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2013/3/28   産構法30年(1) 第二次石油危機 

1983年5月24日「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」が、1988年6月30日を期限とする時限立法として施行された。

本年は産構法が施行されて30周年となる。
30年前をシリーズで振り返る。

 

1979年1月に第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。

塩ビ樹脂を例に見ると、以下の通りとなる。

1977年以降、能力は200万トン程度で推移したが、生産量は100〜150万トンとなっており、大幅な能力過剰となっていた。
当時は輸出は少量(10万トン未満)で、内需の低迷を意味する。

この結果、業界損益は莫大な赤字が継続し、1981年度には470億円もの赤字となった。

その塩ビ業界も、1986年度には若干の黒字となり、産構法の終わった88年度には100億円の黒字となった。

では、この業績改善は産構法の効果であろうか。
(塩ビ業界は産構法に1年先立ち共販会社をつくり、産構法で設備処理を行った。)

確かに塩ビの供給能力は産構法で200万トンから170万トンに減っている。しかし、需要が1987年以降、増加に転じており、産構法終了後にはむしろ供給不足となり、通産省の要請で信越化学が業界唯一の休止設備を再稼働させ、全体能力は再度、200万トンに戻っている。

需要の増大は、1985年末からの原油価格の下落による影響が大きい。
原油価格高騰で抑えられていた需要が、原油価格の下落で復活したものである。

国産ナフサ価格推移

1985/ 1Q 45,800 円/kl
  2Q 45,800  
  3Q 44,800  
  4Q 39,400  

1986/

1Q 31,300  
  2Q 16,900  
  3Q 15,100  

他の業界も同様で、エチレンやポリオレフィンでも休止設備を再稼働させるとともに、新増設を行っている。

逆にいえば、「産業構造の改善」のための産構法であった筈だが、業界の要請を受け入れ、設備休止も認めたため、原油価格低下により需要が復活すると休止設備はほとんど全て再稼働され て元に戻り、更に 新増設も相次いだ。

一時的な設備カルテルに止まり、「構造改善」が出来ないまま、小規模多数工場という状況が現在に至っている。

ーーー

では何故、原油価格が急落したのか。実はこの時代の原油もバブルであった。
全てが冷静に行動すれば価格の急上昇が起こらない筈が、人為的に高価格となり、最後にバブルが弾け、急暴落したものである。

原油の代わりに国産ナフサ基準価格で流れを見る。国産ナフサ基準価格は1982年7月以降、輸入価格スライドとなっている。
(この経緯については 
2006/7/29 2Qの国産ナフサ基準価格 49,800円/klに 参照)

OPECは1960年9月に設立されたが、1973年までは影響はほとんどなく、日本のナフサ価格も低位で安定していた。

1973年10月に第四次中東戦争がはじまり、OPECは原油価格を70%引き上げるとともに先進諸国に石油禁輸を行い、石油が武器として使われた。(第一次石油危機)

1978年12月にイランのストで原油輸出停止でパニックが起こり、翌1979年にはイラン革命が起こった。
1980年にはイランーイラク戦争が勃発した。

需要各国はパニックになり、1社が高値を受諾すると、他社は更に高い価格を受け入れ、原油価格は急騰した。

実際にはアラスカや北海油田などの新しいソースが動き始め、供給が増え始めた。
OPECは1982年3月に生産枠を決め、真のカルテルに移行し、高値を維持しようとした。

その後、アラスカや北海油田のほか、原子力、天然ガスなどの新しいエネルギーソースが増え、また各国で省エネを進めたため、価格が下がり始めた。

しかし、OPEC諸国は一度増えた収入を維持しようとして、生産枠を破って増産、サウジ一国がスイング国として価格維持のため減産した。

1985年に入り、サウジのシェアは大幅にダウンしたため、スイング国をやめると宣言、値下げ販売を行ったため、各国が追随し、大幅な価格下落となった。

結局は原油価格アップが他のソースの供給増と省エネによる需要減を生み、価格は元に戻った形となったが、パニック買いにより異常な高値となり、OPECの生産枠カルテルとサウジによるカルテル防衛策が長期の高値水準が続く原因となった。


