http://www2.osk.3web.ne.jp/~hannanun/aids006.htm 

「薬害エイズの真相を明らかにし、薬害を根絶する会」ニュースより

薬害エイズの構造(その2) 薬害エイズと731部隊     (1997年5月)

ミドリ十字創立者・内藤良一の731部隊創設者・石井四郎とのつながり】
 内藤は、1927年京都大学医学部に入学して、そこで陸軍委託学生になる(委託学生とは、卒業後陸軍に入ることを条件に陸軍が学資を給付する制度)。それを彼に勧めたのは増田知貞という陸軍から大学院生として京大微生物教室に来ていた人物(のち731部隊員)。またその増田に委託学生を進めていたのが、後に731部隊創設者で知られる石井四郎であった。

【防疫研究室と細菌部隊の誕生】
 軍医学校の教官となった石井四郎は、陸軍上層部を動かし細菌戦構想を進めていった。1932年、軍医学校内に後の細菌部隊の中枢機関となる「防疫研究室」が設置され、翌年ハルビン郊外に731部隊の前身である加茂部隊が発足する。1941年8月この部隊が「満州731部隊」と名を変える。

【内藤良−と防疫研究室】
 1936年に京大大学院を卒業した内藤は、翌37年からヨーロッパ、アメリカで研究、情報収集(いわゆるスパイ)をしていた。ヨーロッパでは細菌に関する研究、アメリカでは細菌の他に乾燥血漿に関する技術などを学ぶ。帰国後、軍医学校防疫研究室の教官に就任。終戦まで石井四郎らの下で「石井の右腕」として働く。

【日本初の献血制度】
 1943年、内藤は乾燥血漿の製造に着手する。乾燥血漿の技術は戦前、アメリカで修得して研究室で組み立てられていた。献血制度を組織し、初めて日本で献血を行ったのが、後に売血によって血液を集めた内藤であった。

【終戦と731部隊の免責】
 1945年敗戦ののち、GHQによって東京裁判が行われる。しかし、GHQは731部隊による人体実験、虐殺などの事実を知りながら、それらのデータを手に入れる事を条件に、731部隊に対する一切の責任を免除した。この交渉に当たったのが内藤良一であった。内藤はこの過程でGHQとの結びつきを強める。

【日本ブラッドバンクの誕生】
 1950年、大阪の茨木市で開業医として生活していた内藤の所に2人の旧友が訪れる。宮本光一(日本特珠工業社長、陶器製爆弾、石井式濾水器製作)、二木秀夫(二木班班長として生体実験、主に結核菌の研究)である。この2人の尽力を得て、内藤は厚生省、日本赤十字、GHQに働きかけ、同年11月に
「日本ブラッドバンク社」が誕生する。

【元731部隊員を結集させ、売血を開始】
 日本ブラッドバンク社が設立され、まず内藤らが手がけたことは血液の収集とそれをさばく販売ルートであった。まず、血液を集めるために大阪、神戸に採血プラントを設置。名古屋、東京にも採血プラントを設置し、各所長は野口圭一(731部隊隊員)、北野政次(731部隊部隊長)が務めた。1957年には京都プラントができ、やはり所長には731部隊関係者の太田黒猪一郎が就任している。販売ルートに関しては当時、日本国内での絶対的な乾燥血漿の不足、朝鮮戦争への供給など十分あった。

【血液製剤の商品化を推進】
 厚生省や血液産業に絶大な影響力を持っていた内藤は、厚生省を動かし、1954年に血液製剤を薬と同じように健康保険の対象にすることに成功する。1964年、駐日アメリカ大使のライシャワーが刺され、その時の輸血で肝炎に感染するという事件が起こり、売血に対する非難が高まり、政府は保存血液を日赤などによる献血によってまかなうという決定をする。しかし、それは同時に保存血液以外の血液製剤は民間企業の売血によって作ることを可能にした。

【日本ブラッドバンクからミドリ十字へ】
 日本ブラッドバンクは社名を
ミドリ十字に変え、後にアメリカに子会社アルファ社を設立し、日本国内の血液産業では他の追随を許さないシェアを誇る大企業へと成長していく。

 このように、731部隊関係者の大きな力で誕生した血液産業には日本ブラッドバンク=ミドリ十字の他、日本製薬、ワクチン産業で名のあがった熊本化血研などがある。ミドリ十字ら血液産業は、アジアで中国、朝鮮、ロシアの人々を次々と人体実験して殺していった731部隊の生き残りによって作られ発展し、薬害エイズを生み出す土壌を生みだしていったのである。


http://www2.osk.3web.ne.jp/~hannanun/aids004.htm 

大阪HIV訴訟原告団長・ 家西悟さん講演会資料V(1996年8月2日)

