毎日新聞 2003/3/23  

藤森照信 評  ダイオキシン神話の終焉 
  渡辺正、林俊郎著 (日本評論社・1600円)
 

ウソとその上塗りだった危険情報    

 信州の田舎に帰り、畑のクリの木を伐り、いらない枝を盛りあげてひさしぶりに盛大な焚火をしようとしたら、親父にとめられた。燃やすと悪い物質が出るから焚火やゴミの家庭での焼却禁止のお触れが市役所から来ているという。
 焚火や家庭のゴミ焼却で出る悪い物質とはダイオキシンのことで、90年代末にテレビや新聞がその危険性を取りあげて大問題となったのは読者も覚えておられるだろう。そして、国会で論議され、「ダイオキシン法」が定められ、今年から(2002年12月から)いよいよ本格的適用が始まっている。具体的には全国市町村のゴミ焼却炉1600基高温焼成化で、1基何十億何百億もの炉の改造は自治体にとっては重い負担だが、これも市民の健康を考えればしかたがない。
 と、思ってきたのだが、どうもすべてはウソとその上塗りだったらしい、少なくともテレビや新聞や国会が問題視するような話ではなかった、と東大教授で化学者の渡辺正氏と健康学研究者の林俊郎氏は言うのである。
 マスコミが取りあげてあれこれ問題になった所沢の一件をとりあげてみよう。「所沢産ホウレンソウに高濃度のダイオキシンを検出!」との報道はテレビの人気ニュース番組が、「所沢のダイオキシン汚染地域で新生児の死亡率が増加している」は、地元のNGOが発して全国へと報道されている。その時、報道に接した人の目を引いたのは一枚のグラフで、所沢市の新生児死亡率の経年変化とゴミ焼却量の経年変化が並べて図示され、たしかに両者には相関関係が認められ、焼却量が増えるにしたがい死亡率も上っている。
 「このグラフこそが、『産廃焼却があぶない』『焼却炉近くの住民はダイオキシンにやられている』といった話を生んで世間を騒がせ、ひいてはダイオキシン法を生んだ起爆剤のひとつである。だが実体は、戦時中の大本営発表に似て、都合のいいように事実を曲げたものだった」。93年までしか死亡率のグラフがなぜか書かれていないことを問題にして、「94年の値(死亡率)は、前年の値より小さくなる。95年の値はもっと小さくて、県平均にだいたい等しい。そうなると、死亡率の高い82年から94年までが『平均を少し外れた一時期』に見え、『上昇傾向』を主張するのに都合が悪かったのだろう。95〜96年データの無視には、たぶんもっと大きな理由があった。元データをちらりと見ただけでわかるように、94年から96年にかけ、産廃焼却量がほぼ倍増したのに、新生児死亡率は逆に半減しているのだ。ちなみに、焼却量が最大だった96年の死亡率は、県平均や全国平均よりも低く、全国自治体のうちでも最低レベルに入る」。
 こういう大本営的統計操作を
埼玉NGOの棚橋道郎氏が行って発表した。さらにまた、ダイオキシンについての新書を持つ宮田秀明氏といくつもの本を出している長山淳哉氏などを発起人とする埼玉のNPOが、ダイオキシンに汚染された母乳により新生児にアトピーが増加しているというグラフを発表しているが、これも事実無根。
 そもそもゴミ焼却よりももっと大きいダイオキシン発生源が知られずにいたのだ。かつて水田にまかれた農薬で、これが土に入り、長年月かけてじわじわと水に溶け、川を流れて海そして魚へと…。
 そして人の口から体に入るのだが、そこでの問題はどうなのか。日本はかつて水田だらけだったし、日本人は魚をよく食べる。ダイオキシンとガンなどの関係についてさまざまな調査結果が紹介されているが、アメリカもEUも日本の厚生労働省、環境省もどれも大丈夫。
 それならなんでダイオキシン法などという日本にしかないダイオキシン対策は始まったんだろうか。誰でも疑問に思う。まず一部の研究者が怪しいデータに基づいて騒ぎ、これにマスコミが、さらに立法と行政が乗った。ゴミ焼却炉のメーカーもおおいに乗った。ゴミ焼却炉はいわゆる“重工”と呼ばれる構造不況産業の専売特許分野なのである。
 ここに書かれていることが事実なら、私にはそう思われたが、ずいぶんひどい話である。日本における最初の本格的な科学スキャンダル、環境スキャンダルと後世の歴史家は言うであろう。前期旧石器発掘疑惑とならんで扱われるかもしれない。
 「さまざまな測定にとり組み、データを出した分析化学者・医学者・生化学者のこ苦労には頭が下がる。だがそのおかげで、ふつうの暮らしでは『何も心配ない』とすっかりわかった。人類史上これほどくわしく調べられた物質も珍しい。……ことダイオキシンに関するかぎり、焼却炉や塩素系プラスチックを悪とみるのは見当ちがいの極致だった。将来に禍根を残さないためにも、『ダイオキシン法』の見直し(望むらくは廃止)を決断すべきだろう」
 焚火復活の日は近い。


