ゲノム編集で高機能素材 住化などAI駆使し微生物から

バイオ技術を使った化学製品の革新的な生産が始まる。住友化学は米スタートアップ Zymergen Inc.と組み、モバイル端末に使う高機能フィルムをゲノム編集で改良した微生物で作る技術を確立した。2021年度中に大手メーカーの携帯端末に採用される可能性がある。大量のエネルギーを使う化学合成をバイオ生産に置き換えれば二酸化炭素(CO2)の排出削減にもつながる。

米ザイマージェンと住友化学がAIとゲノム編集を駆使して開発した高機能フィルム=ザイマージェン提供

住化が新技術で開発したのは「ヒアリン」というフィルム素材だ。厚さ数十マイクロ(マイクロは100万分の1)メートルの無色透明の樹脂で、スマホなどのタッチパネルに使うフィルム材になる。米カリフォルニア州に拠点を置くナスダック上場のZymergen Inc.と微生物を使った製造技術を開発した。

「ヒアリン」(Hyaline)は透明ポリイミドフィルム (下記 Zymergen Inc. ホームページ参照)

Hyaline   transparent polyimide films

住化は「微生物が糖などを餌にして生じる様々な物質のデータベースをZymergen Inc.が保有しており、人工知能(AI)、ゲノム編集などを駆使してヒアリンを開発できた」と説明する。

微生物はフィルム原料を効率よく製造できるようにZymergen が作り替えた。AIの指示に従ってゲノム編集で遺伝子の働き方を操作して実現した。タンクで微生物を培養すれば樹脂原料を作り続ける。

石油化学で作る従来の方法に比べて透明性が高く、耐久性や電気の通しやすさなどの特性も優れる。折り畳んでも性能が劣化しにくく、折り畳みできるスマホなど携帯端末に適する。Zymergen によると、石油由来のものから微生物生産に今後移行するという。

「ヒアリンは従来品より明るく、より鮮明で、より長い電池寿命のディスプレーの実現につながる」(同社)。住化は2019年4月にザイマージェンと業務提携した。

住友化学と米国のバイオ技術スタートアップ企業であるZymergenは、2019年4月、新しい高機能材料の開発に向けた複数年の業務提携に合意しました

2019/4/17 住友化学とZymergen、再生可能な資源を用いた高機能材料の開発で提携         Zymergenの全貌


住化は「カーボンニュートラル(温暖化ガス排出量実質ゼロ)にもつながるうえ、バイオ技術でしかできない高機能素材を開発できる」としている。

微生物での製造を実現できたのは、Zymergenの遺伝子データベースのおかげだ。どの遺伝子をどのように働かせたら、どのように微生物の性質が変わるのかを調べたデータを蓄積しているのが強みだ。

このデータをもとにAIが狙った物質を効率よく作る遺伝子操作の方法を考え出す。利用したゲノム編集は、遺伝子の働き方を自在に変えることができる。最先端の技術だが、研究者が簡単に使えるため化学や医療などで利用が進んでいる。

Zymergenは様々な業界から注目を集める。三菱ケミカルホールディングス、東レといった化学メーカーのほか、米穀物メジャーのカーギルなど食品、農業関連の大手企業とも協力する。自社の生産に役立てようという要望は多い。ソフトバンクグループは16年に他のベンチャーファンドとザイマージェンに計1億3000万ドル(約140億円)を投資している。

ソフトバンクグループは2016年10月11日、ソフトバンクがリード投資家となり、他のベンチャーファンドとともに 、研究開発支援の米バイオベンチャー、Zymergen に合計130百万ドルを投資したと発表した。

Zymergen は、“Technology. Biology. Automation. Computation.” をうたい文句とするバイオ企業で、樹脂やたんぱく質など様々な高機能素材を効率的に作り出すよう微生物や菌類などの遺伝子を操作する合成生物学技術の自動化を進めており、更にデータの機械学習を使った分析などを組み合わせた独自性の高いサービスを持つ。

2016/10/17   ソフトバンク、米バイオVB に投資

こうした遺伝子データベースの充実が今後の競争力の要になる。ザイマージェンはロボットを使って自動化した実験施設で、月に数千単位で微生物の遺伝子に変化を与えてデータを蓄積し、目的の物質を効率よく生産できる微生物を探し出せる体制を作ろうとしている。ザイマージェンは「石油化学ベースの材料を使用する企業よりも、半分の時間、低コストで新製品を市場に投入できる」と強調する。

従来の石油化学産業は石油や天然ガスを原料にプラスチック、合成繊維、洗剤などを化学反応で作ってきた。製造工程は複雑で、大量のエネルギーを消費してCO2を排出する。米世界資源研究所などのまとめでは16年の世界の温暖化ガス排出量約500億トン(CO2換算)のうち約6%を化学産業が占める。生物を使う製造法が普及すれば排出削減につながる。

取り組みは広がっている。地球環境産業技術研究機構(RITE)と住友ベークライトが設立した環境スタートアップのグリーンケミカルズ(京都府木津川市)は、遺伝子改変したコリネ菌を化学原料の生産に使う。

複数の遺伝子をコリネ菌に入れて、電子回路のプリント基板などに使う合成樹脂の原料を作らせることに成功した。試験生産をして石油由来とコスト面で競争できることを確認した。複数の素材や化学メーカーにサンプル出荷している。

コリネ菌はトウモロコシの芯、焼酎の製造で出る搾りかすや古紙から作った糖などを加えるだけで化学原料を製造する。RITEの乾将行グループリーダーは「微生物で原料を作ればCO2排出量を3分の1以下に減らせる」と話す。

バイオ技術「青田買い」 市場規模、2030年に200兆円か

「ゲノム編集とAI、IT(情報技術)の融合によりバイオテクノロジーが広範な産業の基盤を支えるバイオエコノミー社会が世界的に到来しつつある」。2月、経済産業省の有識者会議はバイオエコノミーに関する報告書をまとめた。国連がSDGs(持続可能な開発目標)で掲げる17目標のうち気候変動や食糧問題など10以上に貢献できると指摘した。

経済協力開発機構(OECD)は市場規模が2030年に約200兆円に拡大するとの見通しを示す。19年は40兆円程度で大半は医薬品などだが、化学品や食品などに裾野が広がる可能性がある。

巨大市場を見据え、有望企業への投資や協力を進める「青田買い」も加速する。

日本経済新聞が業務提携する米調査会社「CBインサイツ」によると、
Zymergenのライバルといわれる米Ginkgo Bioworksマサチューセッツ州)は、機関投資家などから8億ドル(約870億円)の資金を集めた。スイス医薬大手のロシュなど多くの企業と提携している。全米ベンチャーキャピタル協会のまとめでは、バイオ関連のスタートアップへの投資額は例年、ソフトウエア系に次ぐ規模だ。

Amyrisは有用な化合物を作る酵母を、合成生物学の技術を応用して効率的に開発している。


バイオエコノミーに詳しい神戸大学の近藤昭彦教授は「ザイマージェンやギンコのような企業が世界中の大企業から委託を受けて有用な微生物を作って提供するプラットフォーマーになる可能性がある」と指摘する。

近藤教授らはゲノム編集などで有用な微生物を作るバッカス・バイオイノベーション(神戸市)を20年3月に設立した。ロート製薬などの出資を受けており、日本勢として追い上げを目指す。覇権争いは始まっている。(福岡幸太郎、草塩拓郎)