友 思惑すれ違い
 統合比率   事業評価で暗礁
 人事・組織 「水と油」譲らず

 三井化学、住友化学工業が今年10月に予定していた経営統合を白紙撤回して1カ月。金融分野で実現した三井・住友グループ企業の経営統合がなぜ失敗したのか。連結売上高2兆円、欧米大手に対抗できる化学メーカーの誕生が幻に終わった背景には、「相手にのみ込まれまい」と躍起になる両社の意地の張り合いがあった。

 「自社が手がけない事業についての互いの評価の食い違いが大きかった。同じような商品を扱う銀行、保険業界などとは事情が違う」。三井化学の子安龍太郎専務は2年半におよんだ統合交渉を振り返る。

三井化学と住友化学の統合破談までの経緯

2000 初め 三井化学の幸田重教会長(当時)が住友化学に統合を申し入れ
11月 03年10月をめどに統合することで合意。ポリエチレンなど汎用樹脂事業を先行統合すると発表
2001 4月    : 03年10月に株式移転による共同持株会社を設立、04年4月に傘下の事業会社を吸収し単一会社になるとの手続きを発表。社名は「三井住友化学」
2002 4月 汎用樹脂の統合会社「三井住友ポリオレフィン」発足。国内シェア3割の最大手に
10月 米倉住友化学社長が記者会見で「03年初めまでに統合条件決める」
12月 公正取引委員会が統合を了承
年末 首脳人事などは決まるが、統合比率で折り合えず。03年3月を期限に再交渉することで合意
2003 1月 住友化学が英蘭系シェルグループと共同で運営する石化コンビナートを大幅増設すると発表
3月末 統合比率をめぐって再び交渉に臨むが溝は埋まらず、統合を断念
31日 統合計画の白紙撤回を発表


▼将来性アピール
 両社は同じ総合化学メーカーとはいえ、住友化学が三井化学にない医薬、農薬を手がけるように、主力の石油化学を除くと重複する事業は少ない。昨年末から大詰めの統合比率(株式交換比率)の話し合いに入ったが、住友化学の医薬事業の将来性をどう評価するかなどの問題で交渉は暗礁に乗り上げた。
 両社が統合比率算定に当たり、参考にした指標は株価、資産の時価評価額、将来にわたる収益力をみる割引現金収支(ディスカウント・キャッシュフロー)の3つだった。三井化学の中西宏幸社長は「株価を除く 2指標で折り合えなかった。とりわけディスカウント・キャッシュフローの見方で大きな隔たりがあった」と打ち明ける。
 この1年ほどをみると株価はおおむね三井1対住友0.9で推移。唯一の合意点であるこの比率をべースに、住友側は医薬事業の将来性や資産価値の高さをアピール。三井側はアジアで展開する合成繊維原料事業の競争力の強さなどを織り込むべきだと主張した。
 3月末に住友側は株価を基準とする統合比率まで譲歩した。しかし、それまでに新聞紙上などで住友化学の米倉弘昌社長の「住友は単独でも十分にやっていける」との発言が相次ぎ紹介される。三井の経営陣の間では「そこまで言う相手と統合する必要があるのか」との反発が強まり、住友側の譲歩は時すでに遅かった。

▼「対等」にこだわり
 両社は「世界トップクラスの化学メーカーを目指す」という目標でこそ一致していたが、もともと統合への思い、姿勢は大きく異なっていた。
 三井化学は1997年、旧三井石化と旧三井東圧化学の合併で発足したが、これは事実上、三井石化による救済合併だった。
 当時の三井東圧は運転資金にも困り、研究所を主要取引先の三井物産に買い取ってもらっていたほど。社長OBは「生き残るには合併しかない。三井石化の言うことはなんでも聞け」と指示。三井石化も首脳人事や給与制度などで譲歩、社内融和は順調に進んだ。
 三井社内に「合併はくみしやすい」(有力OB)との考えが芽生え、99年ころから住友化学との合併に動く。株式の時価総額では住友化学に2倍近い差があったが、2000年11月の合意文に「対等の精神で」という文言が盛り込まれたこともあり「住友がある程度は譲ってくれる」との期待を抱いた。

▼世界標準で臨む
 住友化学の育ってきた環境は違う。2000年には
米社の農薬事業の買収をめぐり独メーカーにわずかの金額で敗れたが、企業買収などの経験は豊富で「相手の資産や事業価値を厳しく評価するのが世界標準。そうでなければ社内を説得できない」(首脳)と考える社風だ。
 さらに「互いに譲る、譲られるというのではなく、統合会社にとって何がベストかという観点で交渉に臨んだ」(米倉社長)結果、統合会社の首脳人事、人事・賃金制度、組織まで住友ぺースで決まった。
 4月下旬、ライバルの三菱グループの会合である首脳が「もともと三井化学と住友化学は水と油。統合がうまくいくとは思っていなかった」と漏らした。水と油を混ぜ合わせられるほどの危機感は、ついに両社に生まれることはなかった。