中西準子のホームページ  http://homepage3.nifty.com/junko-nakanishi/zak211_215.html#zakkan213

雑感213-2003.3.25「藤森照信さんの書評」

見出しに驚く
 
3月23日、毎日新聞朝刊の書評欄(今週の本棚)のトップに、藤森照信さんの「ダイオキシン神話の終焉」(日本評論社刊、渡辺正・林俊郎著)の書評が掲載された。とても大きな扱いでびっくりした。見出しは、「ウソとその上塗りだった危険情報」で、これにも驚いた。

まず、テレビ朝日で、ほうれん草がダイキシンで汚染されていると報道された際、人目をひいたのは一枚のグラフだと藤森さんは書く(
見ている人は、そのように受け取るのかということが分かる? 青字は中西)。

それは、所沢市の新生児死亡率の経年変化とごみ焼却量の経年変化の相関を示したものだ。確かに、焼却が増えると、新生児死亡率が増加するように見える。渡辺氏らは「このグラフこそが、ダイオキシン法を生む起爆剤」になったと書いている。

これが、如何にでたらめであったかは、本に書いてあるとおりだが、その内容を紹介した上で、藤森さんは、「こういう大本営的統計操作を」発表した学者、さらに「ダイオキシンに汚染された母乳により新生児にアトピーが増加しているというグラフを発表しているが、これも事実無根。」として、これに関係した2名の学者名も書いている。

個人の責任をはっきりさせよう

書評にまで、ダイオキシンデータ操作に加わった学者の名前が出るのは、実に珍しいことだが、それだけひどいと思うからだろう。

「情報公開」などを要求しながら、自分のデータが問題になると、だんまりを決め込む。データの解釈が明らかにおかしいのに、それが問題にもならない。一体、これは何だろうと思っていたのだが、ようやく、こういうことが批判される時代になってきたのかなと思う。

学者が、何を書き、何を言ったか、きちんと批判する風習とか、文化を作りたい。

この書評とは直接関係ないが、先週も書いた通り、もっと個人名をきちんと出すべきだと私は思う。ただ、誤りは誰にもあるし、特に早い時期に、人に先んじて化学分析すれば、精度は悪いかもしれない。それは、それで、訂正すればいいと思う。だから、大学教授をやめろとか、責任はどうかなどとは言わない。訂正することが一番大事。個人名主義なら、逆に名誉挽回のチャンスも大きくなる。

行政機関、企業、NPO、NGOも同じように責任をきちんとしよう。もうダイオキシンは終わった、今度はPRTRだなんていうのでは困る。


石器事件とならぶ?