2013/3/29 産構法30年(2) 産構法成立 

本年は産構法が施行されて30周年となる。
30年前をシリーズで振り返る。

 

1979年1月には第2次石油危機が発生し、3万円/kl程度であったナフサ価格は一気に6万円/klまで上昇、需要が激減し、不況が深刻化した。

塩ビ業界の赤字は、1980年には 323億円となり、危機的な状況となった。(1981年470億円、82年 407億円)

このため、塩ビ業界は他の業種に先行し、産構法によらず共販会社体制に移り、第一塩ビ販売が1982年4月にスタートし た。

2012/4/3  塩ビ共販誕生から30年

通産省は、産業構造審議会を中心に事態の打開策を検討していたが、1982年7月に同審議会化学工業部会に石油化学産業体制委員会、翌8月同審議会総合部会に基礎素材産業対策特別委員会を設置し、さらに具体策を深めていった。

石油化学業界では1982年10月、エチレンセンター13社の社長で編成された石油化学産業調査団が訪欧、石油化学事情を調査するとともに、不況の脱出策を協議した。

高杉良の「局長罷免 小説通産省」には以下の通り書かれている。

 石油化学工業の中核部門であるエチレンセンター13社の社長で編成された石油化学産業調査団が欧米に派遣されたのは、ランブイエ・サミットの7年後である。

 同調査団は、欧州の石油化学事情を調査することを目的としていたが、これはあくまでおもて向きで、不況の脱出策を協議することが本来の狙いであった。
 利害対立が激しく、メーカー間の相互信頼関係が著しく損なわれていた中で、斎藤(内藤正久基礎化学品課長)は各社首脳を精力的に訪問し、調査団の必要性について説いた。斎藤の水際立った根回しの見事さを青山(通産省)はすぐ近くでつぶさに見ていたのである。

 住之江化学の堤武夫社長(住友化学 土方武社長)を団長とする大型ミッションが最初の訪問地フランクフルトに向けて成田空港を発ったのは昭和57年10月2日のことだ。一行は随員を含めて総勢20名、副団長は光陵油化の吉岡正雄社長(三菱油化 吉田正樹社長)と昭栄化学の西本康之社長(昭和電工 岸本泰延社長)。通産省から斎藤ほか2名が参加した。

 斎藤の存在なくして調査団はあり得なかったし、その後の石油化学工業の再生、収益改善など望むべくもなかった、といま青山は確信をもって断言できる。

 一行は2週間にわたってフランクフルト、ブラッセル、パリ、ロンドンなどを回り、西独BASF社、オランダDSM社、CEFIC(欧州化学工業連盟)、EC委員会、フランス政府工業省、英BPケミカルズ、ICI社などの首脳と意見を交換する一方、円卓会議を頻繁に開催し、不況対策について話し合った。

 調査団の帰国後、各社の首脳間に相互信頼感が芽生え、過剰エチレン設備等の廃棄、ポリエチレン、ポリプロピレンなどポリオレフィンの共同販売会社の設立など抜本的な構造改善対策が次々に打ち出され、構造不況に陥っていた石油化学工業は急速に立ち直ってゆく。

ーーー

内藤局長は1993年に通産省内部の紛争に巻き込まれ、熊谷弘通産大臣に罷免された。
調査団メンバーはその後も同氏を囲むランブイエ会を開催していたという。

調査報告書の中で業界対応については以下の通り記載されている。

@ 過剰設備の処理
  過剰設備の処理の進め方は、マスタープランを作成して進める方法のほかに、バイラテラルな形で進めていくことも現実的方法として有効であるとの見解が示された。
A 過当競争の排除
  不況の原因の本質は企業数過多、設備過剰に伴う過当競争にあるとの指摘が多く、事業の交換、限界企業の撤退などを通して企業数を半分程度にすることが必要であるとの見解が示された。基礎的石油化学製品については共同生産が有効であるとの見解も示された。
B 高品質、高付加価値化等のための技術開発の推進

