日本経済新聞 2003/4/2          解説

先端医療技術に特許 日立など出願準備 年内にも第1号
 「再生」「遺伝子」開発に弾み

 皮膚の再生医療や遺伝子治療など先端医療技術を対象にした国内初の特許が年内にも誕生する見通しとなった。特許庁が審査基準を作成し、夏にも受け付けを開始するのを受け、日立製作所やオリンパス光学工業などが出願に踏み切る。成長分野と期待されている先端医療技術で、すでに特許を認めている米欧に対抗、日本企業の技術開発に弾みを付ける。
 日本では医薬品や医療機器の特許権は認められるが、診断や治療、手術など一連の医療行為は産業利用になじまないとの理由で特許の対象になっていない。ただ最近は、患者から採り出した細胞を医師以外の第三者が培養する加工技術や、遺伝子治療などが急速に広がっている。 特許庁はこうした技術開発に特許を認めなければ、産業界の研究開発意欲を低下させかねないと判断。検討をゆだねた産業構造審議会(経済産業相の諮問機関)の知的財産政策部会は2日、再移植を目的に患者から採り出した皮膚や歯、軟骨、角膜、血管を培養する技術や遺伝子治療を特許の対象と認める方針を示す。ただ、手術手法など幅広く医療に特許を認めることには異論が出たため、まずは一部の技術に限定する。
 特許庁は具体的な審査基準を定め、夏から出願の受け付けを始める。日立製作所の各グループ企業は、目の角膜や歯の再生の技術を出願する。再生医療を手掛けるベンチャー企業のジャパン・ティッシュ・エンジニアリング(愛知県蒲郡市)なども、受け付け開始後、早い段階で出願することを検討している。海外でも同時に出願するなどの理由があれば迅速な特許取得が可能になる「早期審査」の手続きをとれば,3カ月程度での特許取得が可能とみられる。
 米国はすべての医療技術が特許の保護対象になる。企業が先端技術を開発して特許を取得すれば、治療行為でその技術が使われた際に患者や保険会社などから対価を受け取ることができる。このため、多額の費用が必要な研究開発に取り組みやすく、関連ベンチヤー企業が続々と誕生している。

日米欧の医療特許の比較

  日本  米国  欧州 
医薬品  ○  ○  ○
医療機器  ○  ○  ○
細胞増殖などの技術  ☆  ○  ○
治療方法    ○  △
○=特許権を認めているもの
☆=今回、一部技術を認めるもの
△=一部療法で認めているもの
=特許権を認めていないもの


医療行為の制約 医師らに懸念も

 特許庁が先端医療技術を特許と認めるのは、実用化を目指す産業界からの要請が強いという背景がある。先端医療分野では技術の開発・製造を企業が担うようになっており、開発者の権利を保護しないと新技術の開発が進まなくなっている。新技術を普及させ国民がその恩恵を受けられるようにするために、特許を認める必要性が高まっている。
 ただ、医療特許に関しては日本医師会をはじめ、医療関係者に異論が多い。医師や医療機関によって新技術の安全性を十分に確認しないまま特許化が進むのではないかという懸念があるほか、新しい心臓手術法など医療行為自体が特許となり、医療費の高騰や医師が使いにくい状況が生じるのではないかという声もある。
 米国では治療方法なども特許の対象になるが、医師が行う医療行為は特許権侵害の適用外になっており、特許を盾に新技術が使いにくくなるような状況にはなっていない。日本も同様の考えで、特許は医療行為にまで広げず限定的になる見通しだ。
 特許による技術開発の促進と、だれでも先端医療を受けられる権利を保証するバランスをどうとるかが焦点となる。