「ここに書かれていることが事実なら、私にはそう思われたが、ずいぶんひどい話である。日本における最初の本格的な科学スキャンダル、環境スキャンダルと後世の歴史家は、言うであろう。前期旧石器発掘疑惑とならんで扱われるかもしれない。」と藤森さんは書く。

石器事件も、それが考古学に皆の関心をひきつけることができる、予算が増える、という魅力に学会が勝てなかったことに原因があると思う。専門家であれば、その怪しさに、ずっと以前から気づいていただろう。気づきながら「それは違う」という一言が言えない、嘘で得するからだ。

ダイオキシンも同じ。データが正しくないことに、グラフがおかしいことには気づいているに違いない(専門家なら)、しかし、それで研究費が増える、予算が増える、その魅力、魔力に、同業者たる学会は勝てないのである。

ビスフェノールAなどの環境ホルモン、また、タニシがメス化、コイがメス化などの報告には、もっと気をつけよう。大専門家がどうしてこんな粗雑な仕事を?というような報告が続いている。


やくざの小遣い

藤森さんの文章は、帰郷した折り、親からたき火をとめられる話から始まる。最後は、「焚き火復活の日は近い」で結ばれている。

茨城県で聞いた話だが、最近、焚き火(?)はやくざの飯の種になっているという。農家が、わらクズや木の葉、枯れ草は自分で燃やすのは普通のことである。そういう火や煙を見つけると、やくざがやってきて、「野焼きは禁止だ。警察に訴える。」と脅して、カネをまきあげていくという。

「やくざの小遣い銭かせぎが終わるのも近い。」


雑感212-2003.3.17「ダイオキシン 神話の終焉」

ダイオキシンで大騒ぎをしていた人たちは、今何をしているのだろうか?随分静かになっているのだが、と思っていたら、意外や意外、「ダイオキシン」というタイトルの本が刊行された。と言っても、これは、かつての狂騒を批判する本。渡辺正・林俊郎著(日本評論社刊)の表題の本である(1600円+tax)。

丁寧な理科編、どっきり社会編

一読して感ずることは、前半の理科編はよく調べて丁寧に書いているという印象が強く、後半の社会編には、私が理系のせいか、私の知らなかったことが多く、どきっとすることがかなりある。
 
理科編の中で、面白かったことが三つ。

1. 日本の水田土とベトナムの土に含まれるダイオキシン濃度の比較(図2-6)(単位がよくわからない、TEQ?総ダイオキシン類?)、

2. IARCでのダイオキシンが人に発がん性があるかについての評決(109ページ)(噂には聞いていたが)、

3. 安原昭夫さんの結果の解釈は間違いという指摘(76ページ)(焼却における塩素の役割、中西もこれまで、安原さんの解釈に疑いを持たず)。


ダイオキシン特措法前夜

ダイオキシン特措法を廃止せよという主張は、この本ではじめて聞いた。読んでみるとなるほどと思う。まず、特措法となったのは、科学的根拠がなかったからだと言う。

また、特措法が成立するまでの、様々な動きが、一つの糸で動かされているのがわかる。

恐ろしいほど組織されている。その中に、テレビ朝日のほうれん草事件が大きな役割を果たしている、きわめて計画的であったことを伺わせる。この動きは、この本ではじめて知った。


科学を否定しつつ、科学を使う

そして、この過程でいくつかのグラフが登場し、それが、多くの本で引用され、TVに登場した。このようなパラノイアが起きると、多くの人は必ずマスコミが悪いと言う。しかし、その元のデータを提供しているのは、学者(大学の教官か、国立研究機関の研究員)である。マスコミより、学者の責任の方が大きいというのが私の意見。

いくつかのことが、今でははっきりと間違い、または、嘘だとわかっている。
一つは、測定データ。
もう一つは、統計処理されたグラフなど。

私がいつも奇妙だと思うのは、いずれも科学の仮面を被っていることである。
しばしば、科学は信用できないという論調がある。科学者は信用できないという言葉もよく聞く。そうであるならば、ダイオキシンの分析などしなければいい、統計処理などしなければいい、xx大学教授などの肩書きなしで話せばいい、が、そうはしない。

xxxxpgだの、アトピーと母親のダイオキシン体内負荷との間に相関ありのグラフを出す、所沢市周辺の乳児死亡率が高いなどのグラフを出す。ダイオキシンの異常に高い分析値と、いくつかのグラフなしに、あれだけの騒ぎにはならなかっただろう。