1982年12月、石油化学産業体制委員会は、「石油化学工業の産業体制整備のあり方について」を通産大臣に具申した。

内容は、
 @過剰設備の処理、
 A投資調整の実施、
 B生産・販売の合理化のための集約化、
 Cコスト低減対策の実施、
 D海外プロジェクトヘの対応
の5項目を骨子とするものであった。

これらの構造不況対策を実施するため、政府は1983年2月15日に「特定不況産業安定臨時措置法の一部を改正する法律案」を国会に提出、5月24日に「特定産業構造改善臨時措置法(産構法)」が、1988年6月30日を期限とする時限立法として施行された。

  1 特定産業の指定
石油化学工業などの7業種を法定候補業種として指定し、それら事業者の申出を受けて政令で特定産業に指定する。
  2 構造改善計画の策定
主務大臣は特定産業ごとに審議会の意見を聴いて構造改善基本計画を告示する。
同計画には@構造改善目標、A設備処理に関する事項、B設備新増設などの制限、禁止に関する事項、C事業提携など規模または生産方式の適正化に必要な事項、D雇用、関連中小企業などへの配慮事項を定める。
  3 共同行為
事業者が自主的努力のみでは設備処理などを実施できない場合には、主務大臣は公正取引委員会の同意を得て共同行為の実施を指示できる。
  4 事業提携計画の承認
事業提携につき独占禁止法との調整および税制上の特例措置を希望する者は共同して事業提携計画を作成し、主務大臣の承認を受ける。
  5 設備処理、事業提携、活性化投資について資金確保および課税の特例措置を行う
  6 雇用の安定、関連中小企業の経営安定のための措置を行う
  7 昭和63年6月30日を期限とする

石油化学関連では以下の製品で構造改善基本計画が作成された。

品種名        特定産業
指定日
     構造改善基本計画の概要
目標年度     設備処理 構造改善の重点
処理目標量 処理期限
エチレン 1983/6/17 1988/6/30

229万t(36%)

1985/3/31 高効率設備への生産集約化
ポリオレフイン 1983/6/17 1988/6/30

90万t(22%)

1985/6/30 4共販会社の設立、これを核とした
生産流通等の合理化
塩化ビニル樹脂 1983/6/17 1988/6/30

49万t(24%)

1985/3/31 1982年4共販会社設立済
今後これを核に生産流通

の合理化
エチレンオキサイド 1983/8/30 1988/6/30

20.1万t(27%)

1985/6/30 高効率設備への生産集中
スチレンモノマー

1985/1

    1985/9/30  

エチレンオキサイドは、指示カルテルによらず業界各社が自主的に設備処理を行った。
スチレンモノマーは、遅れて1985年1月に産構法の業種指定となった。設備処理は各社が自主的に進めた。


2013/3/29  産構法30年(3) エチレン構造改善 

本年は産構法が施行されて30周年となる。
30年前をシリーズで振り返る。

 

1983年6月に告示された「エチレン製造業の構造改善基本計画」により、全国エチレン年産能力6,348千トンの36%に当たる同2,293千トンの設備を過剰設備として処理する目標が決まつた。

出光石化は千葉で22万トンプラント(設計能力30万トン)を建設中であったが、これも計算に含めた。

原則として設備廃棄によるものとするが休止により行なうことも妨げないものとされた。
(その場合、当該設備の運転を不能にし、相当の期間と費用をかけないと再開が不可能となる状況にすることが求められた。)

目標の1988年6月末までの間は告示日現在建設中の出光千葉を除き、分解設備の新設、増設および改造(当該設備の更新、改良を除く)は行わないことになった。

実際には一律の設備処理には問題があるため、各社は生産受委託や非効率設備の優先処理により高効率の大型設備への集中に努力し、下記の設備処理を行った結果、処理量は2031千トン(処理 2251千トン、新設220千トン)、目標達成率は88.6%となった。

会社名 場所 設備能力
1983/8現在
(A)
要処理量

(B)

協議の結果

処理実施量
(処理区分)
(E)
処理後能力
1986/3現在
(F)
能力枠

(C)
要処理量

(D)=A-C

住友化学工業

大江 2

64.6

 

 

 

