英国のWindsorに本拠を置くMorgan Crucibleの米国子会社 Morganite, Inc. は1990年1月頃から2000年5月頃まで、集電装置、炭素ブラシなどで競争相手と価格談合を行った。

1999年4月頃、大陪審は独禁法違反の疑いで Morganiteに文書提出令状を出した。

Morgan Crucibleの当時のCEO のIan Norrisはタスクフォースを編成し、カルテルの証拠を集め、隠滅した。
従業員が聴取されると知り、供述の際に使う競合相手との会合についてのシナリオを作成、競合相手にもそのシナリオに従うよう求め、リハーサルでうまくやれなかった従業員を無理やり退職させた。

しかし、最終的に隠滅作戦は失敗した。

2002年に米子会社Morganite Inc.は独禁法違反で当時の罰金の最高限度の1000万ドル、Morgan Crucible は司法妨害で100万ドルの罰金の支払を命じられた。

更に3人の従業員が2003年に有罪を認め、禁固刑と罰金刑を受けた。

Morgan Crucibleの事業部長が証拠隠滅で禁固4ヶ月、罰金2万ドル
英国子会社 Morganite Electrical Carbon のPricing Coordinator が従業員に証拠隠滅をさせたとして、禁固5ヶ月、罰金2万ドル
米国子会社 Morgan Advanced Materials and Technology の社長が証拠隠滅を助けたとして、禁固6ヶ月、罰金2万ドル

Morgan Crucible とCEOのIan Norrisは2001年にEUでの10年前のカルテルについて報告し、EUでの免責を得た。Ian Norrisは1年後に病気を理由に退任した。

しかし、米国の大陪審は2004年、Ian Norris を独禁法違反と証拠隠滅の2つの容疑で起訴した。
米司法省は犯罪人引渡し条約に基づき英国にIan Norrisの送還を要請した。

これに対しIan Norrisは、英国で価格カルテルが罪になったのは2002年であり、米国でのカルテルはそれ以前のため、カルテルの罪は当て嵌まらないと主張し、抵抗した。

裁判となり、最終的に2007年に英国の最高裁である貴族院で Ian Norrisの勝訴となった。

米司法省はこれで諦めず、独禁法違反を外し、司法妨害の罪で送還を求めた。

今回も貴族院まで行ったが、今回は司法省の勝訴となった。

最後に欧州人権裁判所に訴えたが却下され、Ian Norris は2010年3月に米国に送還された。

独禁法事件で米国に送還される最初の外国人となったが、独禁法の罪は外され、司法妨害の罪での送還となった。


2010年12月10日、連邦地裁はIan Norris に禁固18ヶ月、罰金25千ドルの判決を下した。

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日米の場合は1980年の条約で、両国でいずれも処罰の対象となり両国の法律で死刑、無期懲役、1年以上の拘禁刑に当たる罪の場合は引渡しが可能となっているが、独禁法違反の場合には日本政府は該当せずとし、引渡しは行われなかった。

2009年改正により、独禁法の最高が懲役5年となったため、執行猶予の対象外となり、条約上の引渡し対象となる。
(それまでは最高が懲役3年のため、執行猶予が付いた。)

条約第5条では、「被請求国は、自国民を引渡す義務を負わない。ただし、被請求国は、その裁量により自国民を引き渡すことができる」となっており、日本政府の判断で引渡しを行うかどうかを決めることとなる。

逆に今後、日本側が引渡しを求める事態も発生する可能性があるため、要請があった場合には、余程の理由がない限り、引渡しを行うと思われる。