薬害エイズ関連年表
      薬害エイズの真相を明らかにし、薬害を根絶する会

 
1981 6   米CDC(国立防疫センター)が最初のエイズ報告。
1982 7 16 米CDC血友病患者のエイズ発症、死亡例報告。「濃縮血液凝固製剤を使用していた血友病患者 3人がカリニ肺炎にかかり2人が死亡した」
  7 20 毎日新聞が日本で初めてのエイズ報道。
  7 27 米CDC、製薬会社に奇病が血液製剤で伝播する危険性を指摘、AI DSと命名。
  8 27 郡司篤晃が厚生省薬務局生物製剤課長に就任。
  11   米CDC、全米の血液業界関係者300人を集めて緊急会議、感染予防を勧告。 ミドリ十字米子会社アルファ社が危険性をミドリ十字に報告。
  12   米でエイズパニック始まる。
  12 29 米カッター社(現バイエル)顧問弁護士が、不可避になるであろう裁判に備えて「エイズ警告文」を印刷して製剤に記すよう会社に勧告。
1983 1 4 米CDC、アトランタで製薬企業を集めて緊急会議。伝染病の権威ドン・フランシスが非加熱製剤の危険性を訴える。
米アルファ社、加熱製剤の開発に着手。
  2 1 厚生省が血友病患者の自己注射療法を認可。
  2-3   村上省三(元日本輸血学会会長) が郡司篤晃・厚生省生物製剤課長に米国のエイズ情報の資料を送付。
  3   CDC血液製剤によるHIV感染の危険を警告。米で加熱製剤承認。
元厚生省薬務局長、松下康蔵がミドリ十字社長に就任。
米トラベノール社(現バクスター)厚生省に加熱製剤を売り込み。薬務局長、持永和見(厚生省時代の松下康蔵の直属の部下)が対応、売り込みを拒否。
ミドリ十字社長に元薬務局長の松下兼蔵が就任。
  5   トラベノール社、再度厚生省に売り込み。郡司課長が対応、同様に拒否。トラベノール、非加熱の売り込みに方針変更。
仏パスツール研究所、HIV分離に成功。
仏政府、米からの血液輸入全面禁止。
  5 31 アルファ社、非加熱製剤に「エイズ警告ラベル」を貼るようミドリ十字本社に内部文書。本社の強い反対で実現せず。
  6 2 トラベノール社、厚生省に「供血者がエイズ様症状を示したため、当該製品を米国で非加熱製剤を自主回収した」と報告。
  6 13 厚生省エイズ研究班(班長は血友病治療の権威、安部英・帝京大教授) が発足。
  6   トラベノールと日本臓器の輸入血液製剤(非加熱)を認可。
  5-7   安部英が設立準備中の「財団法人血友病総合治療普及会」の基金として製薬5社が計4300万円を寄付。
  6 29 世界血友病連盟総会で「現在の血友病治療は、非加熱製剤を継続すべき」と承認。
  7 4 厚生省メモで「加熱製剤の導入を検討」と「国内メーカーへの打撃」の記述。
  7 5 安部の血友病患者が死亡。
  7 7 清水晴子(元厚生省薬務局勤務)、毎日新聞の「読者の手紙」欄にエイズの国内上陸を防ぐために血液製剤の輸入禁止を訴えた。
  7 11 厚生省メモで「加熱製剤の超法規的承認は好ましくない」と記述。
  7 18 エイズ研究班第二回会合。「血液製剤に関して、研究班は当分の間、現状のままで良いという結論を下した」。安部の患者をエイズと認定せず。
翌日の新聞は「エイズひと安心」「エイズ上陸を否定」と一斉に報道。
  8   CDCのスピラ博士が、都内で帝京大症例を「エイズと認定する」と発言。
  8 19 エイズ研究班第三回会合。クリオ製剤への転換について検討するため研究班内に血液製剤小委員会( 委員長、風間睦美・帝京大教授) 設置を決める。
  9 14 小委第一回会合。「非加熱の使用継続を基本とし、小児など一部に限ってクリオを使う」旨の中間報告を第四回会合に提出。
  8   厚生省、製薬企業に対し加熱製剤の開発を指示。
  9 22 血友病患者団体が「エイズの危険がない加熱製剤の早期供給」を厚生省に要望。
  10 14 エイズ研究班第四回会合。大河内氏、クリオの使用を主張、安部と対立。