廃棄

64.6

0

3 74.8       廃棄 74.8 0
千葉 1 85.0       廃棄 85.0 0
2 345.0           345.0
合計 569.4 219.0 370.0 199.4 廃棄 224.4 345.0

日本石油化学

川崎 1

52.0

 

 

 

廃棄 52.0

0

2 62.0       休止 62.0 0
3 127.0       休止 127.0 0
浮島石化
浮島
342.0           342.0
合計 583.0 238.0 364.0 219.0 廃棄
休止
52.0
189.0
342.0

丸善石油化学

千葉 2 110.0       廃棄
 
110.0
 

0

3 395.0       部分休 22.0 373.0
合計 505.0 171.0 352.0 153.0 休止
部分休
110.0
22.0
373.0

三井石油化学

岩国 2 87.0

 

 

 

廃棄 87.0

0

3 92.0       休止 92.0 0
千葉 4 143.0       廃棄 143.0 0
浮島石化
千葉
466.0           466.0
合計 788.0 325.0 489.0 299.0 廃棄
休止
230.0
92.0
466.0

三菱油化

四日市 2 80.0

 

 

 

廃棄 80.0

0

3 120.0       休止 120.0 0
4 250.0       部分休 39.3 210.7
鹿島 1 350.0       部分休 51.0 299.0
合計 800.0 317.0 510.0 290.3 廃棄
休止
部分休
80.0
120.0
90.3
509.7

三菱化成

 

水島 1

67.0

 

 

 

廃棄

67.0

0

2 110.0      

廃棄

110.0 0
水島エチレン

360.0

 

 

     

360.0

合計 537.0 163.0 395.0 142.0   177.0 360.0

東燃石油化学

川崎 1

93.0

      休止 93.0

0

2 130.0       休止 130.0 0
3 350.0           350.0
合計 573.0 231.0 361.0 212.0 休止 223.0 350.0

昭和電工

大分 1

221.0

     

休止

221.0

0

2 320.0           320.0
合計 541.0 208.0 351.0 190.0   221.0 320.0

新大協和石化
(東ソー)

四日市 1 41.3      

廃棄

41.3 0
2 320.0      

部分休

54.1 265.9
合計 361.3 136.0 237.0 124.3

廃棄
部分休

41.3
54.1
265.9

出光石油化学

徳山 1

120.0

 

 

 

廃棄

120.0

0

2 260.0       部分休 95.7 164.3
千葉 0      

新設

△220 220.0
合計 380.0 95.0 354.0 26.0 部分休
新設
215.7
△220
384.3
 

大阪石油化学
(三井東圧)

泉北

320.0

105.0

227.0

93.0

部分休 68.0

252.0

山陽エチレン
(旭化成)

 

390.0

85.0

322.0

68.0

部分休 41.5

348.5

合計

 

6,347.7

2,293.0

4,332.0

2,015.7

 

2,031.3

4,316.4

備考

18工場
32系列

         

13工場
14系列

出光石油化学は既に認可を得ている千葉の30万トンエチレン建設着工を1982年10月に1年半延期、1985年6月に能力を落として22万トンでスタートさせた。

住友化学・愛媛はカルテル発効以前の1983年1月に自主的に停止を決めている。
住友化学・愛媛に続いて三井石油化学・岩国大竹と日本石油化学・川崎工場のエチレン生産が 1985年3月に休止され、石油化学工業の第1期計画で稼働した4工場のうち3工場のエチレン設備が休止され、その後廃棄された。

この処理の結果、全工場平均の1プラント当たり能力198千トンであったのが、308千トンとなった。


2013/4/1  産構法30年(4) ポリオレフィン構造改善 

本年は産構法が施行されて30周年となる。
30年前をシリーズで振り返る。

 

1)ポリオレフィン共販会社

ポリオレフィン業界では先行する塩ビの共販体制を参考に、産構法施行前から新しい体制の検討を始めた。

1982年12月29日付の報道では、ポリオレフィンの生産・販売のグループ化について関係企業18社を3グループに集約することで基本的に合意したとしている。

それによると、
 @三菱化成・三菱油化・旭化成工業・昭和電工・東燃石油化学・出光石油化学・日本ユニカー
 A三井石油化学・三井ポリケミカル・三井東圧工業・日本石油化学・宇部興産
 B住友化学工業・東洋曹達・新大協和石油化学・日産丸善ポリエチレン・チッソ・徳山曹達

