エチレン30万トン計画

 1967年末には石油化学第三期計画は実現し、わが国のエチレン総生産能力は年145万4千トンとなった。センター数は11を数え、そのうち9工場が10万トン設備で、1工場平均14万7千トンとなっていた。(鶴崎油化は未完成)
 一方、世界のエチレン生産能力も1404万トンとなり、そのうちアメリカが695万トンで、これに次ぐのがわが国の145万トンであった。この間、欧米各国の設備の増設も活発で、石油化学はいまや世界的ブームのうちにあり、さらに建設中のもの、計画中のものを加えると1610万トンにのぼるとみられた。それぞれの工場の規模も、1968年から運転開始が見込まれたICI社の50万トン工場をはじめとして、30万から50万トンが普通となっていた。
 このような情勢のもとで資本取引の自由化を迎えたので、国際競争に耐え得るためには、わが国の石油化学工業もこれに対応できる態勢を整えねばならず、一段と大型化が要請され、エチレンセンターの集約化と再編成が必要となった。
 石油化学協調懇談会は、1967年6月、1971年の需要を246万トンと見込み、これに対して操業率を85%とした生産能力は289万トンで、これから既認可分190万トンを差し引いた99万トンを、新規増設分として認めることとした。

1967/2 石油化学協調懇談会 「エチレン製造設備の新設の場合の基準」

エチレン製造設備の新設にかかわる外国投資家からの技術援助に関する契約の認可申請については,次の基準に適合している場合に認可するものとする。

1. 大規模な設備であって,当該設備によリ製造されるオレフィン留分等について適正な誘導品計画があること
(1) エチレンの製造能力が年産30万トン以上であること
(2) 誘導品の生産,販売計画について確実性があり,かつそれぞれの誘導品の生産分野を混乱させるおそれのないものであること
2. 原料ナフサの相当部分についてコンビナートを構成する製油所からパイプによって入手できる見込みがあること
3. 当該企業の技術能力,資金調達能力等が国際競争力ある石油化学コンビナートを形成するに適しているものであること
4. コンビナートを構成する製油所および発電所を含めて工場の立地について用地,用水,輸送等の立地条件が備わっており,かつ公害防止のうえで所要の配慮がなされていること
   
 以上の基準の運用にあたっては,企業規模の拡大および石油化学コンビナート各社の連携の強化について配慮するとともに,あわせて地域開発効果についても考慮するものとする。

 これは開放体制下の国際競争に耐え得るため、設備を大型化して、既存の企業を提携または共同投資によって強化し、弱体コンビナートの乱立を防ごうとしたものであった。

   ◎エチレン30万トン計画に関連し、塩化ビニルモノマー新増設問題

 これを受けて各社が申請した計画は9計画に及んだ。

わが国の30万トンエチレン工場

社名 工場 実施形態 内容
丸善石油化学 千葉 単独 既存コンビナートの増設
三菱油化 鹿島 単独 誘導品企業誘致のコンビナート
新大協和石油化学 四日市 単独 興銀グループの集団、三菱油化が協力
大阪石油化学 共同投資 三井、三和グループの共同、
三井東圧化学側が建設、運営担当
浮島石油化学 川崎 共同投資 三井石油化学、日本石油化学折半出資で日石側に建設
   1978に後番で三井側に浮島石化として建設
住友千葉化学 千葉 輪番 東燃石油化学の輸番
東燃石油化学 川崎 輸番  住友化学との輪番(後番)
水島エチレン 水島 輸番共同 三菱、旭グループの共同、三菱化成先番で建設
山陽エチレン 水島 輸番共同  三菱グループとの輸番(後番)

以下 伊丹敬之「日本の化学産業 なぜ世界に立ち遅れたのか」)
 エチレン30万トン計画は、明らかに国内自給体制の確立から国際競争力の強化へと、政策目標が移行したことを意味していた。政府は量的拡大を達成するため、容易に認めてきた参入企業数を絞り込み、高いハードルを設定することで、体力のある企業に集約化し、国際競争力をつけさせようとしていたのである。つまり、30万トン体制を採用するためには、資金調達、市場開拓などの諸問題が新規参入を阻止して、これまでの小規模企業乱立という産業構造が統合され、国際競争力のある業界体制への編が進むであろう、という意図が含まれていた。
 しかし、通産省のその思いもむなしく新増設は続き、完全に読み違えてしまったのである。確かに、通産省の予想どおり30万トン基準は、企業にとってはかなり高いハードルであり、単独で実施したのは2プラントのみで、残りは共同投資4、輸番投資3という具合であった。それでも、参入企業が相ついでしまったのは、つぎのような理由による。
 企業側としては、自分たちも30万トンエチレンセンターを建設すれば、十分に国際競争力をもつことができると思い、
参入障壁となるはずだった30万トン基準が、逆に目標となってしまったからである。
 「これらエチレン大型プラント建設を計画する企業にとって、エチレン30万トン/年基準の設定は『国際的に闘える企業』への登竜門となったが、逆に30万トン基準が乗り越えられなければ、ナフサセンターとしての存立すら危ぶまれることになる。それは過去10年間の努力が水泡に帰すことを意味した。
ナフサセンターにとって、エチレン30万トン基準は、どうしても乗リ越えなければならない障壁だったのである」(石化協『石油化学工業10年史』)。 

