きっかけは山中教授 開発の立役者が語るワクチン

新型コロナウイルス対策の切り札として期待のかかるワクチン。最初に感染が確認されてから約1年という異例の速さで開発に至った背景には、長年にわたる基礎研究の積み重ねがあった。日本でも接種が始まった「メッセンジャーRNA(mRNA)」実用化に道を開いたハンガリー出身の生化学者で、独ビオンテック上級副社長を務めるカタリン・カリコさん(66)が語るパンデミック(世界的大流行)の教訓とは?【聞き手・八田浩輔】

山中教授がいなかったら…

――現在世界で使用されているmRNAワクチンは、カリコさんたちが2005年に発表した論文(※1)とその特許が基礎となっています。現在でこそ「先駆的」な発見と評価されていますが、発表当初の反響はほとんどなかったと聞きます。

◆そうですね。私たちの論文を最初に注目したのはモデルナ(※2)を創業した幹細胞生物学者のデリック・ロッシ氏でした。彼は当時、山中伸弥教授(京都大iPS細胞研究所所長)が発見したiPS細胞を作ろうとする過程で、mRNAを活用しようと考えていました。ところがmRNAを入れた細胞は死に、うまくいかなかった。

さまざまな方法を探る中で私たちの論文に行き着き、実際に私たちが発表した方法に基づいて修飾(細工)したmRNAを使えばiPS細胞が樹立できたのです。    経緯

もし山中教授がいなければ、もしiPS細胞の発見がなければ、私たちの論文が「発見」されることはなかったかもしれません。

※1=mRNAを生体に投与すると炎症反応を引き起こすが、構成する物質の一部に修飾することで炎症を抑えることを見つけた。

※2=mRNA医薬の開発研究をけん引する2010年設立の米バイオ企業。欧米で承認された同社の新型コロナワクチンはカリコさんたちの研究成果が基礎になっている。

――基礎科学の研究者として、今回のパンデミックの教訓とは何でしょうか?

◆やはり基礎科学の重要性です。例えば(遺伝子配列を解析する)シーケンサーがなければ、最初に中国で流行が確認されたウイルスの正体を詳しく知ることはできませんでした。PCR(ポリメラーゼ連鎖反応)もそうでしょう。DNAのコピーを迅速に作る簡単な方法ですが、発見者は現在のパンデミックで(ウイルス検査という形で)貢献するとは想定していなかったでしょう。20年前であれば今回のように対応できなかった。すべては基礎科学が発展したおかげです。

 もう一つは科学における多様性、特に女性の存在の重要性です。私たちの領域では多様な立場からの建設的な批判がより良い成果につながります。日本を訪れたことがありますが、仕事で面会するのは男性ばかりでした。指導的な立場にもっと女性が増えるべきです。科学者を目指す女の子も増えてほしいと思います。とても楽しい仕事です。

不遇の時代 降格されても「OK」

――しかしカリコさんの研究は日が当たらない時期が長く続きました。研究費を十分に得られず、降格も経験していますが、不遇の時代をどう乗り越えたのですか。

◆16歳のころに読んだ本があります。「ストレス」という言葉を医学用語として広めた生理学者で、ハンガリー出身の科学者ハンス・セリエ博士が書いたものです。そこには「自分ができることだけに集中しなさい」という趣旨のことが書かれていました。私は信仰深い人間ではありません。うまくいかない時でも私ができることだけに集中しました。降格されても「OK、まだ実験は続けられる」と。

 もう一つ大切なのは、いつか成功すると信じて共に前に進む同僚たちの存在でした。(20年来の共同研究者である米ペンシルベニア大教授の)ドリュー・ワイズマンも同じ気持ちだったと思います。私は肩書が変わろうが、給与が下がろうが関係ありませんでした。

 肩書を得ることで譲歩しなければならないこともあります。でも当時の私には失うものなどありませんでした。

 

――ビオンテックとファイザーが共同開発したワクチンを接種した時、ワイズマンさんも一緒だったようですが、自ら開発にかかわったワクチンを受けるのはどのような気持ちだったのでしょうか。

◆私たちにとって特別な瞬間でした。中に何が入っているかを最もよく知る一人ですから。ビオンテックで私のチームはワクチンに使うmRNAを包むLNP(脂質ナノ粒子)の選定を担当しました。米国の大学の研究者だった私が(13年にドイツの)ビオンテックに移った理由は、もう若くなかったし、残された人生でmRNAを使って誰かの役に立ちたい、特にがん患者を救いたいと考えたためです。科学は積み重ねの上に成り立っています。私たちの研究はいつ、どこで役に立つかわからない。でもすべての科学者は、誰かの役に立ちたいという夢を抱えて実験に向き合っていると思います。

アスリートの長女は五輪金メダリスト

――カリコさんは30歳でハンガリーから米国へ移住しましたが、もしハンガリーに残っていれば同じような業績が残せたかと考えたことはありませんか。

◆ハンガリーで共に大学院に通い、現在はドイツで研究するかつての同僚とそのような話をしたことがあります。私たちの結論は、もしハンガリーに残っていれば、月並みな科学者に終わっていただろうというものでした。私の場合、米国には親戚も頼れる人もいませんでした。お金もなく、片道の旅でした。だから地獄のように働きました。生き残るために。ハンガリーにいたらそのような努力はしなかったと思います。泳ぎ方を知らないまま水の中に突き落とされると陸に上がるために必死になるでしょう。

――ワーカホリックとの評判ですが、現在の生活は?