@は、三菱系2社は同一資本系列。
昭和電工は三菱油化と製品融通関係にあり、東燃石化に対して中低圧ポリエチレン工場を売却したいきさつがある。
日本ユニカーはその子会社。
旭化成は昭電、出光とトップ同士が親密な関係にある。
さらに旭化成と三菱化成は岡山県水島地区にエチレンの共同生産会社をもっている。
   
Aは、三井系3社に、三井石油化学とエチレン共同生産会社を持つ日本石油化学が加わる。
さらに三井東圧系のエチレン生産会社(大阪石油化学)に出資していて三井グループと関係が深い宇部興産も参加する。

Bは、住友化学と、東洋曹達、新大協和石油化学、日産丸善ポリエチレン、チッソの興銀系4社の連合にポリプロピレンを手がける徳山曹達が参加するというもの。(新大協和石油化学は最終的に参加せず)

3つのグループのシェアはポリエチレン2品目では、三菱系が約48%、三井系が約30%、住友・興銀系が22%。ポリプロピレンは三菱系が約38%、三井系が約30%、住友・興銀系が32%となる。

1983年1月には、宇部興産が三井グループではなく、高圧ポリエチレンを生産している千葉の丸善石油化学コンビナートの運営を重視し、住友化学と興銀系化学会社を核とする第三グループ入りを表明した。

1983年3月、公正取引委員会は汎用樹脂の共同販売会社設立を目ざしている三菱化成、三菱油化、昭和電工、旭化成、東燃石油化学、出光石油化学、日本ユニカーの石油化学7社の常務クラスの役員を呼び、「7社の共販会社案はシェアが大きすぎるので、再検討したうえ、再提出願いたい」と正式に伝えた。

当時の報道によれば、通産省は4グループ化を主張しており、業界案をバックアップしなかった。
 
これを受けて、7社は2つのグループに分割することを正式に確認した。

三菱油化、三菱化成工業2社
昭電、旭化成工業、東燃石油化学、日本ユニカー、出光石油化学の5社

石化共販4グループ案に対して公取委が難色を示した。

住友・興銀系のシェアは3品目合計で約33%だが、「品目によってはシェアが高過ぎるものもあるはず」とし、また、シェアの高い上位3グループの合計シェアが約80%になることにも公取委は難色を示した。

これに対して業界では特殊品を共販の対象製品から除外することとした。
これによって最大のシェアを握る住友・興銀グループは30%を切り27%台まで低下、上位3グループの合計シェアも70%を下回り67%に落ち着く。

1983年5月24日に産構法が施行され、これを受けて各グループが正式に申請、承認を受けて7月1日から営業開始した。

2)ポリオレフィンの設備処理 

1983年6月に告示されたポリオレフィン製造業の構造改善基本計画では、過剰設備として83年8月現在のポリオレフィン年産能力の22%に当たる902千トン分を処理することになった。

高圧法ポリエチレン(LDPE)は年産能力の37%に当たる637千トンの設備処理
中低圧法ポリエチレン(HDPE)は同25%に当たる265千トンの設備処理
ポリプロピレンは設備の過剰度がそれほど大きくなかったので、設備処理の対象とはならなかった。

原則として廃棄によるが、休止により行うことも妨げないとした。
設備の新設、増設および改造は、目標期日までの間は行わないとした。

実績は下記の通りで、LDPEは目標637千トンに対し592千トンの設備処理となり(達成率94%)、HDPEは目標の265千トンに対し258千トンの処理(達成率97.5%)となった。(LDPEは他に、出光石化が建設を開始していた38千トンがプラスとなる)

PPは設備処理対象外で、1984年4月に操業を開始した泉北ポリマー(80千トン)分が増となった。
(引取枠は三井東圧化学40千トン、日本石油化学28千トン、旭化成工業12千トンである。)