高杉良の「小説 日本興業銀行」第30章「新大協和石油化学の創立と東ソーの合併まで」に当時の状況が詳しく書かれている。

 エチレン30万トン基準とは、通産省と石油化学業界から成る石油化学協調懇談会が42年6月に取り決めたルールである。
 わが国石油化学工業の国際競争力強化を目的に、基幹部門であるエチレン設備の生産能力を従来の年産20万トンから同30万トンに引き上げるというわけだが、通産省の強引とも思える行政指導によって決定した。
 乱立気味のエチレンセンターないしエチレン新増設計画を整理すること、強い企業を育成したいという狙いから打ち出された基準だが、大協和石油化学は四日市の新埋め立て地でエチレン20万トン規模のコンビナートの展開を計画していただけに、30万トン基準の決定に大きな衝撃を受けた。
 新基準によって新大協和石油化学に限らず、昭和電工(大分)、大阪石油化学(泉北)などの後発エチレンセンターはいずれも厳しい対応を追られることになるが、通産省の行政指導で同じ四日市に工場を持つ三菱油化との輸番投資に基づいて、エチレン20万トン計画を進めていた大協和石油化学にしてみれば、釈然としないのは当然である。
 当時、通産省化学工業局化学第一課長の天谷直弘は「30万トン基準をクリアすることは容易ならざることだ」と考え、石油化学業界に対しエチレン設備の共同投資、輸番投資を強く呼びかけた。三井石油化学と日本石油化学、三菱化成と旭化成、住友化学と東燃石油化学などの共同化がこうした背景の下に実現し、天谷の読みは的中したかに見えた。

 「
三菱油化が先番になって、43年に20万トン設備を建設し、エチレン、プロピレンなどの原料ガスを大協和石油化学に供給し、45年に後番の大協和石油化学が今度は20万トン設備を建設して三菱油化に原料ガスを供給することは、通産省立ち会いで決めたのだから、経過措置として認めてもいいはずなのに、どうしても30万トンでなければいかんという理屈は僕にはよくわからんですよ」
 「大協和石油化学は三菱油化の軍門にくだれ、ということなんでしょうね。通産省は、当社の計画にきわめて冷淡です。天谷課長は認可するつもりはまったくない、と明言してます」
・・・
 埋め立て工事が始まった矢先に、大協和石油化学は重大な局面を迎えたのである。
 「興銀は大協和石油化学を全面的にバックアップする、と公言してるんです。誰がなんと言おうと、エチレン30万トン計画をやり抜こうじゃないですか」
 池浦はぐっと上体を乗り出して、池辺に笑いかけた。
 「しかし、エチレンバランスを取るためにはどうしても、他企業の参加が必要です。目下のところ、その当てはありません」
 「そんな弱気でどうするんです。二宮さんと青周がおるじゃないですか」
 池辺は怪訝そうな顔で首をひねった。
 青周とは、1年前の11月に興銀常務を辞職し、東洋曹達工業の副社長に転じた青木周吉のことだ。東洋曹達の中興の祖といわれる同社社長の二宮善基から、三顧の礼で迎えられたのである。

 大協和石油のエチレン計画に参加する予定であった日本ユニカー(LDPE,HDPE)と日東化学(アクリロニトリル)も「川崎で両社に原料を供給している東燃石油化学の企業防衛と、通産政策によって潰え去った」ため、計画は重大な局面を迎えたが、興銀の全面的支援で興銀系の東洋曹達が参加して、「新大協和石油化学」が設立され、東洋曹達主導で30万トンエチレンプラントが建設された。 東ソーはこれにより総合石化メーカーとなり、1990年には新大協和石化を吸収合併した。       


不況カルテル 

1979年1月には第2次石油危機が発生し、不況が深刻化した。

 エチレンの生産量は1979年の478万tをピークに3年連続のマイナス成長となり、1982年には359万tとなった。エチレンプラントの平均稼働率も56年以降60%以下に低迷し、エチレンセンター12社の石油化学事業の経常損益は1979年度の1037億円から1981年度には577億円の損失に転落し、1982年度には損失は822億円に増えてほぼ全社が無配に陥った。このようななか、エチレンメーカーは、1982年10月から翌年6月までの間、1972年4月以来10年ぶりに2回目の数量制限を内容とする不況カルテルを実施した。

 高密度ポリエチレン(HDPE)も、景気後退による需要の停滞と市況悪化による過剰在庫解消のため、生産量の制限を内容とする不況カルテルを1981年8月から翌年3月まで実施し、ようやく需給バランスを回復させた。