これらのグラフやその説明は、不勉強による思いこみもあるだろうが、いくつかは明らかに意図的な歪曲だということが、この本を読むと良くわかる。この本は、責任ある学者の名前がはっきり出ていて気持ちがすっきりする。


性比に関する怖い話

また、この本で新しいことをいくつか知った。
肝臓がんと肝炎との関係、さらには、性比に関する怖い話など。


ダイオキシン騒動は終わった

かくして、ダイオキシン騒動は終わった。しかし、その財政負担は、これから国民の肩にずっしりとかかってくる。


毎日新聞 2003/6/6

記者の目 「ダイオキシン毒性」は神話か  小島正美(生活家庭部)
 問題なのは慢性的な影響 被害出てからでは遅い

 ダイオキシンが危ないという神話は終わった、焼却炉のダイオキシン排出量を減らす「ダイオキシン類対策特別措置法」は見直すべきだ、そんな主張の本が関心を集めている。
 
渡辺正・東京大学教授と林俊郎・目白大学教授が著した「ダイオキシン神話の終焉」だ。いくつかの新聞の書評でも取り上げられ、好意的に評価された。最初は、評者の個人的な見方と受け止めていたが、本を読んで「もはやダイオキシンは問題ではない」という知り合いが私の周囲に出てきて、ちょっと待てという心境になった。このままだと逆にダイオキシン軽視の風潮が生じかねない。いま一度ダイオキシンの何が問題かを考えてみたい。
 ダイオキシンは塩素を含んだものを燃やしたりするとできる塩素化合物で、一度体内に入ると排出されにくい。ちょっと硬い話になるが、農薬や食品添加物などの化学物質には、大量に摂取して、すぐに悪影響が表れる急性毒性と、じわじわと表れる慢性毒性がある。慢性毒性にはいわゆる環境ホルモン(内分泌かく乱物質)で知られるような生殖への影饗(精子の減少など)▽脳神経系への影響(知能の低下や落ち着きのなさなど行動異常)▽免疫系への影響(アレルギー疾患)などがある。
 私がダイオキシンで問題だと思うのは、慢性毒性であって、急性毒性ではない。「食べ物などから日常的に摂取しているダイオキシンの量で胎児の死亡や奇形などの被害(急性毒性)は生じていない」と著者たちは強調する。これまでの報告では確かにその通りだ。他の科学者も同じだろう。
 しかし、だからといって「なんでもない物質」といえるのだろうか。
 これまでの米国やオランダなどの動物実験や人の疫学調査によると、通常の人の体内に存在するダイオキシンの10倍前後の少量でも、脳神経系や生殖への影響があるとの報告が出ている。独立行政法人の国立環境研究所(茨城県)の研究者たちがラットやマウスで行った最新の研究でも、知能の発達などにかかわる甲状腺の働きが阻害されることが分かった。
 こういう知見があれば、たとえ現時点で被害が出ていなくても、対策が必要かどうかを検討するのが普通だ。今度の本にはこうした慢性毒性に関する最新情報がほとんどない。
 99年にダイオキシン類対策特別措置法が成立した背景には、慢性毒性の知見を基に国際的に規制してゆく動きがあった。著者たちは「(埼玉県所沢市のホウレンソウ騒動のような)社会不安と騒ぎの中で生まれた」と主張するが、環境省の関荘一郎・ダイオキシン対策室長は「騒動が法律の成立を促した面は確かにある。しかし、法律自体は科学的な知見を基に削減を目指したものだ。被害が出ていないから規制は不要というなら、どんな化学物質でも規制は不要になる」と反論する。
 よく知られているように、私たちはダイオキシンの約95%を食べ物から摂取している。その95%の8割前後は魚介類からの摂取だ。これは農薬やPCB(ポリ塩化ビフェニール)製品など、過去に発生したダイオキシンの多くが最終的に海にたどりつき、魚介類に残留しているためだ。
 ただし、現時点ではダイオキシンの9割近くは焼却炉から排出され、残りは車の排ガスや工場などからだ。焼却炉によるダイオキシンが、食べ物から摂取する量に比べて少ないとはいえ、焼却炉の規制が不要と言えるかどうかだ。
 「どうやら海外では、ダイオキシンを問題視する研究者がだいぶ減ってきたらしい」と著者たちは言うが、焼却炉からの排出量を削減する動きはEU(欧州連合)や米国など先進国共通で日本だけの話ではない。排出基準値もほぼ同じだ。
 とはいえ、焼却炉からの排出量を減らすためにごみを広域的に集め高温で燃やす現在の方式は、業界を潤すだけといった著者たちの主張には納得できる点もある。貴重な税金を無駄違いしないためにも、減らし方の議論はもっとしていい。
 著者たちは「猛毒のダイオキシン」「強力な発がん物質」「たき火からも発生」などの言い方が不安をあおったと指摘する。確かにその一面はあったと思うが、ダイオキシンを軽く見ていい理由にはならない。水俣病など過去の教訓から、被害が出てからでは遅い。動物実験や疫学調査の知見にもっと謙虚になってもよいのではないか。