会社名 資本金
(百万円)
出資会社 出資
比率

(%)
      生産能カ(千t/年)
LDPE

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

HDPE

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

PP

 83/8

 85/8

増減

 83/8

 85/8

増減

 83/8

 85/8

増減
ユニオンポリマー

83/6/17設立
83/7/1営業開始

400

住友化学工業

18  

286

164

-122      

144

144

 

宇部興産

18  

147

99

-48      

105

105

 

東洋曹達

18  

167

103

-64

72

52

-20      

チッソ

18  

     

45

35

-10

156

156

 

徳山曹達

14  

           

95

95

 

日産丸善ポリエチレン+

14  

     

75

54

-21      

100  

600

366

-234

192

141

-51

500

500

0

ダイヤポリマー

83/6/17設立
83/7/1営業開始

100

三菱油化

50  

260

185

-75

36

0

-36

190

190

 

三菱化成工業

50  

118

58

-60

75

69

-6

35

35

 

100  

378

243

-135

111

69

-42

225

225

0

エースポリマー

83/6/23設立
83/7/1営業開始

200

昭和電工

20  

123

70

-53

122

113

-9

92

92

 

旭化成工業

20  

147

96

-51

129

82

-47

0

12

+12

出光石油化学

20  

0

38

+38

82

64

-18

80

80

 

東燃石油化学

20  

     

45

37

-8

76

76

 

日本ユニカー

20  

185

138

-47      

 

   

100  

455

342

-113

378

296

-82

248

260

+12

三井日石ポリマー

83/7/1設立
83/7/1営業開始

900

三井石油化学

25  

45

45

0

226

168

-58

121

121

 

三井東圧化学

25  

           

158

198

+40

日本石油化学

25  

95

71

-24

100

75

-25

0

28

+28

三井ポリケミカル

25  

175

127

-48            

100  

315

243

-72

326

243

-83

279

347

+68
合計

+

1,748

1,194
 

-592
+38

1,007

749
 

-258

1,252

1,332

+80

 


2013/4/1  産構法30年(5) 塩ビ及びその他の構造改善

本年は産構法が施行されて30周年となる。
30年前をシリーズで振り返る。

 

塩ビ業界は他の業種に先行し、産構法によらず共販会社体制に移り、第一塩ビ販売が1982年4月にスタートした。

2012/4/3  塩ビ共販誕生から30年

産構法で構造改善基本計画が作成され、年産能力201万トンの24%にあたる49万トンの設備処理や、既に設立済みの共販会社を中心に生産の共同化、生産品種の専門化、EDCなどの原料購入の共同化を行うことなど、生産、販売、流通各分野における合理化を行うことが決まった。

これに基づき、1983年11月に業界21社は 下記の設備処理と5年間の新増設禁止を主な内容とする協定を結び、通商産業省の承認を受けた。
また、事業提携では4共販会社を核とした生産、流通の合理化を進めるための計画が承認された。

設備処理は重合槽の容量の減により行われた。

通産省によるPVCの生産能力の管理はトン数ではなく、重合槽の容量で行われていた。

PVCの生産はバッチ式で、プロセスにより、またグレードにより、特に重合後の「冷却」ー「後処理」の時間に差があり、実際には重合槽1m
当たりの生産能力は大きく異なる 。(1m当たり月産10トン強程度から30トンを超えるものまで)
しかし、プロセス改良による能力アップはメリットとして認められていた。

下記の処理後能力(千トン)は諸資料からの推定

共販会社

参加企業

工場

重合槽 m3

処理後
能力
千トン
処理前 処理  処理後

第一塩ビ販売
 

住友化学工業

愛媛

348

193

155

16

千葉

338

0

338

47

686

193

493

63

呉羽化学工業

840

270

570

85

サン・アロー化学
(徳山曹達)

徳山

432

20

412

88

日本ゼオン

水島

670

170

500

96

高岡

456

148

308

53

1,126

318

808

149

;