さらに塩化ビニル樹脂1981年5月から翌年2月まで同様に生産量と余剰設備制限を内容とする不況カルテルを実施し、在庫量を適正水準まで戻した。しかし、価格の上昇による国際競争力の低下により輸入は増大し、市況は回復しないままであった。
 このことは不況対策としてカルテルを実施しても問題は解決できず、抜本的な対策が必要となってきたことを示していた。


石化業界の不況カルテルの歴史

PVCポスト・カルテル対策

 業界 基本問題研究会設置
     ・第5次増設後 公称能力 1,584千t
                実能力   2,060千t(MITI算定)
     ・対策 縮小安定(設備投資休戦、過剰設備の廃棄or休止、・・・)

    問題点:
ア法ソーダメーカー(東曹、セントラル化学、旭硝子)のPVC進出

 1972/9 MITI通達 公称能力を上回る48万tの廃棄 → 1972年末実施

◎基本問題研究会は、市場の安定化を図るため、商社を含む共販会社の設立と、 
  これを前提にPVCメーカー17社を4,5グループにまとめ、グレード統合・販売
  経費節減を行うことも提案した


塩ビ共販会社              詳細経緯    

 塩化ビニル業界は、1981年5月不況カルテルを結成し、事態の打開に全力を挙げが、樹脂生産費の8割以上を占める原材料エネルギー費が大幅に高騰、内需の低迷により生産量も激減して大幅な設備過剰を招いていた。企業収益が著しく悪化し、メー力ー17社の塩化ビニル樹脂部門の収益は1980年323億円に上る経常赤字を計上、翌年はさらに470億円に膨らんだ。

        PVC需給 単位:千トン

 危機的状況に立たされて、業界はカルテルの延長を要望したが、公正取引委員会はその際、構造改善を強く求めた。
 このため産構法が施行される1年半前の1981年10月、塩化ビニル工業協会主要9社首脳は構造改善策を協議、全17社を4グループに再編成して共同販売(共販)化を目指すことで合意した。4グループとは三菱系、三井系、興銀系、その他で取引銀行系列別に編成され、残り8社に参加を働きかけた。
 まず1982年3月に「その他」グループの「
第一塩ビ販売株式会社」が設立され、4月から営業活動を開始した。以後、公正取引委員会の承認を経て、日本塩ビ販売と中央塩ビ販売がいずれも1982年7月15日に設立され(開業は8月1日)、共同塩ビ販売が8月1日に最後に設立された(開業は9月1日)。


 塩化ビニル樹脂共同販売会社の概要(共販体制発足時)

会社名(グループ) 資本金 参加会社 出資比率 生産能力


第一塩ビ販売
(その他系)
1982/3/12設立
1982/4/1営業開始

百万円
90


住友化学工業


25

千t/年
134

呉羽化学工業

25

148

サン・アロー化学

25

76

日本ゼオン

25

204

100

562

日本塩ビ販売
(三井系)
1982/7/15設立
1982/8/1営業開始

80

鐘淵化学工業

25

195

電気化学工業

25

150

東亜合成化学工業

25

125

三井東圧化学

25

102

100

572

中央塩ビ販売
(三菱系)
1982/7/15設立
1982/8/1営業開始

90

旭硝子

33.3

31

化成ビニル

33.3

110

菱日

138

信越化学工業

33.3

221

100

500

共同塩ビ販売
(興銀系)
1982/8/11設立
1982/9/1営業開始

50

東洋曹達

27

168

チッソ

27

140

セントラル化学

18

日産塩化ビニール

18

徳山積水

10

67

100

375

合計

2,009


日刊工業新聞 1982/6/16

三菱化成も塩ビ窓口会社を設立

 三菱化成工業は、同社および菱日、三菱モンサントの塩化ビニル樹脂販売の窓口会社として「化成ビニル」を設立した。資本金は4千万円で社長には渡辺宏三菱化成常務が就任。
 新会社は三菱グループの塩ビ共販会社「中央塩ビ販売」に三菱化成グループとして参加するために設立されたもので、三菱モンサントの製品も新会社を通すことになる。


産構法

 通産省は、産業構造審議会を中心に事態の打開策を検討していたが、化学工業については1982年(昭和57年)7月同審議会化学工業部会に石油化学産業体制委員会、翌8月同審議会総合部会に基礎素材産業対策特別委員会を設置し、さらに具体策を深めていった。