◆ドイツと米国を行き来する生活を続けてきましたが、パンデミックで米国に戻り、自宅で働くようになって1年がたちます。普段は午前6時ごろに起きて、(ボートをこぐような動作を繰り返す)ローイングマシンで体を動かします。私の娘は五輪のボート競技の金メダリストなんですよ(※3)。それからパソコンの前に座って論文を読み、ドイツの研究チームと毎日ミーティングをします。ドイツでは週末も働き、明け方の午前3時ごろまで論文を読むこともありました。科学は犯罪捜査のように犯人を見つけて終わるものではありません。問いに対する答えを探すために実験をする。するとまた新しい問いが浮かぶ。なぜ、どうして、と。こんなに楽しいことはありません。

※3=長女スーザン・フランシアさんはボート競技女子エイトの元米国代表。北京(08年)とロンドン(12年)夏季五輪で2大会連続金メダルを獲得した。カリコさん一家は1985年の渡米時、スーザンさんの「テディベア」になけなしの 全財産である約900英ポンドをしのばせてハンガリーを出国した。当時は外貨持ち出しが100米ドルに制限されていたためだ。

 

新技術ワクチンの基礎は「コロナ前に出来上がっていた」

――日本でも接種が始まりました。mRNAワクチンは新しい技術だという理由で接種に慎重な人もいます。何と伝えますか。

 ◆私はRNAを40年、mRNAを30年研究してきました。多くの人には知られていないでしょうが、がん治療や感染症でmRNAを使ったワクチンは(新型コロナの流行前から)既に治験が始まっていました。今回の新型コロナに対応したmRNAワクチンと同じ技術を用いたインフルエンザワクチンも、モデルナが数百人を対象に治験を進めていました。ビオンテックもファイザーと共にインフルエンザワクチンの治験を始める承認を得たところでした。新型コロナのワクチン開発が早く実現したのはこうした理由があるのです。基本的な技術は既に出来上がっていたのです。

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カタリン・カリコさん

 1955年、ハンガリー生まれ。30歳で渡米し、ペンシルベニア大などで研究。2013年に独バイオ企業ビオンテックに移籍し、現在は上級副社長。05年に発表した論文とそれに関連する特許は、現在世界で使用されている新型コロナウイルスのmRNAワクチンの基礎となった。欧米メディアでは「ノーベル賞の有力候補」とも報じられている。


 Derrick Rossi

実は「日本」が発端だった

──まず、モデルナ創業の経緯から教えてください。

あなたがモデルナの歴史について詳しいか分からないですが、実は、これは「日本」から始まったんです。

山中伸弥教授によるiPS細胞の素晴らしい発見がアイデアの発端になっています。2006年に、iPS細胞の論文が発表されたときにすぐに目を通して、ほかのすべての科学者と同様に、感銘を受けました。

山中氏は当初、「山中4因子」をレトロウイルスで運ぶことでiPS細胞を作製していました。ただ、これが実際の治療などに用いられるには、このウイルスを取り除かなければならなかった。
ここでも、今と同じように「ウイルス」がキーワードだったのです。

iPS細胞は、体細胞に4因子(Oct3/4、Sox2、Klf4、c-Myc)を、それぞれレトロウイルスやレンチウイルスなどのウイルスベクターで導入することで樹立されてきた。しかし、再生医療への応用に際して、ゲノムへのウイルスベクター挿入に起因する腫瘍形成が危惧されていた。またウイルスベクターは実験のたびに厳密に管理された実験室で作成する必要があり、iPS細胞技術の普及の障害となっていた。

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ロッシ氏は論文に感銘を受け、翌年ハーバード大学医科大学院に自分の研究室を持った際、DNAではなくRNAを使ってiPS細胞を作ろうと試みた。

細胞に導入したDNAからRNAができる過程を「ショートカット」し、mRNAから直接、初期化に必要なタンパク質を作らせようと考えたのだ。  

ところが、当初の実験は失敗する。細胞の外から入れたmRNAが異物と認識され、強い免疫反応が起きてしまうのが原因だった。  打開策を探したロッシ氏は、ハンガリー出身の女性研究者、カタリン・カリコ氏らが2005年に書いた論文に着目する。mRNAにある修正を施せば、細胞や生体に入れても「異物」扱いされないことを示す、画期的な内容だった。

ロッシ氏らはこの方法で修正したmRNAを細胞に入れ、iPS細胞を作製することに成功。さらに、入れるmRNAの設計を変えれば、細胞内で多種多様なタンパク質――医薬品として働くタンパク質すらも――を作り出せると気づいた。これが、2010年に起業するきっかけになったという。