日本経済新聞 2003/4/11

先端医療技術に特許 国際競争カを優先
 産業界 「開発意欲わく」
 医療現場 安全性など懸念

 皮膚や角膜の再生治療など先端的な医療技術に特許権が認められる見通しとなった。特許庁は医薬品と医療機器以外の医療関連特許を認めない方針を転換、今夏にも細胞の増殖などで企業が特許権を持てるようにする。ただ、医療現場には安全性や医療費の高騰を懸念する慎重論も残る。「10や20の特許出願はすぐできる」ーー。岡野光夫東京女子医科大教授は熱っぽく話す。同大学ではベンチャー企業などと共同研究を進めており、心筋、腎臓など様々な臓器にかかわる医療技術で出願を準備中。
 「病院からの受託や技術供与でビジネスが成立すれば企業の開発意欲が増す」と効果を強調する。歯の再生を手掛ける日立メディコも医療機関とともに出願する構えだ。
 今回新たに特許権が認められるのは患者から取り出した細胞を培養して本人に戻す「自家移植」と呼ばれる医療技術だ。バイオテクノロジーを活用した再生治療が中心で、やけどした皮膚の再生、損傷した肝臓の増殖などに効果を発揮する。技術の進歩はめざましく、米国はすべての技術に特許を認めている。
 「特許を認めないと国際競争で後れをとりかねない」。そうした危機感を背景に政府は昨年7月、知的財産戦略会議で特許権の範囲拡大の方向を打ち出した。その後、特許庁と産業構造審議会(経済産業相の諮問機関)の作業チームがゴーサインを出した今月上旬まで1年かかっていない。
 医療技術に特許が認められると想定できる治療法を出願時に明示でき、自社技術の保護強化につながるとみられている。角膜の再生技術を持つベンチャー企業のセルシード(東京・新宿)は、患者の目に移植する手順や病気ごとに異なる移植方法を機器類の特許とあわせて示すことを検討しているという。
 「技術の安全性はどうやって確保するのか」
 「医師が特許の技術を使い、訴訟を起こされる可能性もある」
 産構審の審議では最後まで特許権の付与を疑問視する声が出た。特許を取得したとはいえ医療事故が発生すれば、責めが医師に及ぶおそれは否定できない。患者に医療費の負担増を押しつけると警戒する向きもある。
 そもそも「人間を手術、治療、診断する方法」は医療行為とされ特許の対象外。医師が治療に使う技術に特許を認めると権利者の許諾を得たり使用料を払ったりで、生命保護がおろそかになるとの懸念からきている。
 特許庁は諸外国の事情を説明したり、研究開発への影響を注視する姿勢を示すなど医療現場への配慮をにじませた。医療行為全般にかかわる特許法の改正にまで踏み込まず、審査基準の改定で例外的に特許を認めるのもそのためだ。日本医師会も「発明の奨励という趣旨は理解できる」(澤倫太郎常任理事)と条件付きで賛成した。
 ただ、産業界は「自家移植」を突破口に手術法など医療行為全般に特許を認めるよう訴える。一方、医療関係者は現場での患者の安全を強調。立場の違いが際立つ。
 産構審に参加した竹田稔弁護士は「企業が提案する手術や薬の投与といった治療法をどう扱うか。これで(医療特許は)終わりと議論にふたをすべきではない」と指摘する。両者のバランスをどう取るかが課題だ。


日本経済新聞 2003/4/22

知的財産立国 日本の誤算 最先端追いつかぬ保護

 最先端のバイオ技術を使って皮膚や骨を培養し、やけどや難病治療に役立てる「総合再生医療センター」を名古屋市に作る構想が始動した。
 地元経済界などが出資して2年後に事業を開始、名古屋大学医学部が人材面で協力する。2005年開港の中部国際空港で世界から顧客を呼び寄せ、株式公開へーー。知的財産立国の象徴とも言える構想に政府も関心を寄せるが、旗振り役の上田実・名大教授の表情はいまひとつさえない。
 医薬品や医療機器に認めている特許を、再生医療技術にも認めるか。経済産業省の審議会は今月初め、試案を示した。結論は一部解禁。「医は仁術」という考え方に立ってきた特許行政にとっては大きな一歩だが、全面解禁を期待する上田教授の思惑ははずれた。
 再生医療は人体から細胞を取り出し、培養し、体に戻す、という三段階から成る。米国は全段階に特許を認めているが、日本案は人体に触れずに行う培養部分だけに認めた。広く特許を取り、中身を公開して外部に役立ててもらう代わりに、特許料収入を得て先端研究を加速させる。こんな青写真を描いていた上田氏は「このままでは技術革新が進まず、結果的に患者も損をする」と嘆く。
 微生物、遺伝子、情報技術を利用した事業手法ーー。特許庁は技術進歩に合わせ、特許による保護対象を広げてきた。医療技術は残り少ない空白地帯。特許の対象にしないのは技術の独占やコスト増を避ける狙いだが、産業界からは「日本でも広く特許を認めないと画期的な技術が生まれない」(日立メディコの宅間豊会長)、「医療ベンチャーが育たない」(武田薬品工業の秋元浩取締役)と不満が漏れる。
 最先端分野なのに特許で保護されない。そのツケは小さくない。先端にミリ単位のカメラが付いた針を使い、培養した骨細胞を腰ついに戻す最新技術。ある医師が装置の開発をメーカーに持ちかけたところ、「特許を取れないので投資を回収できない」と断られた。「通常の外科手術より体への負担が小さく、入院期間が短くなる。医療費負担も少なくなるはず」。開発を頼んだ医師は唇をかむ。
 技術の進歩に制度が追い付かない構図は特許審査の現場も同じだ。先月発足した政府の知的財産戦略本部。バイオ企業アンジェスエムジーの森下竜一取締役は初会合で、特許庁のバイオ審査官を3倍に増やして米国並みの150人とし、特許成立期間を半分にするよう求めた。
 同庁が抱える未処理案件は50万件。今のままだと年40万件の新規出願を放置して未処理分を審査しても2年半かかる。米欧の特許庁には博士号取得者が多いが、日本はわずか3人。審査はどうしても慎重になる。この10年でパソコンなどハイテク製品の寿命は半分以下になったが、日本の特許審査の速度は2割上がっただけ。「このままだと、独創的アイデアの事業化を急ぐ人材が海外に逃げてしまう」(電機メーカー幹部)
 知財戦略本部は7月に制度改革案をまとめるが肉付けはこれから。18日の会合では特許審査迅速化法の制定や、知財専門の法科大学院設立に向けた規制緩和などの要望が民間から噴出した。日々広がる技術のフロンティア。世界の動きに目をこらし、最新の研究成果を新産業創出に結びつける枠組みを官民一体で築いた時、知財立国の夢が現実になる。


▼特許審査の待ち時間、日米で差
 両国とも大量出願されるため審査は順番待ち。一昨年の平均待ち期間は日本が審査請求から22カ月なのに対し、米は出願から14カ月。日本では出願後に改めて請求しないと審査に入らないが、米は出願すると自動審査するなど手間にも差がある。