 石油化学業界では1982年10月、各社トップが欧州で意見交換をおこなった。

高杉良 「局長罷免 小説通産省」

 石油化学工業の中核部門であるエチレンセンター13社の社長で編成された石油化学産業調査団が欧米に派遣されたのは、ランブイエ・サミットの7年後である。
 同調査団は、欧州の石油化学事情を調査することを目的としていたが、これはあくまでおもて向きで、不況の脱出策を協議することが本来の狙いであった。
 利害対立が激しく、メーカー間の相互信頼関係が著しく損なわれていた中で、斎藤は各社首脳を精力的に訪問し、調査団の必要性について説いた。斎藤の水際立った根回しの見事さを青山はすぐ近くでつぶさに見ていたのである。
 住之江化学の堤武夫社長を団長とする大型ミッションが最初の訪問地フランクフルトに向けて成田空港を発ったのは昭和57年10月2日のことだ。一行は随員を含めて総勢20名、副団長は光陵油化の吉岡正雄社長と昭栄化学の西本康之社長。通産省から斎藤ほか2名が参加した。
 斎藤の存在なくして調査団はあり得なかったし、その後の石油化学工業の再生、収益改善など望むべくもなかった、といま青山は確信をもって断言できる。
 一行は2週間にわたってフランクフルト、ブラッセル、パリ、ロンドンなどを回り、西独BASF社、オランダDSM社、CEFIC(欧州化学工業連盟)、EC委員会、フランス政府工業省、英BPケミカルズ、ICI社などの首脳と意見を交換する一方、円卓会議を頻繁に開催し、不況対策について話し合った。
 調査団の帰国後、各社の首脳間に相互信頼感が芽生え、過剰エチレン設備等の廃棄、ポリエチレン、ポリプロピレンなどポリオレフィンの共同販売会社の設立など抜本的な構造改善対策が次々に打ち出され、構造不況に陥っていた石油化学工業は急速に立ち直ってゆく。

石油化学産業調査団

団長  住友化学   土方武社長 (住之江化学・堤武夫社長)
副団長 三菱油化   吉田正樹社長(光陵油化・吉岡正雄社長)
    昭和電工   岸本泰延社長(昭栄化学・西本康之社長)
     
   通産省   内藤正久基礎化学品課長(斎藤課長)
     
団員
新大協和石化   池邊乾治社長
大阪石化   笠間祐一郎社長
東燃石化   川島一郎社長
三菱化成   鈴木精ニ社長
丸善石化   田島栄三社長
旭化成   宮崎輝社長
東洋曹達   森嶋東三社長
出光石化   大和丈夫社長
日本石化   片山寛副社長
三井石化   竹林省吾専務
旭化成   都筑馨太副社長

 調査結果概要(要約)

 1.欧州石油化学工業の現状認識  略

 2.業界の対応
  @ 過剰設備の処理

過剰設備の処理の進め方は、マスタープランを作成して進める方法のほかに、バイラテラルな形で進めていくことも現実的方法として有効であるとの見解が示された。

  A 過当競争の排除

不況の原因の本質は企業数過多、設備過剰に伴う過当競争にあるとの指摘が多く、事業の交換、限界企業の撤退などを通して企業数を半分程度にすることが必要であるとの見解が示された。基礎的石油化学製品については共同生産が有効であるとの見解も示された。

  B 高品質、高付加価値化等のための技術開発の推進

 3.政策運用
  @ 独禁法の運用

EC委員会は、価格取り決め、生産調整、販売調整を伴わない限り、単なる設備廃棄は独禁法上の問題は生じないとしている。

  A 国有化政策

国有化は死にかけた企業の延命策となり産業再編成を阻害させるとの強い意見があった。

  B 雇用対策

  C 原料政策、エネルギー政策

いずれの国も原料非課税原則が貫徹されている。ナフサの強制備蓄も実施されていない。

  D 通商対策


1982/10/14 日本経済新聞

過剰設備廃棄で一致 石化欧州調査団 帰国第一陣が語る

・・・ 欧州はわが国の石油化学工業と同様に苦境に陥っているが、調査団のメンバーは「欧州メーカーの取り組み方を参考にして、わが国の石油化学産業立て直しに前向きに着手したい」との共通認識をもったようだ。吉田副団長によれば、「わが国も過剰設備の廃棄を実施すべきだということで団員の意見が一致した」という。


1982/11/10 日本経済新聞

過剰設備廃棄固まる 産構審石化小委最終案 エチレン36% 誘導品 24−36%

60年(1985年)をメドにした設備廃棄量
と現有能力比削減案(万トン)

エチレン  229.3 (36%)
LDPE   60.3 (36%)
HDPE   26.8 (27%)
EO EG   20.0 (27%)
SM   48.0 (28%)
PS    0 ( 0%)
PP    0 ( 0%)
AN   25.9 (32%)
VCM   − ( − )
PVC   29.0 (24%)

 同年12月石油化学産業体制委員会は、「石油化学工業の産業体制整備のあり方について」を通産大臣に具申した。内容は、@過剰設備の処理、A投資調整の実施、B生産・販売の合理化のための集約化、Cコスト低減対策の実施、D海外プロジェクトヘの対応の5項目を骨子とするものであった。

 これらの構造不況対策を実施するうえで、政府は特交法の一部を改正し、1983年5月24日「特定産業構造改善臨時措置法(
産構法)」を1988年6月30日を期限とする時限立法により施行した。