3,084

801

2,283

385

日本塩ビ販売

鐘淵化学工業

高砂

416

20

396

85

大阪

106

0

106

24

鹿島

334

0

334

63

855

20

835

172

電気化学工業

渋川

126

111

15

8

青海

294

150

144

28

千葉

430

100

330

64

JV *

-

+123

123

27

850

238

612

127

東亜合成化学工業

徳島

319

209

110

18

川崎有機
川崎

380

0

380

46

699

209

490

64

三井東圧化学

大阪

649

257

392

75

JV *

-

+185

185

41

649

72

577

116

;

3,053

539

2,514

479
中央塩ビ販売

旭硝子

早月

54

0

54

10

化成ビニル

早月

16

16

0

0

四日市

577

71

506

94

水島

672

140

532

102

1,265

227

1,038

196

信越化学工業

南陽

240

80

160

26

鹿島

1,016

127

889

196

1,256

207

1,049

222

;

2,575

434

2,141

428

共同塩ビ販売
 

東洋曹達

四日市

560

35

525

113

南陽

87

0

87

15

647

35

612

128

チッソ

水俣

371

241

130

25

水島

224

0

224

43

千葉

264

54

210

40

859

295

564

108

セントラル化学

;

0

0

0

27

日産塩化ビニール

千葉

414

84

330

64

徳山積水
(積水化学/東曹)

徳山

298

33

265

61

;

2,218

447

1,771

388

合計

;

10,930

2,221

8,709

1,680

電気化学と三井東圧のJVは日本ビーヴィシー(1982年設立 三井東圧化学60%、電気化学40%)
セントラル化学は東亜合成(川崎有機)に製造委託している。

日産塩化ビニールは日産化学が1977年に千葉のVCM、PVC事業を分離して設立したもの。
1983年に東洋曹達とのJVの千葉ポリマーとしたが、1989年に解散し、PVC設備は東洋曹達四日市工場に移管した。

上記の処理のうち、信越化学鹿島工場の127mのみが廃棄でなく休止であった。
1988年のカルテル終了後、需要の急増により日本全体が能力不足になり、通産省が「要請」した形で再稼動し、同社はこれにより有利な立場となった。

産構法による設備処理は、他の業種ではすべて自己負担で行われたが、塩ビ業界のみ、経済的負担の公正を期するため調整金を設けて各社別の処理量を決めた。

調整金は廃棄mに対し2,000千円(基準を超えて廃棄する分は4,000千円)を支給することとし、合計4,360百万円を支給、残存m数比で各社負担した。

基準分 1,856mx2,000=3,712百万円
基準超  162
mx4,000=    648百万円
合計          4,360百万円

なお、呉羽化学は270mの廃棄となっているが、実際は128m多い398mを廃棄している。

これを申告して調整金をもらわなかったのは、カルテル期間中にその能力分だけ自由に増設できるというメリットを享受しようとしたと思われる。実際には規制期間中にはこの権利能力を利用しなかったため、損をしたこととなる。

ーーー

エチレンオキサイドとスチレンモノマー

エチレンオキサイドは、指示カルテルによらず業界各社が自主的に設備処理を行った。

処理前能力   743千トン
処理   122千トン
処理後能力   621千トン

日本触媒化学と三井石油化学は製品融通の事業提携計画を作成した。

三井石油化学は1985年5月にエチレンオキサイド・グルコールの営業を三井東圧化学に移管した。

 

スチレンモノマーは、産構法の業種指定は1985年1月に行われ、設備処理は各社が自主的に進めた。

スチレンモノマー 設備処理(単位:千トン)
    処理前 処理  処理後

旭化成

川崎

65

:

:

水島

330

:

:

(395)

( 50)

(345)

出光石化

千葉

160

 

160

電気化学

千葉

160

 

160

三井東圧

大阪

90

90

0

新日鐵化学

戸畑

18

 

18

大分

150

 

150

(168)

( 0)

(168)

東洋曹達

四日市

91

 

91

三菱油化

鹿島

169

:

:

四日市

241

:

:

(410)

(100)

(310)

住友化学

千葉

100

100

0

日本オキシラン

千葉

225

 

225

合計:

1,799

340

1,459


追って、産構法終了後の動向を述べる。


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