  10 18 安部は風間に「( クリオを容認するような答申を出すと) 終生浮かばれないよ」と恫喝。
  11 10 厚生省が製薬企業各社に加熱製剤の申請について説明会開催。
1984 1 5 郡司は、研究班関係者を集め、安部に「一変」による加熱製剤緊急輸入について説明するよう依頼。
  2   トラベノールが加熱製剤の治験開始。以降3月にカッター、5月に化血研、6月にミドリ十字が治験開始。
  3 29 エイズ研究班第五回会合。血液製剤小委員会が非加熱製剤の輸入継続を認める最終報告書を提出。エイズ研究班は解散。
  6   安部が血友病患者48人の血清を米国立がん研究所のギャロ博士に送った結果、死亡した2人がエイズ患者、21人がHIV感染者と判明。
1985 3 21 安部の血友病患者が日本のエイズ患者第1号だったと朝日新聞が報道。
  3 22 厚生省、日本人エイズ患者第1号はアメリカ在住の男性同性愛者と認定。
  4 トラベノール、ヘキストなど製薬企業、一斉に加熱製剤の承認申請。
  5 30 日本でのはじめての血友病HIV感染を公表(安部の患者)。
  7 1 厚生省は、4社一括して加熱製剤( 第8因子) の製造を承認。( 12月に第9因子の製造申請を承認)米より2年4カ月の遅れ。
  9   厚生省エイズ発症研究予防班、血友病患者の4割がエイズに感染と報告。
  12   厚生省、血友病Bの加熱製剤(第9因子)を承認。
1986 11 7 長野県でフィリピン女性が売春でエイズと各紙が報道。
1987 1 17 厚生省、エイズサーベイランス委員会設置(委員長は塩川優一)。塩川は直後に記者会見。神戸の女性がエイズで重体と発表。「今年はエイズ元年」「一部の同性愛者だけでなく普通に生活している人たちにも危険が広がる恐れ」「2次感染、3次感染を防ぐこと、新たなエイズ対策が必要」。日本で本格的なエイズパニック始まる。
  1 22 厚生省の伊藤感染室長、全国ヘモフィリア友の会のエイズ感染対策委員会と会見。「エイズの一般国民への感染を防ぐ目的」で法制化を早急に検討し、「必要が生じ次第、法案として提出する」。
  1 23 HIV2次感染防止のための「伝染予防法の一部改正案」閣議登録。 
  2 17 各紙一斉に「エイズ感染妊婦、来月出産」と報道。
  3 31 「後天性免疫不全症候群の予防に関する法律」(エイズ予防法)案が内閣提出法案として国会に提出。医師や感染者に報告、感染防止の義務を課した。
1988 4   自民党エイズ問題小委員会、エイズ予防法案の審議状況打開のため七項目の患者救済策の大枠決定。
  10 27 衆議院社会労働委員会で、エイズ予防法案強行採決。同時に救済措置の早急な実施を求める決議可決。
  12 21 エイズ予防法、参院を通過、成立。
1989 1   血液製剤でのHIV感染者「救済」制度発足。
  2 17 エイズ予防法施行。
  5 8 愛媛県の書道家、赤瀬範保さんら2人が、国と製薬会社に総額2億3千万円の損害賠償を求める日本ではじめてのHIV訴訟を大阪地裁に起こす。
  10 27 感染者8人、発症者1人、発症死亡者の遺族5家族12人が、国、製薬企業5社に、総額16億3800万円の損害賠償を請求して東京地裁に提訴。
1991 6 17 赤瀬範保さん、死亡。
1994 4 4 血友病患者らが安部・帝京大副学長を殺人未遂罪で東京地検に告発。
1995 3 27 東京HIV訴訟結審。
  7 26 大阪HIV訴訟結審。
  10 6 東京、大阪両地裁が第1次和解案を提示。
1996 1 25 原告らが郡司・元課長を法廷での偽証容疑で東京地検に告発。
  2   患者の母親が安部・帝京大副学長を殺人容疑で告訴、東京地検が受理。
  2 9 厚生省、エイズ研究班などの資料発見を公表。
  2 16 菅厚生大臣、血友病患者、家族らに謝罪。
  3 7 東京、大阪両地裁が第2次和解案を提示。
  3 19 厚生省、エイズ資料などの調査報告書を公表。
  3 20 原告が和解案受け入れを決定。
  3 29 和解成立。