 産構法の概要は次のとおりであった。
  @法対象となる業種を特定産業として指定する。
  A特定産業ごとに構造改善基本計画を策定する。
  B同基本計画に基づいて、設備の処理を事業者の自主的努力によって行う。

 なお、同基本計画に基づく事業提携は、その計画を提出して主務大臣の事前承認を受けることによりこれを行うことができることとなった。産構法における指定業種は、電炉業、アルミニウム製錬業、化学繊維製造業、化学肥料製造業、合金鉄製造業、洋紙・板紙製造業、石油化学工業の7法定業種と特安法からの継続11業種など政令指定業種とがあげられた。


1983/5/24 日本経済新聞

シェア25%超、認可も 公取 構造改善法の合併基準

 公正取引委員会は23日、特定産業構造改善臨時措置法(産構法)に基づいて企業が合併、業務提携する場合の審査基準をまとめ、発表した。それによると、同法の適用を受けるアルミなど構造不況業種の合併、提携については独占禁止法の適用除外にはしないものの、設備過剰、輸入品との競争、業績不振の状況と特に考慮して、合併後のシェア(市場占有率)が売上高で25%以上となっても「実態に即して判断する」と弾力的な姿勢を打ち出している。
 構造改善法は5年間の時限立法で構造不況に陥っている業界の過剰設備処理、共同販売、生産、合併などの事業集約化を進めることをねらいにしており、24日から施行される。
 通産省は同法の原案をつくる段階で、不況業種救済のため、それらの事業集約化を独占禁止法の適用対象外にするよう公取委に要請した。しかし、公取委は通産省案に反発、両者が交渉の結果、今年初めに杉山通産次官と高橋公取委員長の間で「特定不況産業の合併、提携については事前、事後に主務大臣と公取委が十分に意見を交換する」ことで合意した。
 この合意に基づき、公取委は合併、提携の審査基準づくりを進めてきた。その結果構造改善法の対象企業の合併、提携については@過剰設備、構造的な業績不振状況A代替競争品目の有無B輸入品との関係や海外市場での動きーーなども配慮して判断していく方針。


業種別構造改善基本計画の概要

種名             特定産業
指定日
構造改善基本計画の概要
目標年度     設備処理 構造改善の重点
処理目標量 処理期限
アルミニウム製錬
 (継続)
1983/5/24 1986/3/31

93万t(57%)

1983/5/24 重油火力発電の石炭転換、
新製錬技術の研究開発
アンモニア
 (継続)
1983/5/24 1988/6/30

 66万t(20%)

1986/6/30 原料をナフサから石炭ガス、
LPG等に転換
尿素 (継続) 1983/5/24 1988/6/30

 83万t(36%)

1986/6/30 高効率設備への集約化
湿式りん酸
 (継続)
1983/5/24 1988/6/30

 13万t(17%)

1986/6/30 りん酸センターへの生産集
約化
溶成りん肥
 (新規)
1983/6/17 1988/6/30

 24万t(32%)

1987/6/30 平炉への集約化
化成肥料 
 (新規)
1983/6/17 1988/6/30

 81万t(13%)

1987/6/30 企業の集約化、生産受委託
エチレン  
 (新規)
1983/6/17 1988/6/30

229万t(36%)

1985/3/31 高効率設備への生産集約化
ポリオレフイン
 (新規)
1983/6/17 1988/6/30

90万t(22%)

1985/6/30 4共販全社の設立、これを核とした生産流通等の合理化
塩化ビニル樹脂
 (新規)
1983/6/17 1988/6/30

49万t(24%)

1985/3/31 1982年4共販会社の設立、
今後これを核に生産流通等
の合理化
エチレンオキサイド (新規) 1983/8/30 1988/6/30

20.1万t(27%)

1985/6/30 高効率設備への生産集中

注:1 事業提携計画の承認
   @湿式りん酸……日本燐酸への生産集中(承認日:1983/7/12)
   A化成肥料………東北肥料4社の合併(承認日:1983/6/29)
                (コープケミカルと改称)
   Bエチレン………浮島石化への生産集中(承認日:1983/10/31)
   Cポリオレフィン……四共販会社の設立(承認日:1983/6/29)
   D塩化ビニル樹脂…共販会社を核に生産、流通等の合理化の推進(4件)
                            (承認日:1983/11/24)
  2 旧法下での処理(特安法) 
   @アルミニウム製錬…上表の処理目標量は旧法下での処理を含む
   Aアンモニア………119万t(26%)
   B尿素…………… 167万t(42%)
   C湿式りん酸……… 17万t(18%)
  3 上表未記載の特定産業の業種:
     @電炉、A化学繊維(5業種)、B合金鉄、C洋紙・板紙(2業種)、
     D政令指定業種(2業種)


産構法による設備処理の概要 (単位:万トン/年、%)  