つくられた「環境の危機」                  渡辺 正

『環境危機をあおってはいけない--地球環境のホントの実態』
    (ビョルン・ロンボルグ著、山形浩生訳、文藝春秋、2003.6.27刊)書評

 グリーンピースのシンパだったデンマークの若い統計学者ビョルン・ロンボルグ君が、あるときロサンゼルスの本屋で雑誌を立ち読みする。ふと見た記事で、アメリカの大物経済学者が暴言を吐いていた。統計をちゃんと当たれば、環境が悪化しているなんてウソだとわかりますよ、と。
 デタラメを言うんじゃない‥‥ムカついた彼は、国連の統計データや研究者の論文を学生たちと調べまくった結果、あえなく白籏を掲げる。たしかに先進国の環境はどんどんよくなっていた。途上国の食糧事情も改善の一途。エネルギーや資源の未来も暗くない。環境ホルモンが乳がんを増やす話や、酸性雨が木を枯らす話は事実無根のたわごとだったし、熱帯林の破壊も、種の絶滅もホラー話だ。名高い「イースター島の悲劇」も真相はあやしい。
 定番ホラー話の作者たち--レイチェル・カーソン、レスター・ブラウン、デビッド・ピメンテル、ポール・エーリック、アル・ゴア、シーア・コルボーン、ローマクラブ、グリーンピース、WWF(世界自然保護基金)など--を次々と俎上に乗せ、彼らが統計データをどれほどいいかげんに扱ったかを明るみに出す。当たるを幸い斬りまくる筆さばきには、昔よく観た高倉健サンのヤクザ映画(古いねぇ)を思い出してスカッとした。
 とりわけ、2002年の初めまでワールドウォッチ研究所を主宰し、バイブルとみる人も多い『地球白書』を毎年出し続けてきたブラウン氏のやりくちをこき下ろすくだりは溜飲が下がる。氏はどうやら終末論者らしく、作物収量や森林面積に現れたほんのかすかな兆候をも針小棒大・我田引水・牽強付会的に大騒ぎし、全世界の市民に無用の恐怖心を植えつけてきた。
 ちなみにブラウン氏とは昨年の4月に東大農学部のシンポジウムで同席する機会があり、夕食もご一緒する栄に浴したけれど、ユーモアをあまり解さず、めったに笑わない御仁だというのが印象。
 ホラー話をメディアが広めたせいで、少なくとも先進国には、「環境はどんどん悪化中」だと思っている人が多い。メディアの姿勢を語るおもしろい逸話をひとつ本書で見つけた。1998年前後に強いエルニーニョが起き、米国は大雨や地滑り、竜巻などで40億ドルの損を出した。メディアはそれだけを報じまくったのだけれど、どっこい、暖冬のおかげで凍死者が850人も減り、暖房費もだいぶ節約できて、米国経済へのプラス効果が190億ドルもあったのだ。
 本書は二段組びっしりで本文が600頁に迫り、2930個もの注記(それだけでプラス86頁)がつく。とり上げた話題はまさに環境問題のデパート、この紙幅にどれを入れようかと目移りするばかり。いささか心残りなれど、独断と偏見で選んだごく一部だけを眺めてみよう。
 まずは、先ごろ林俊郎氏と『
ダイオキシン--神話の終焉(おわり)』(日本評論社)を出した関係上、ダイオキシンの扱いが気になった。ところがダイオキシンはたったの4回、話のついでに単語が出てくるだけ。拙著の主張どおり、もはや欧米にはダイオキシンを騒ぐ人がほとんどいないとわかる。