両社は今 住友が広報組織 三井は執行役員

 破談発表後、いったん下がった三井化学の株価は468円(28日終値)と、発表前の水準をわずかに上回っている。一方、住友化学は309円(同)と、発表前より100円近く下げたままだ。こうした事態を受け、住友化学は近くIR(投資家向け広報)の専門部署を発足する。米倉社長自ら投資家などに経営状況・方針を説明する場が増えそうだ。
 三井化学は6月27日付で中西社長が会長を兼務、監督・執行両面での指導力が強まる。執行役員制を導入するなど、住友化学との統合で予定していた経営制度改革を最大限とり入れる。
 統合会社は東京・港の汐留シティセンターの10フロアを借り、本社を置くはずだった。三井化学は当初予定通り現在の霞が関ビル(東京・千代田)から年内に汐留シティセンターに引っ越すが、使うのは6フロアだけ。住友化学は東京・中央の現本社にとどまる。宙に浮いた4フロア分の違約金をどちらがどう支払うかは調整中だ。100億円以上を投じて共同開発した情報システムについては、仕様を自社向けに変更した上でそれぞれ使う。

三井化学・東レ統合構想 「大三井」復活は難しく

 今回の破談に伴い三井化学と東レの統合による「大三井化学」構想が復活するかに注目が集まっている。東レの前田勝之助会長はかねて「合成繊維などの原料を生産する三井化学との垂直統合で強力なメーカーができる」と前向きな発言を繰り返している。もっとも三井化学は「原料を供給してはいるが、東レとは重複する製品が少なく合理化の余地が小さい」(首脳)と消極的だ。「いま統合すれば東レ主導になりかねない」とする不安も三井化学社内にはあり、東レが相当の譲歩をしない限り実現は難しそうだ。
 化学業界はそれ以上に三井化学、住友化学による合成樹脂の事業統合会社、三井住友ポリオレフィン(東京・中央)の動向を気にしている。
 同社は経営統合に先行する形で2002年4月、代表的な樹脂のポリエチレン、ポリプロピレンの販売部門を統合して発足、両樹脂では国内で約3割のシェアを占める。ただ前提の経営統合が破談となり、「肝心の生産面での合理化効果が出ないため解散するのでは」(業界他社)との見方も出ている。
 ポリエチレンなどの輸入関税は2004年まで段階的に下がり、低価格の中東品などの流入拡大が予想される。国内業界はここ10年ほど再編が進んだが、包装材などに使うポリエチレンではいまだに4千億円の市場に9社がひしめく。今秋には三菱化学系と昭和電工系のメーカーが統合する予定だが、もうひとつの軸である三井・住友連合を失い一歩後退する。
 両社の破談後に帝人と杏林製薬の医薬事業統合が白紙撤回になるなど、日本企業のM&A(企業の合併・買収)戦略のつまずきが目立っている。「対等合併」へのこだわりが破談の扉を開いた三井・住友化学の統合交渉劇。日本企業にとって決して他人事ですませられない。


2006/9/3 日本経済新聞

出光など6社 原料、相互に利用 千葉で最大級 石化・製油を効率化

 出光興産、三井化学など6社は千葉県の東京湾岸にある製油所や石油化学コンビナートで、2008年度にも水素などの原料を広範囲に相互利用できる体制を整える。各社の施設を結ぶ配管や関連設備を共同で設置してエネルギー消費と原料活用を効率化する。同地域は国内最大級の工業地帯で、6社間での原料相互利用は国内で最大規模になる。

 6社は一体化して原料を相互利用することで、中国など東アジアの大規模コンビナートに対抗するコスト競争力を確保する。
 参加するのは千葉県の市原市と袖ケ浦市にまたがる地域に設備を持つ出光、三井化のほかコスモ石油、住友化学、極東石油工業、丸善石油化学の6社。
 まず住友化を除く5社が地区をまたがる水素の配管を08年度までに敷設。5つの製油所、コンビナートを全長10キロメートルの配管で結び共同運転する。重複する設備は廃棄し、原油換算で年4万キロリットルのエネルギー消費を削減する。
 09年度までに出光、住友化、三井化の3社が製造過程で出る未利用ガスのブテンを回収する配管を敷設し、化学繊維原料のプロピレンやガソリンを製造する装置を建設する。計100億円を超える設備費用は各社で分担し、政府の補助金も使う。


国際競争力を強化 中国などに対抗 規模の利益追求

 国内最大級の工業地帯である千葉で6社の製油所・コンビナートが連携する背景には、中国など東アジアの大規模コンビナートとの競争がある。原油高でエネルギー負担も上昇している。さらなる生産の効率化には従来の系列企業の枠を超えた取り組みが不可避になっている。
 石油精製や石油化学のような装置産業は規模が大きいほど生産コストを抑制しやすい。日本の製油所の原油処理能力は大きくても1日20万ー30万バレルの規模。東アジアではこれより大規模な製油所が今後稼働予定で、国内拠点の相対的な競争力は弱まりかねない。
 千葉ではこれまでコスモ石油と丸善石油化学、極東石油工業と三井化学など主に4つの企業グループに分かれてそれぞれ効率化を進めていた。だが従来の規模では、改善の余地も限られる。
 6社は水素やブテンの相互利用に加え、石油化学原料であるナフサの供給でも連携強化を検討している。2010年代までに大規模コンビナートに対抗できる競争力を確保する構えだ。
 地域連携は千葉だけにとどまらない。茨城県・鹿島地区で鹿島石油と三菱化学が、岡山県・水島地区では新日本石油とジャパンエナジーが共同で設備効率化や生産増強に取り組む。神奈川県・川崎地区では09年度から東京電力が川崎火力発電所で発生した蒸気を周辺の10工場に供給する。