業種名          エチレン ポリオレフィン  PVC   EO    SM  

処理前能力 A

635

413

201

74

180

処理目標量 B

229

90

49

20

47

処理率  B/A

36

22

24

27

26

実処理量  C

202

85

45

12

34

達成率  C/B

88

94

92

61

73

残存能力

433

328

156

62

146

指示カルテル取消

86/3/31

87/9/16

87/9/16

特定産業指定取消

87/9/16

88/3/31

88/3/31

88/3/1

88/3/1

出所 通産省


(石化協 「石油化学工業30年のあゆみ」より)

 エチレンオキサイドは、指示カルテルによらず業界各社が自主的に設備処理を行ったが、日本触媒化学と三井石油化学は製品融通の事業提携計画を作成し、さらに三井石油化学は昭和60年5月にエチレンオキサイド・グルコールの営業を三井東圧化学に移管した。
 
 スチレンモノマーは、産構法の業種指定は昭和60年1月となり、設備処理は各社が自主的に進めた。


産構法に基づくエチレンセンター各社の設備処理 

 エチレン業界ではこの提言に基づき産構法のもと設備廃棄を実施するか否かの検討を重ね、1983年5月の社長会で最終的に指示カルテルのもとでの設備処理を決定した。こうして同年5月末、エチレンメーカー14社は連名で、エチレン製造業を産構法第2条第2項の規定に基づく特定産業として指定要望する申出書を提出、6月政令指定を受け、1988年6月末の目標期日までに「高効率設備への生産集約化」を重点に構造改善を行うことになった。
 そして6月に告示された「エチレン製造業の構造改善基本計画」により、全国エチレン年産能力6,347,000tの36%に当たる同
2,293,000tの設備を過剰設備として処理する目標が決まつた。なお、告示日現在建設中の設備新設に伴う生産能力の実質的増加分(年産能力22万t)も設備処理目標量に加えた
 これらの処理の実施は原則として告示日以後直近の定期修理時までに行うこととし、特別な事情のある場合でも遅くとも1985年3月末までに完了することに決まった。また、この設備の処理の方法は原則として
設備廃棄によるものとするが休止により行なうことも妨げないものとされた。

 なおその場合には次に掲げるいずれかの方法により、当該設備の運転を不能にし、相当の期間および費用をかけなければ運転の再開が不可能となる状態にしなければならないことになった。
@ 分解設備のバーナーおよびマンウェイのカバーの撤去
A 分解設備の原料配管、分解生成物配管およびマンウェイのカバーの撤去
B 分解設備のマンウェイのカバーの撤去ならびに分解ガス圧縮機のローターおよびケーシングの一部または全部の撤去
 さらに目標の1988年6月末までの間は告示日現在建設中のものを除き、分解設備の新設、増設および改造(当該設備の更新、改良を除く)は行わないことになった。

 

油化学会社名 設備能力
1983/8現在
(A)
要処理量

(B)
能力枠

(C)
要処理量

(D)=A-C
処理実施量
(処理区分)
(E)
処理後能力
1986/3現在
(F)

住友化学工業

569.4

219

370

199.4

224.4  (廃棄)

345

日本石油化学

583

238

364

219

  52  (廃棄)
189  (休止)

342

丸善石油化学

505

171

352

153

110  (休止)
22
(部分休止)

373

三井石油化学

788

325

489

299

230  (廃棄)
92  (休止)

466

三菱油化

800

317

510

290

80  (廃棄)
120  (休止)
90(部分休止)

510

三菱化成

177

163

395

142

177  (廃棄)

0

水島エチレン(三菱化成)

360

-

-

-

-

360

東燃石油化学

573

231

361

212

223 ( 休止)

350

昭和電工

541

208

351

190

221  (休止)

320

新大協和石化(東ソー)

361.3

136

237

124.3

41.3  (廃棄)
54(部分休止)

266

出光石油化学

380

95

354

26

216(部分休止)
△220   新設

384
内新設220

大阪石油化学

320

105

227

93

68(部分休止)

252

浮島石油化学

(808)

+

+

+

+

(808)*

山陽エチレン(旭化成)

390

85

322

68

41(部分休止)

349

合計

6,347.7

2,293

4,332

2,015.7

2,030.7

4,317

備考

18工場
32系列

     

804.7 ( 廃棄)
955   (休止)
491(部分休止)
△220  新設

13工場
14系列

注:*浮島石油化学の設備能力808千t/年の内、342千t/年は日本石油化学枠、466千t/年は三井石油化学枠であり、これらは各社能力に計上済み


(石化協 「石油化学工業30年のあゆみ」より)