 また化学屋としては、物質汚染がらみの話につい目が行く。たとえば、日本でも騒ぐ向きの多い残留農薬の話だ。飲食物による米国のがん死を見ると、99.99%までは天然成分が起こす(つまり主犯は個人の食生活)。合成農薬でがん死する人は年にたった20人しかいないという。その話を講義でやったら、「20人の命も尊い。やっぱり農薬は禁止すべし」と考える学生さんが何人もいた。だがちょっと待て、とロンボルグは言う。
 米国の場合、農薬をきびしく規制したら収量が激減して、社会的コストの損失は200億ドル以上にのぼる。ひとりの命を救うのに10億ドル(1千億円)以上もかかるわけ。それだけではない。価格が上がって消費者は野菜や果物を買い控え、発がんリスクが上がるせいで、余計に3万人近くが死ぬだろう。こういう利害得失を考えない方々が農薬を規制し、農薬反対運動や有機栽培崇拝に走る。食生活は自己責任でも、農薬なら「誰かのせい」にできるからだ。
 110頁も占める「地球温暖化」の章にはこうある。先進国が京都議定書を守って歩めば、5兆ドルほど飛ぶ。それで起きることは、地球が1.8℃くらい暖まる時点が、100年後から106年後に延びるだけ。それなら、5兆ドルの一部なりと途上国に回すほうがずっと賢い。先進国がそうだったように、途上国も「衣食足りて環境を知る」ことになるだろうから。
 環境談義の振り子を、「未来は危ない」から「どう転んでも安心」に振らせようという論ではない。「世界はどんどんよくなってきたけど、まだ十分によくなってはいない」が基調である。暮らしを、環境をさらによくするため、リソース(資金・労力・資源)の配分にしっかり優先順位を考えよう‥‥と若い統計学者は、最新のデータをもとに諄々と説き進める。
 独特なクセはあるけれど、さすがに書き慣れた山形氏の訳文は、翻訳臭の少ない軽快なテンポでロンボルグの主張を読者の胸にストンと落とす。
 環境省や厚生労働省のお仕事が減りそうなのはご同慶の至りだが(いや、お気の毒、かな?)、環境について何か語るのは、これを読んでからにしたい。


参考 東大 安井至教授 「市民のための環境学ガイド」

       ロンボルグ本の概要1  ロンボルグ本の概要2

       ロンボルグ本の概要3


定価 4,500円

アマゾンで原書 Paperbackが郵送込み2,942円で買えます。
The Skeptical Environmentalist: Measuring the Real State of the World
   http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0521010683/249-5339836-6780302


ペーパーバックのレビューから

『The Skeptical Environmentalist』の主張はこうだ。オゾン層に開いたホール(穴)は回復しつつある。アマゾンの森林は人類が誕生してからわずか14%しか減少していない。今後50年の間に絶滅する生物種はわずか0.7%である。それまでに貧困にあえぐ人々ですらより裕福になる。物事は決して十分に良い方向には動いていないとしても、私たちが教え込まれているよりも、はるかに良い方向に向かっている。――ロンボルグは、統計学の教授であり、元グリーンピースのメンバーだ。著者は、地球滅亡の危機説に繰り返し用いられているデータが、複雑すぎるうえに混乱していて、とにかく間違った使われ方をしていると言う。だからといって本書は、決して人々に安堵感や慰めを与える読み物ではない。また、何もしなくてもよいと人々を先導するような内容でもない。