 エチレンの設備処理は、業界が産構法に基づき設備処理の共同行為協定書に調印し、指示カルテルを結成して昭和58年9月以降具体的に進めたが、企業にとって大きな問題であった。いわゆる残存設備とみられた30万トン/年以上の設備は11基計395万d/年であり、単一立地で30万d/年以上の設備能力を持たない三菱油化・四日市、三井石油化学・岩国大竹、住友化学・愛媛の各工場は大きな岐路に立たされた。また、エチレン設備として30万d/年以上の設備しか持たない企業は、分解炉を部分処理しなければならず、生産効率を悪化させる可能性もあった。そのため、各社は生産受委託や非効率設備を優先して処理することで大型設備への集中に努力した。
 三菱油化と新大協和石油化学は、四日市地区の効率的なエチレン生産を行うため昭和57年末から新大協和石油化学への生産集中で話し合いを行い、住友化学は58年初めに体制整備を先取りする形で愛媛のエチレン設備を休止した。三井石油化学と日本石油化学は自社のエチレン設備をすべて休止し浮島石油化学に生産を集中する事業提携計画を58年10月に申請して共同で生産合理化に取り組んだ。
 結局、
住友化学・愛媛に続いて三井石油化学・岩国大竹と日本石油化学・川崎工場のエチレン生産が昭和60年3月に休止され、石油化学工業の第1期計画で稼働した4工場のうち3工場のエチレン設備が休止されたのである。
 また、大阪石油化学は昭和59年3月に関西石油化学の解散に伴い三井石油化学などが新たに出資する形となったが、同年6月には三井石油化学、三井東圧化学、日本石油化学の3社が大阪石油化学の設備処理に関し、共同で対応することに合意した。丸善石油化学と住友化学も受委託生産の形で共同で取り組んだ。
 こうした結果、エチレンの設備処理は処理期限の昭和60年3月末までに202万d/年が実施され、構造改善基本計画の処理目標量に対しては88%の達成率となった。また、設備の系列は
処理前の14社18工場32系列から11社13工場13系列と大幅に縮小され、1プラント当たりの能カも19万8000トン/年から33万3000トン/年となった。


産構法に基づくPVCの設備処理

 1983年5月、塩化ビニル樹脂製造各社は連名で、法による業種指定を申し出た。6月、同業界は特定産業として政令指定され、88年6月末の目標期日までに「共販会社を核にした生産、流通の合理化」を重点に構造改善を行うことになった。
 6月に告示された構造改善基本計画により、塩化ビニル樹脂は全国の年産能力201万tの24%に当たる49万tの重合設備を過剰設備として処理する目標が決まった。この処理の方法は設備廃棄を原則とし、1985年3月末までに処理を完了するなど、ほぼエチレンと同様であった。また、目標期日までの間、重合設備の新設、増設および改造(当該設備の更新、改良を除く)は行わないことになった。さらに、共販会社を中心に生産の共同化、生産品種の専門化、二塩化エチレンなどの原料購入の共同化を積極的に行うことなど、生産、販売、流通各分野における合理化の推進を行うことになった。
 これを受け、同年11月、業界21社は設備処理と5年間の新増設禁止を主な内容とする協定を結び、通商産業省の承認を受けた。このうち設備処理については経済的負担の公正を期するため
調整金を設けて各社別の処理量を決めた。また、事業提携では11月に4共販会杜を核とした生産、流通の合理化を進めるための計画が承認された。
 結果としては、設備処理目標の年産能力49万t分に対し、処理実施実績は45万t分で目標達成率は92%、残存能力は156万tとなった。

PVCの場合は当初から能力はリアクターの容量で判定した。設備処理についても廃棄するリアクターの容量で計算された。調整金は廃棄mに対し2,000千円(基準を超えて廃棄する分は4,000千円)を支給することとし、残存m数比で各社負担した。


1982/6/24 日経産業新聞

塩ビの生産集約化 残存企業が救済策 大西会長が表明

塩化ビニル工業会の大西三良会長(日本ゼオン社長)は23日、緊急課題となっている塩ビ業界の生産集約化問題について「個別企業の生産中止を円滑に実施するための環境づくり」を柱とする基本的な考え方を明らかにした。・・・・
生産中止に踏み切る企業が一方的に不利にならないように、残存企業が救済策を実施するような形で生産集約を実現させる考え。


ポリオレフィン共同販売会社と参加各社の設備処理概要         共販設立経緯

 1983年5月、エチレン製造業12社とポリエチレン製造業5社の社長会で構造改善に対する基本事項が合意され、直ちに産構法の業種指定を申し出た。両業界は6月に特定産業として政令指定され、1988年6月末の目標期日まで「過剰設備の処理および生産、販売など各分野における合理化」を重点に構造改善を行うことになった。
 1983年6月に告示されたポリオレフィン製造業の構造改善基本計画では、過剰設備として83年8月現在のポリオレフィン年産能力の22%に当たる902,000t分を処理することになった。その内訳は、高圧法ポリエチレン(LDPE)は年産能力の37%に当たる637,000t、中低圧法ポリエチレン(HDPE)は同25%に当たる265,000tの設備であった。なお、ポリプロピレンは設備の過剰度がそれほど大きくなかったので、設備処理の対象とはならなかった。
 これらの処理は、原則的にエチレンの場合と同様で、処理方法は原則として廃棄によるが、休止により行うことも妨げないとされ、処理の期間は直近の定期修理時までに、特別な事情がある場合でも遅くとも1985年6月末までに完了することとし、休止の場合には目標期日の1988年6月末までこれを継続するものとした。
 
設備の新設、増設および改造は、目標期日までの間は行わないとした。なお、更新、改良は制限しないが、設備能力増となる場合には、自社の残存能力範囲内に止めるようにすることになった。
 さらに、
共販会社を設立し、生産、販売など各分野における合理化を推進することとした。
 また、事業者は、気相法、低圧法などの新製法設備や省エネルギー設備の導入を図る投資を積極的に行い、新商品の開発や新技術の開発を推進することとした。なお、直鎖状低密度ポリエチレンとポリプロピレンの設備投資については、需要見通しに照らして目標期日までの投資調整が行われることになった。

注 当初は「三菱グループ」として(ダイヤ+エース)7社のJV案で公取と交渉した。

 

会社名 資本金
(百万円)
出資会社 出資比率
 
(%)
      生産能カ (千t/年)
LDPE + HDPE + PP

 83/8

 85/8

+

 83/8

 85/8

+

 83/8

 85/8

ユニオンポリマー
83/6/17設立
83/7/1営業開始

400

住友化学工業

18  

286

164

+

+

+

+

144

144

宇部興産

18  

147

99

+

+

+

+

105

105

東洋曹達

18  

167

103

+

72

52

+

+

+

チッソ

18  

+

+

+

45

35

+

156

156

徳山曹達

14  

+

+

+

+

+

+

95

95

日産丸善ポリエチレン+

14  

+

+

+

75

54

+

+

+

100  

600

366

+

192

141

+

500

500

ダイヤポリマー
83/6/17設立
83/7/1営業開始

100

三菱油化

50  

260

185

+

36

0

+

190

190

三菱化成工業

50  

118

58

+

75

69

+

35

35

100  

378

243

+

111

69

+

225

225

エースポリマー
83/6/23設立
83/7/1営業開始

200

昭和電工

20  

123

70

+

122

113

+

92

92

旭化成工業

20  

147

96

+

129

82

+

0

12

出光石油化学

20  

0

38

+

82

64

+

80

80

東燃石油化学

20  

+

+

+

45

37

+

76

76

日本ユニカー

20  

185

138

+

+

+

+

+

+

100  

455

342

+

378

296

+

248

260

三井日石ポリマー
83/7/1設立
83/7/1営業開始

900

三井石油化学

25  

45

45

+

226

168

+

121

121

三井東圧化学

25  

+

+

+

+

+

+

158

198

日本石油化学

25  

95

71

+

100

75

+

0

28

三井ポリケミカル

25  

175

127

+

+

+

+

+

+

100  

315

243

+

326

243

+

279

347

合計

+

1,748

1,194

+

1,007

749

+

1,252

1,332

1.産構法に基づく設備処理前(1983/8)と設備処理後(1985/8)の設備能力を対比
2.LDPE欄には、L−LDPEおよびEVAの生産能力を含む
3.HDPE欄では、四日市ポりマー(新大協和石化系)分は東洋曹達分に含めた
4.PPは設備処理の対象外であり、1984/4に操業を開始した
泉北ポリマー分(年産能力80千t)以外は設備能力に変更なし。
1985/8の生産能力欄では泉北ポリマー分をその出資各社の引取枠に分け、それらを出資各社分に含めた(引取枠:三井東圧化学40千t、日本石油化学28千t、旭化成工業12千t)


(石化協 「石油化学工業30年のあゆみ」より)

 ポリオレフインの設備処理は、エチレンと同様に業界が共同行為の協定書を結び、指示カルテルを結成して進めた。設備処理量は、低密度ポリエチレンが37%に当たる63万7000トン/年、高密度ポリエチレンが25%に当たる26万5000d/年であった。このポリエチレンの設備処理は、共販会社をべ一スにグレードの整理統合、交錯輸送の合理化、効率設備の活用を基本とした生産集約化によるコスト削減に目的があった。
 集約化という点では、例えば三菱油化が高密度ポリエチレンの生産を昭和59年3月に休止して三菱化成に生産を委託、三菱化成はポリプロピレンの新設計画を延期して三菱油化から融通を受けた。住友化学は愛媛のエチレン設備休止に伴い低密度ポリエチレンの生産を千葉に集約化、旭化成は昭和58年秋までに川崎の低密度ポリエチレン設備を休止して水島に集約化した。また、東洋曹達は昭和58年10月に新大協和石油化学の高密度ポリエチレン事業を新会社の四日市ポリマーに移管、三井石油化学は59年8月に三井ポリケミカルの低密度ポリエチレン事業を譲り受けてそれぞれ樹脂事業の一元化を図つた。

続く