著者は、多くの人々が利用する数値と同じものを使って説明をする。政府機関、京都サミット、グリーンピースで扱われているのと同様のデータだ。これまで素データについて詳しく論議がされる機会はあまりなかっただろう。たとえば歴史的背景、算出方式、長所および弱点などについてだ。またロンボルグは、人類および環境危機に対して私達が持つ認識は、最新の科学や環境機関、メディアによって人為的に作られたものだと断言する。高まる人々の絶望感に対して責任を負うべき者はいないが、私達が知らされる情報に対しては責任を負うべき者はいるはずだ。真のリスクは何か、それに対して何ができるのかを知る必要があるのだ。(京都会議? これはよくない事例だろう)。それにはまず、優先順位をつけることだ。(30ペンスでオーガニック・バジルを買うのか? それとも冷たくてきれいな水をシエラレオネで買うのか?)。まだまだ手立てを講じる余地はあるのだ。パニックからは何も生まれない。

本書は、環境で話し合われている議題を見直すべきだと主張した『Silent Spring』 (邦題『沈黙の春』)の現代版ともいえる。子ども達のためにも、大人達は我々が住む世界がどのようなものかを理解しなくてはならない。これは必読の1冊なのだ。


化学工業日報 2003/10/14

東大一KAST 塩素含有材料の燃焼時ダイオキシン抑制する光触媒前駆体を開発

 橋本和仁東京大学先端科学技術センター教授と神奈川科学アカデミー(KAST)の研究グループは、酸化チタン光触媒前駆体を開発した。この光触媒を炭酸カルシウムと一緒に塩化ビニル樹脂、塩素化ポリエチレン、塩化ビニリデンなど塩素を含有している樹脂に添加すると、燃焼時にダイオキシン発生を抑制、仮に極微量発生したダイオキシンも炭酸カルシウムがトラップし、環境中への拡散を防止することができる。さらに万が一、焼却灰中に混入しても光触媒が分解するというもの。研究グループでは樹脂特性や光触媒活性の評価に着手するとともに、企業とも共同開発を呼びかけ、実用化を目指す方針。
 橋本教授らが開発した光触媒前駆体は、酸化チタンを過酸化水素で処理、表面を過酸化状態としたアモルファス酸化チタンとなっている。約300度Cに温度が上昇すると、光触媒活性を有するアナターゼ型酸化チタンに変わり、光触媒が活性化する。
 この光触媒前駆体と炭酸カルシウムをそれぞれ15%程度を樹脂に練り込んでおくと、比較的低い燃焼温度領域でも光触媒前駆体の助燃作用で燃焼温度が急上昇、ダイオキシンの発生を抑制することができるという。また仮に燃焼中に極微量発生したとしても、炭酸カルシウムがダイオキシンをトラップ、環境中に放出されることがない。さらにこれをすり抜けて燃焼灰に混入しても燃焼中に光触媒が活性化しており、灰に太陽光が照射されれば光触媒作用によって分解されるという仕組み。
 塩化ビニル樹脂や塩素化ポリエチレン、塩化ビニリデン、さらに紙などでも塩素が含有しているような材料でダイオキシンの発生が指摘されているが、基本的に高温領域で燃焼処理すれば問題はない。政府や行政では燃焼温度管理されており、基本的にダイオキシンの発生はないと判断するが、現実的には低温域で焼却処理されるケースも少なくない。
 橋本教授らが開発した光触媒前駆体は樹脂中では光触媒の強い酸化反応がブロックされており、燃焼させることによって「助燃効果」と「光触媒活性」が作動して、複数の異なるアプローチでダイオキシン発生を抑制するシステムとなっている。汎用樹脂の場合、コスト的にクリアしなければならない課題は残されているが、環境面での実用化価値は大きいといえそうだ。